「好き」増やしの中毒性

 こんにちは!中学校教員をしていたものです。今回はX(旧Twitter)のスペースでたまたま話題になった「好き」という感情の持つ中毒性について語っていきたいと思います。


「好き」という感情の話

 皆さんにとって、「好き」という言葉はどういうものでしょうか?私は、「好き」というのは感覚的なものから湧き出す感情みたいなものだと考えています。
 たとえば、「この感触が心地よい」だとか、「この香りは癒される」だとかの、ポジティブな気持ちに引き寄せる、感覚と気持ちをつなぐ感情だと考えています。
 現代社会では、みんなが好きだから私も好き、という他者軸で好き嫌いを決めている人たちがいるのかなと感じる部分があります。
 しかし、この感情は、主体的なものが多く、客観で動かすのがとても難しいものだと考えています。
 それでは、「好き」ってどこから生まれてくるのでしょうか?述べていきたいと思います。

「好き」の出発点は五感

 みなさんは何が好きですか?この問いに対して、どのような事や物を思い浮かべるでしょうか?皆さんの「好き」の正体は一体どこにあるのでしょうか?
 まず、何処から「好き」が湧くのか考えてみましょう。私は、例えば、ジャスミンの香りが好きです。特に、さんぴん茶(ジャスミンティー)を飲んでいるときに渋みと共に香る、芳香が好きです。つまり、この場合の「好き」の出発点は、気に入っている匂いになるのです。
 では、みなさんの「好き」の出発点はなんでしょうか?好きなものが、何が好きなのか説明できますでしょうか?私は、この時に意識することが、五感のどれが反応しているのかを意識します。さっきの話で言えば、匂いの反応、つまり嗅覚が出発点となっていますよね?好きな香りを匂うことが「好き」な行為になっていくんですよね。この味が好きだとか、この曲のこの音が好きだとか、この触り心地が好きだとかがあると思うんですよね。
 まずは、五感から出発して「好き」が存在するものが多いということに気づくところから、「好き」とは何かを考えていくことで、自覚していくものだと考えています。

五感以外で感じる「好き」

 でも、世の中は、五感で感じるもの以外でも好き嫌いがあると思います。たとえば、好きな言葉だとかは、聴覚を通して好き嫌いを判断しているものもあるかもしれませんが、文字で見ても好き嫌いを判断できる場合は、五感ではなく、その言葉に乗る気持ちに「好き」が隠されているわけですね。
 これは、五感を超えた自分の意識や感情にリンクして、「好き」という好意的な感情にアクセスするので、感覚的な「好き」とはまた別の場所にありそうです。
 逆に言うと、五感を介さない、自分の生まれ持った感覚を介さないので、ある程度の操作はできそうな気もします。
 たとえば、いままで興味なかったドラマも、友達にお勧めされて見始めたときに、意外とハマってしまった。そうなると、今まで見てもいないし興味もなく、なんとも感情が湧かなかったものに対して、「面白い」、「熱い」、「もっと熱狂したい」という気持ちがこみあげてくるようになるかもしれません。そうなったら「好き」になってますよね。これは、五感と直接つながっているわけではなさそうです。

「好き」は自分が出発

 上記の二つ、五感の「好き」も、五感以外の「好き」も実は自分がスタートだということに気づくことが大事だと思っています。
 五感の「好き」は、自分の生まれ持った体の感覚がスタートなので、自分スタートの「好き」だというイメージが着きやすいと思います。しかし、五感以外の「好き」は前述したとおり、いくらでも後付できるのに、自分スタートであるのか?という問いがあると思います。でも、私はこれは自信をもって自分スタートだと考えています。
 なぜなのかというと、実際に「好き」になるは結果だからです。どういうことかというと、過程がどうあれ、「好き」を操作すること自体が難しいということなのです。前述した例は、たまたま「好き」になるドラマに出会えたから「好き」になった例だと考えています。つまり、「好き」になるかどうかは、「好き」になるように操作された事例ではなく、「好き」になれる可能性があるものを、たまたま今まで「好き」じゃなかっただけだと考えています。となると、先ほどのある程度操作できるは少し語弊があるのかもしれません。
 でも、このように、自分が何が「好き」かは自分でもわかりにくいものだから、いろいろ自分で操作してみて、他人に操作されてみて、「好き」を探していくことが大事なのかなと思います。
 ある意味、「自分探し」の中に、「自分の”好き”探し」があるのだと思います。「好き」かどうかは、自分の中から掘り起こしていくものなのだと考えます。


「好き」を増やしていくことはメリットがたくさん!

 今回の本題なのですが、「好き」という感情があると、とてもいいことがあるのです。「好き」であふれていることが、自分の生活の中で幸せと感じる機会が多くなって、生活自体が豊かになる感覚にあふれてとてもいいことなのです。まぁ、そんなの当たり前だとは思うんですけど、そのメリットと、本題の「中毒性」について書いていきたいと思います。

「好き」が増えると「嫌い」が減る

 みなさん、「好き」って増えていますか?前述したとおり、「好き」かどうかはきっかけをもとに発見していくことができるんです。だから、「好き」は増やしていけるのです。
 「好き」が増えていくと、世の中のいろいろなものが「好き」になっていきます。こうなると、何もなかったものまで「好き」になっていきます。なので、「好き」なものに携わる時間も増えるのです。これだけで、幸せを感じる時間も増えていくのです。
 また、「好き」が増えると「嫌い」が減ります。「好き」なものの「好き」な部分を感じていくと、全ての物事に「好き」に共通する部分が見えてくるようになるのです。つまり、視点が変わるのです。こうなると、「嫌い」だったものの中から、「好き」だと感じれる部分を見つけることができるようになります。そうなると、「嫌い」が「嫌いじゃない」になっていくこともあります。
 また、スペースで懇意にさせていただいている、めぐるんさん(https://note.com/megurudayo/)が言っていたことですが、「「好き」と「嫌い」のキャパシティには限界があるので、「好き」が増えると「嫌い」に割く量が相対的になくなる。」ということに目からうろこが落ちました。「好き」が増えるとそもそもの「嫌い」が自分の中からいなくなるんですね。

「好き」を増やすことは中毒性がある

 この「好き」が増えていくことの良さを知ると、「好き」を増やすという行為の良さに気づくことがあります。
 「好き」が増えていくと、自分の物の見方が変わってくるので、そもそも、新しいものに出会うこと自体に「好き」という感情が芽生えてくるのですね。だって、新しいものに「好き」が隠れている可能性がどんどん増えていくのですから。
 そうすると、「好き」を増やしていくこと自体に「好き」がくっついてくるわけですね。そうすると、「好き」なことをすることと、「好き」を増やすがイコールでつながるときがやってくるのです。そうすれば立派な「好き中毒」なのです。
 「好き」というものを感じる時間が「好き」ってことから、「好き」を増やしていくことも全てが「好き」になっていくのです。そうすると、万物が「好き」になっていくのではないかと思うレベルに「好き」であふれるのです。

「好き」中毒になりましょう!

 もちろん、「嫌い」なものは「嫌い」でいいのです。「好き」なものに時間を割いていたら、「嫌い」に割く時間なんて無視できるレベルなのです。その時間がどんどん増えていけば、「嫌い」の影響などそんなに感じることはないのです。
「好き」の中毒性を理解して、上手く利用すること。これが自分の心を豊かにしていくことにつながると思います。みんなの心が豊かになれば、平和の一歩へ歩めると思うのです。だから、みんな「好き中毒」に騙されたと思ってなってほしいなと思います!

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