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里芋に愛を相談
こんにちはこんばんは瀬戸です。寒い日が続いて見事に指先がひび割れてきた、痛くてかなしい。しもやけとかいうキュートな名称が許せない、動かすのが困難になるくらい腫れて痛くて困ってるんだから、もう少し重症感のある名前がついていてほしかった。とはいえ今年は2月までよく持ちこたえたな、毎年12月には痛みとの闘いがスタートしていたことを思うと成長成長。4月ごろにもなれば落ち着くことはわかっているから、しばし高級クリーム(=ユベラ)塗りたくって春を待とう。明けない夜も、止まない雨も、終わらない冬もないですからね〜と言い聞かせて24年生き延びてきた。
お弁当を作っていて、夏は避けるけど冬は余裕で入れてしまうもののひとつはポテトサラダ。私はポテトサラダのことが大好き、ポテサラと略す人はポテトサラダに本当に失礼なので悔い改めてください。ポテトサラダは「テト」と「ラダ」が重要だと個人的には思っている。全ての音に愛をこめて呼んであげて。
閑話休題、ポテトサラダに入っていてほしいものはりんご、きゅうり、にんじん、たまねぎ、ゆでたまご。りんごは賛否両論あろう、サラダにフルーツ肯定派としては、しょっぱさメインの味付けのなかにりんごのさわやかな甘さと食感がいてくれると嬉しい。きゅうりと玉ねぎは極力薄く、塩もみはしっかり。にんじんはやわらかめに茹でておく。ハムとかベーコンとか入れるレシピ多いけど、個人的にポテトサラダにボリューム感(肉要素)はあまり求めていないから自分だけが食べる時は入れない。人に作る時は彩り的によろしいので入れる。味付けはシンプルに塩こしょうとマヨネーズ、たまにカレー粉。ポテトサラダには熱い紅茶が合うと思ってるんだけど私だけ?
ポテトサラダ、と聞いて、たいていの人はじゃがいもの姿を想像すると思うけど、私はあらゆるポテト(=広義の芋)でポテトサラダを作ってきた。
かぼちゃ→最近はおしゃれデリ的な地位を確立しつつあるかぼちゃサラダ。レーズンとシナモン入れてデザートっぽくもなる
さつまいも→意外と出汁っぽい味付けが合う。そのままで甘いからしょっぱい和食の箸休めによろしい
長芋→叩いてわさび醤油と和えて七味かけるだけ、芋界においてダントツで食感がナイス
里芋芋→愛すべき里芋、、、意外とマヨネーズベースが合う、ネギとしらすとマヨポン酢が群を抜いておいしい
と、ここまで書いて里芋の存在にライトを当てたくなって
今日のテーマは里芋です
この前とってもおいしい里芋料理を食べに行った。生まれてこのかた、それはもう堂々と里芋が好きと公言して生きているけど、いかんせん里芋は話題に欠く食べ物だからそこから話が盛り上がることってあまり(ほとんど)ない。パスタが好き!と言えば、ラーメンが好き!と言えば、「おいしいお店知ってるよ〜」みたいな話の広がりが期待できるんだろうなとは思う。でも里芋は本当に食材として微妙なポジションにある。主食でもなければ副菜としてもサブのサブ、世間一般での印象なんて、豚汁か煮物かくらいでしょう。あんなに白くてやわらかくておいしくて栄養たっぷりの食べものなのに、なんて嘆かわしい、、 で、当然里芋を目当てに外食することなんて無いに等しい日々を過ごしてきた。見つけたら食べるけどそもそも見つからないので、里芋を食べるのは9割9分家の中かお弁当。そんな里芋飢えの日々に一筋の光が。
浦和駅近くにあるお料理屋さん。昼間は定食、夜はおいしい小料理(魚と野菜メイン)を出す居酒屋。たまにうどん屋さんになるという不思議すてきコンセプト。里芋の唐揚げがあると言われ、そんなこと言われちゃったら仕事帰りだろうがなんだろうが喜び勇んで走っていくしかない。走っていった。
高いデパコス情報より、おしゃれなカフェ情報より、エステの無料体験情報より、里芋がありますよ情報のほうが何億倍もうれしいです泣
居酒屋にてお刺身をガン無視して里芋の唐揚げと里芋グラタン(と肉豆腐)を頼む人々。ちなみにアルコールなしであたたかいそば茶。里芋にアルコールはだめでしょう、繊細な味を楽しむために酩酊はいらん。そば茶を淹れまくっていた蕎麦屋バイト時代を思い出しながら里芋の到着を待つ。ひざ掛け使いますかとお声がけくださる店員さん優しくてloveでした。
里芋の唐揚げ到着。食べやすくカットされて、薄めの衣で揚げられた里芋。優しい味の出汁を纏って、ちょうどよい塩味、ほくほくとねっとりを併せ持つ里芋。里芋の一種の海老芋が使われていて、関東だとなかなか海老芋と出会うことないから嬉しかった。書くまでもなくおいしい、里芋のきめ細やかな質感がたまらない、唐揚げに少し甘めの出汁を吸わせたらこんなにお上品なテイストになるのかと目から鱗。里芋は汁物に用いられがちだけど、揚げ物にして主役にしてあげるのいいなあ。頑張ります、作ってみたい。
里芋グラタンがこれでもかという湯気を上げて到着。ほうれん草とチーズもたっぷり。里芋がごろごろ入っていて、やさしい味のホワイトソースと絡んでまろやか。熱いけど、熱くなければグラタンではない。グラタン皿ってやっぱりかわいいなと思う、分厚くてぽってりした形が大好き。里芋とチーズとほうれん草、私の好きなものたち大集結。あつあつやわらかな肉豆腐を楽しんで、つるつるで信じられないくらいコシのある胡麻だれつけうどんを食べて、空っぽだった胃が幸せに満たされた。おいしいうどん久々に食べた、家でゆでるうどんもあれはあれで好きだけど、手打ちで、しかもゆでたてのうどんはやっぱり一味も二味も違う。
真剣に食べるごはんには真剣な会話がよく似合う。人はなんのために恋愛をするのかとか、家族ってなんなんだとか、告白の慣習ってなんなんだろうとか、簡単なようで難しく、浅いようで深い話を延々と。途中で私なに喋ってるんだろうと思うこともあって、でも話す過程でまとまる考えもあって、話しながらじんわり体が温まったし満たされた。物理的にも、気持ち的にも。
小手先の愛嬌、人当たりのよさ、話題の豊富さ、会話の「うまさ」なんて、まっすぐ真摯な語りの前にはどうしたって無力なんだよなと思う。私が尊敬してきた人たちがそうであったように、いつだってクリアな本音を話したい。自分が思っていることを、自分が持てるだけの言葉を尽くして、相手に伝える努力をしたい。それがうまくいってもいかなくても、言葉の建設を諦めないことにきっと意味があるし、誰かがその言葉を笑ったってそんなのはまったくどうでもいいことだ。
大人になると無条件に真剣な話ができない、できているようでそれは仕事を代表に条件下での語りの場であることがほとんど。自分自身と真剣に話をすることはできても、重要な他者と話をすることは簡単じゃない。そういう意味では、相手がどんな人間であるかということ以上に、この対話を行えるという事実がどこまでもありがたく尊いものだねと思った。難しく書いたけど、まとめると里芋料理がめちゃくちゃにおいしかった一日でした。食べる前は里芋のことしか頭になかったけど、食べたあとはちょっと人生についての思考が付加されて、なんともさわやかな締めくくり。里芋はやっぱり、いい。
次に作ろうと思っているのは里芋入りハンバーグ
あの粘りはハンバーグのつなぎになりうる気がする
付け合わせはもちろん里芋ポテトサラダ←芋芋しくて草
瀬戸水葉