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幸せ炒飯食べようよ
こんにちはこんばんは瀬戸です。大きめの試験も無事に終わって一安心、高校生や大学生の頃は一日五時間以上勉強するのなんて余裕だったけど今となっては二時間超えるときつくなってくる。老化〜!飽きてくるというわけでも、疲れてくるというわけでもなく、ただただ「なんか違うことやりたい(やらねばならない)」的な感覚に襲われる。←これを飽きると言うのでは? もともと受験勉強でさえも五時間以上は厳しい感じだったからな、もっと年取ったら一時間もじっとしていられなくなるのかもしれない、、、それはそれでまあアクティブシニアってことで。
最近高校時代の友達(通称みのち)と久々に連絡を取った。みのちは大学院に進学したからこの春に就職。ずっと働きたくない〜と言ってたけどいざ就職を前にすると意外と気楽らしい。めっちゃわかる、毎日決まった場所へ行って求められた仕事をこなすだけで日々暮らせるだけのお金がもらえるのってシンプル。好きな仕事ならそこに楽しさも加わるからいいよね。みのちは私とよく似ていてけっこう現実主義だから、学生という可能性もあるけど宙ぶらりん感の否めない身分より社会人のほうが気持ち的には楽になるかもしれない。お互い頑張ろうね。世界の片隅で社会貢献していこ。
24にもなると人生の足並みは本当にばらついてきて、学生の人もいれば、大学進学していないから社会人6年目の人もいれば、結婚して子どももいる人もいる。企業して会社を動かしている人も、海外を渡り歩く人も、それぞれがそれぞれの人生をガンガンに動かしていてすごい。私はわりとのんびりさんなのでゆるやかに日々をこなしているけど、今年はけっこうしっかり動こうと思っていろいろ準備をしてはいる。何事も先手必勝のスタンスはずっと変わっていない。先手必勝に落ち着きが加われば最強なんだけどね(私は常に落ち着きがないからだいたい焦りと軽微なコケと怪我が付帯している) これだ!と思ったらさっと動きたいし、なんか違うと思ったらその感覚を大事にしたい。自分のセンサーの鋭さにはとてもとても自信があるからガンガンいこうと思う。
完全土日休みではない職場のいいところは、生活がルーティーン化しないところ。連休ないと疲れない?って聞かれることあるけど、むしろ土日連続で休むほうが調子狂う。平日に出歩くのかなり好き、どこ行っても落ち着いてるし謎の背徳感がある。土日休みの人と休みが合わないことが唯一のネックなんだろうけど、休日に会って遊びたいと思える人も多くないから問題なし。本当に必要があれば自由に休み取れるしね、リモートもしようと思えばできて、休日も割と自由に決められて、やさしい上司とやさしい同期に囲まれて好きな仕事ができる今の環境ってもしかして天国(←もしかしなくても天国)
平日の仕事帰り、基本さっさとまっすぐ帰るけどときどき職場近くの炒飯屋さんに行くことがある。中華屋さんではなく炒飯屋さんと呼んでいるのには理由があって、と書きたいところだけど深々しい理由はない。ただただ炒飯(厳密にはレタス炒飯)がおいしくてほかのメニューを頼めないから炒飯屋さんと勝手に呼んでいるだけ。ちなみにこのお店を教えてくれた上司はいつも回鍋肉定食を食べているからほいころ屋と呼んでいる。ほいころやかわいすぎ。
仕事でへとへとになった空腹の胃に、ほうほうと湯気の立つ炒飯を送り込む瞬間、いつもいつも意識を失いそうになる。一緒にわかめスープと謎のお漬物も付いてくるんだけどこのスープがまたおいしい。そしてとんでもなく熱い。炒飯はシンプルで、卵とネギと角切りチャーシュー入り。卓上に塩コショウが置いてあって、運ばれてくるときに店主のおじさまが「味薄かったらかけてな」と言ってくれる(薄かったことは一度もない)。カレーと同じく、炒飯はカトラリーを動かす行先がひとつなので考えることが少なく済んで楽だから好きっていうのもある。私はスプーンやお箸をあちこち移動させてバランスよく食べていく(減らしていく)料理がどうにも苦手。一人ならなんとか頑張れるけど誰かがいるとわりと消耗する。代表的なのは小鉢付きの和定食や小料理がいくつも並ぶスタイルのイタリアン、五月雨式に出てくる居酒屋も気合が必要かも。苦手ってだけだから仕方なしに受け入れることもいっぱいあるけど。
人と食事をするのは今でも全然得意じゃない。でも「嫌い」ではなくなってきたあたり、社会人になってからだいぶ成長したなあと思う。小難しい話、悩ましい話題も、なにかを食べながら適当に話し合うとなんかうまいこと丸く収まることもたくさんあって、そのたびに「ごはん行く?」のパワーってすごーと感動してきた。一人でも行える食事をあえて誰かとするって、愛だよなと思う。単に栄養の摂取だけではない、心の栄養を得る時間。「どう?おいしいでしょ」「めっちゃおいしいです」「よかったね〜いっぱい食べな」「ごちそうさまです!」「奢るって言ってないけど」みたいな、会社のデスクでは絶対に繰り広げられることのない会話が発生する時間。書いてて愛おしくなってきて草
まだまだ後輩がたくさんいるような立場ではないけど、仕事でミスがあったり自分の不甲斐なさに悔しくて泣きそうだったりした日の帰りに炒飯を食べさせてもらった恩を、いつかきっと誰かに送りたい。恩返しじゃなくて恩送り。私に炒飯を食べさせてくれる上司も、きっと「後輩にうまいものを食べさせて励ます」という古典的な愛を浴びて育ってきたのだろうから。私はレタス炒飯もりもり食べて勝手に幸せになり、上司は回鍋肉定食をもりもり食べて勝手に幸せになっている。中華料理店にて勝手に幸せになっているヒラ社員二名、平和の創造はまさにここから。
仕事仕事〜って言ってるけど生活が仕事に傾倒しているかといったら全然そんなことない。プライベートも充実、というかプライベートってなんなんだといつも思う。人生はすべてプライベートでしょ、公に言わないこと、書かないことがプライベートなのだとしたら、私のプライベートは本とカレーと愛と自然に満ちていてそれはそれは豊か。絶好調もないかわりに絶不調もなく、ゆるやかでおおらかな幸せが散らばっているなという感じ。なんにせよ健康に過ごせるのはありがたいことね。
2月もまもなく折り返し。引き続きいちごが高い、しかしいちごが高いからといってバナナを買ってなどいられず、望みのままにいちごを食べて幸せをかみしめる冬。ここ数日暖かくて嬉しいわ、春は楽しみがいっぱい。好きな人に会いに行ったりとか、好きな音楽を聴きに行ったりとか、好きなものを食べたり作ったりとか。春関係なくて草
瀬戸水葉