愛は金、を受け止めながら
最近オユちゃんの写真TwitterにもInstagramにも載らないけど元気ですかってメッセージをくれた人たちありがとう やっと重い腰を上げて書くことにした、この祈りがオユちゃんに届きますようにと願って
オユちゃんはいま動物病院に入院していて、病気の治療を頑張っています
オユちゃんの調子が変だと気づいたのは10月
オユちゃんは小さいころから、眠いときとのどが渇いたとき、なんとなくまばたきがゆっくりになる。そのトロンとした感じが本当にかわいいのだけど、ある日今日のまばたきもかわいいねえと思って眺めていて、一瞬その目が渋そうな、苦いものを噛んだときのような竦みを見せた。私はお?となって、まぶしいのかなと思ったけど、夜だからまぶしいはずもない。まあでもその日は普通にごはんを食べて、すやすや寝ているように見えたから気のせいかと思い直すことにした。
次の日、私が朝起きてお弁当を作っているといつもならとことこ近くにやってくるのに、その日はなぜかぼけっと遠くを見ていて、眠っているならまだしも、起きているのに動かないのはなんかあるなと胸騒ぎがしたことを覚えている。オユちゃんは数年前にもちょっと病気をした、そのときから私は本当にささいな変化も見逃すまいとつぶさにチェックする癖がしっかりとついている。気温にも敏感なねこ、だいたいはたいしたことないけど万が一を考えて先手を打つのは飼い主の役目以外のなんでもない。午後休の日に病院に連れて行った。私は車を持っていないから移動はもっぱら電車だけど、電車に乗せるのはねこにいろいろな負担をかけるからいつも車を借りて連れて行く。オユちゃんは車が好きらしい。病院に行く=ゲージに入れる=車に乗れる!とわかっているのか、スムーズに運ばれてくれてありがたい。
先生は、オユちゃんの目を見るなり「お、お〜…?」と言って、しばらくなにかを考えているっぽかった。オユちゃんの目がなんとなく充血しているのは私もわかっていたけど、もともと鼻炎があって目の周りも赤くなりやすかったから今回もそんな感じかなと思っていた。もしかしたら鼻炎どころか風邪引いてるのかもなとか、熱あるかもなとか。このときはまだまあまあごはん食べてくれていたから。小さいときから食べムラは大きくて、食欲や食事量では体調を推し測るのがちょっと難しい。だからこそそれ以外の部分で不調を見抜くしかない。しばし待って、血液検査してもいいですかと言われた。いいもなにもない、お願いしますの一択。私はこの時点ではまだ、風邪ひいちゃったかな、もしくは前の病気がぶり返したか...くらいだろうと思ってた。
肺に水が溜まっているかもしれない、と言われて、え?となった
肺に水 肺に水 肺に水、とは…
反芻している私にさらなる言葉が降ってくる
全身の炎症反応があるかもしれない
全身の炎症反応、とは…
先生の控えめな「かもしれない」が唯一の救いだった
詳しく検査するので、入院になっちゃうのですがいいですか…とのこと
いいもなにもない、お願いしますの一択しかなかった。この日は2万円ちょっと払って私だけ家に帰ってきた。5万でも10万でも払うから早くオユちゃんと一緒に帰らせてくれと祈って車に乗り、空のゲージを持ってとぼとぼ歩いた涼しい秋の日のことを一生忘れない。
オユちゃんはFIPだった。
猫伝染性腹膜炎、人間で言うところの白血病、エイズみたいな病気とのこと。暇さえあればその病気について調べた。まさに診断されたその日はご飯も食べずに調べてはノートに書く、を繰り返して、疲れて時間を見たら3時を過ぎていた気がする。調べても調べても絶望的な情報しか出てこない。致死率99.9%と書かれたサイトを見てしまったときにはさすがに泣いた。
「一日一日命が削られていきます」とも書いてあったし「治療するだけかわいそう、ひたすら痛みを取り除くしかない」とも書いてあった。
次の日から何度も病院に電話した、私はフルタイムで働いているし、一緒に住む家族もいない。でも、動物を飼うということに責任を持つと決めて一人暮らしをしている以上、それを言い訳にすることなんてできない。熱が出そうなほど考えて、病院から言い渡された三つの選択肢についてひたすら悩む日々が始まった。
一つ目
未認可の治療薬を使う
その病気にまつわる知識としては有名なムチアンという治療で、84日間連続で投薬が必要。治療に応じてくれる病院は限られる。
非常に高額(約10,000円/日)+管理費+週二回の通院
ただし寛解率は最も高い。代わりに体への負担も大きい。ストレスで弱る可能性もあり
二つ目
認可されている治療薬を使う
対症療法的ではあるけど、体への負担はムチアンに比べれば少ない。
入院管理が必要。投薬代はムチアンほどではないけど、持続的に点滴や検査や食事の管理をすることで結果的に高額治療にはなる。保険適用外。
寛解率はなんとも言えない、神のみぞ知る
三つ目
NPO団体、動物愛護民間ボランティアなど、加療が必要なねこちゃんを引き取り、治療の一切を担ってくれる団体を病院が紹介→そこに引き渡す。終身預かりとなるから多額(40〜100)な費用はかかるけど、必要に応じて可能な限りの治療とケアが約束されはする。遠方になるのでほぼ会えなくなると思っていい。病院と提携しているのでアフター的には安心
本当は、本当は、一つ目のムチアン治療をしたかった。するべきだったとも言えるかもしれない。助かる可能性が一番高いものに懸けることが、命を預かった者としての責任だと思った。ネットでも、ムチアンを行ったねこちゃんが奇跡的に寛解した例をいくつも見た。お金と命を比べるまでもない。
でも、完全な在宅ワーカーでないかぎり、つきっきりでそばにいて、時間が厳格に決まっている投薬とケアをするなんてできない。入院させる手もあるけど、ただでさえ高額な治療薬代に入院費が加わったらそれこそ私が餓死する。私はまだ社会人二年目で、お給料も低い。着実に貯金はしていたけど、それでも一人暮らしでできる貯金なんてたかが知れていて、生活を投げ売ることには当たり前に不安があった。不安に思う自分が不甲斐なくて情けなくて申し訳なかった。私にもっと金銭的な余裕があればと、悔やんでも仕方のないことを悔やんではオユちゃんごめんねと思って涙が出た。もちろんムチアンは体への負担が大きいから避けたいという大義名分もあったけど、それは自分への都合の良い言い訳にしかならない。
無い袖は振れない、私は1,200,000円の厶チアン治療を諦めるしかなかった。少なくとも今の暮らしを考えると現実離れしている。治療を依頼して一命を取り留めたとて、その後オユちゃんに不自由ない暮らしをさせてあげられる保証はない。
悔しい。いまこの瞬間もずっとずっとオユちゃんごめんねって思っている。
悩んでいる間にも、着々とオユちゃんの病状は悪化していて、少しずつ腹水も溜まり、ごはんを受け付けなくなっていたから、私は治療をさせなければという焦りに毎分毎秒駆られていた。早く苦しさから解放させてあげたいと思うあまり、一時間おきに病院に今すぐムチアン始めたいです(=転院させます)と電話を掛けそうになっていた。やっと残った理性でその気持ちを抑えて、私が選んだのは二番目の治療。
そして今もなお、オユちゃんは私と離れて、病院で頑張っている。
さみしい、本当にさみしい。
さみしくて死にそうになる、という感覚を知るほどに、さみしがっている場合ではないなとも思える。愛は金、なんて言いたくない、言いたくないけど、愛は金なんだという残酷な現実を突きつけられてきた。私が治療費を払えず、ここまでしか無理ですと病気に伝えていたなら、オユちゃんの命は今ごろなかったと思う。大切な存在の命が危ぶまれたことで初めて、愛とお金の等価交換を目の当たりにした。皮肉すぎる人生の学び。
小康状態になったり、また不安定になったりを繰り返しながら、それでも薄紙を剥がすように良くなってきている、と信じたい。オユちゃんは何度も何度も私に愛とやさしさと安らぎをくれた。こんなに大切な存在は他に二つとない。あの愛おしい唯一無二の命を守る可能性が少しでもあるなら、なんだってしたい。しなければならない。しなければならないと言いながら、結局その可能性が最も高い治療を選ぶことができなかったわけだけど、それでも別の治療を続けることを決めたからにはその責務を全うする覚悟はある。私にできることはそう多くはないけど、時間の許す限り会いに行って、たとえその気持ちが一方通行だとしても、がんばれがんばれ、待ってるよ、早くおうち帰ろうねって、何度だってそのちいさな体を撫でてあげたい。
さみしい。この2ヶ月、なにをしていても、なにを食べていても、なにを読んでいても、ずっとさみしくてずっと苦しかった。毎日ねこの夢を見る。治った夢も見たし、そうでない夢も見た。でもオユちゃんはきっともっとつらい。飼い主がつらさに倒されて弱ってどうする、つとめて明るく、つとめて元気に、つとめていつも通りに働いていくしかない。愛は金、なんて言いたくないけど、あえて言わなければいけない。
愛は金。理不尽なほどに、残酷なほどに、オユちゃんへの愛を、病院の受付で渡される領収書を見て突きつけられる日々
オユちゃんはこの点滴やこの検査辛くないんだろうか、この治療費を払うのって私のエゴでしかないんだろうか、いろいろ考えることはあるけど、後先考えてられない。いつまで続くんだろうとか、在宅治療ちゃんとやっていけるだろうかとか、ふと疑問が浮き上がってきては、いやそんなことはどうでもいい、助かればいい、生きていればいいと、全てのもやもやを一旦は消し去っている。
治療の行く末、どんな経過をたどるのか、どんなケアの方法があるのか、なにも情報がなくて困っていたときに、ネットやnoteやTwitterでいろいろな記事を見て本当に勉強になった。それだけで気持ちも楽になったから、私もいまのありのままを書いておこうと思った。オユちゃんの回復まで書かずにいることもできるけど、やっぱりずっと胸に抱えているのは苦しくて、ひとつでも多くがんばれの文字が見たくて、オユちゃんにも一緒にがんばろうねを伝えたくて。私だって馬鹿じゃない、考えたくない現実も考えながら、明るい道とそうでない道を見つめながら、毎日毎日、オユちゃんを家に連れて帰る未来を祈っている。
普段はこのくらい(4,000字)のnoteなんて通勤時間にさっと書いちゃうのに、オユちゃんという文字を打つことが苦しくて一週間もかかってしまった。数日前は自分でお水を飲んだそう、えらいね、頑張ってるね。ごめんね、私はなにもしてあげられない。
大丈夫 大丈夫だって信じたい
がんばれください、私に
がんばれあげてください、オユちゃんに