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「怪獣/サカナクション」についての雑記

どうも、ホッシーです。

本日2/20(木)、サカナクションが約3年振りに新曲「怪獣」を発表しました。

こちらの曲は現在NHK Eテレで放送中の「チ。 -地球の運動について-」のオープニングテーマとなっており、昨年の10月にアニメバージョンが公開されていましたが、
そのフルバージョンが今回、各DL&サブスクリプションサービスで配信されたのです。

皆さん、聴いた後どう思いましたか?

わたくしはサカナクションのファン(魚民)として、そして昨今のボーカル山口一郎の数年を気にかけていた身として、
こんなに嬉しいことはないという気持ちと、
あまりにも凄まじい完成形に、
「ちょっと完成が遅くなったことなんて、気にするに値しないじゃないか」
とその驚きをしみじみと感じている自分がいます。

昨晩の生配信での発表、そして音源を聴いたファーストインプレッションとして、
荘厳かつ繊細な曲だなと感じたのですが、
その一言でまとめるには何かが足りないし、
今の自分とリンクするテーマを感じざるを得ないと思いました。

今回のエントリーは、そんなサカナクションの「怪獣」について、
拙い文章ながら、主張の強い自分の中の「怪獣」「ここに残しておきたいんだよ」「遠く 遠く 叫んで」いるので、
歌詞のフレーズと共にその感想や個人的な考察も兼ねて書いていこうと思います。

人それぞれに感じたテーマや考察が違うと思うので、あくまで一例として読んでみてくださいね。
もし良かったら皆さんの感想も教えてください。

「チ。 -地球の運動について-」

こちらの「怪獣」を語る上で避けて通れないのが、その主題歌である
「チ。 -地球の運動について-」
のストーリー。

この物語のあらすじを一言でまとめると
「『地動説』が異端とされている世界で、その説が認められるまでに闘った異端者たちの物語」
です。
(完結した漫画ではありますが、内容を語ると読んだ時の衝撃度が下がると思うのであまり言及しません。ぜひ読んでみてください!)

つまり
「ある1つの言説や行動がマジョリティのものになる過程で闘ったマイノリティの物語」
だと個人的には感じています。

「チ。」では、今となっては
「ガリレオ・ガリレイが唱えた地動説でしょ?」
として広く普及しているこの説について、その事実誤認なども逆手に取って、その説が広く普及するまでに起こった背景をフィクションを混ぜながら描く漫画として描かれています。

現在では共通認識が通底し、当たり前となっている考え方や行動には、それらがマイノリティである頃から存在を唱えてきた人々やコミュニティがあります。

今も異端者とされているマイノリティは、現在進行形でその存在証明のために闘っています。

例えば女性差別や人種差別、未解明の病気を抱える方などは、
長らく当たり前とされ仕組み化されてきた制度や体制、宗教、研究等とその信仰を持つ人々
(この例で言えば男性、白人、健常者などでしょうか)
から理解を得られず抑圧されている現状にあると言い切れます。

「ただ存在していること、その状態にあるということ」を認め、その上で共生する環境を仕組み化していくことの難しさは、様々な進歩があれどその本質は現在も変わりません。

自分も障害当事者として日々これらを痛感していますし、おそらく病気を発症してもなお音楽に身を捧げる山口氏ならより強く感じているのではないかと勝手に思いを馳せてしまいます。

「怪獣」は、見方の1つとしてこの「異端者=マイノリティ」のことを表しているのではないか、という考察の元で、
ある種のマイノリティ性を持つ者が持つ
「抑圧のある状態から先の未来に橋渡しをする何かを残しておく」
というテーマを、この曲を聴いて想起しました。

「何度でも叫ぶ」という強い所信表明

冒頭の歌い出しは

何度でも
何度でも叫ぶ
この暗い夜の怪獣になっても
ここに残しておきたいんだよ
この秘密を

「怪獣/サカナクション」より引用

から始まります。

歌い出しの「何度でも叫ぶ」という言葉には、これからのサカナクション(そしてボーカル山口一郎)の、
「新しい自分になっていく、それをドキュメンタリーとして音楽にしてさらけ出していく」
という幕開けの言葉だと感じました。

そして、
「この暗い夜の怪獣になっても」が、
「まだ未解明な先の見えない状況で異端者であったとしても」
と読み取れると思いますし、
そうなると
「マイノリティとして、今はまだ誰も、そして自分ですら理解できない状態だとしても、それがいつか当たり前のものになるまで続ける」
という「マジョリティの中のマイノリティとして音楽を続けていく」山口氏の意志の言い換えようにも聴こえました。

「赤と青の星々」

だんだん食べる
赤と青の星々
未来から過去

順々に食べる
何十回も噛み潰し
溶けたなら飲もう

「怪獣/サカナクション」より引用

赤と青の星々と聞くと、天文学の用語でもある赤方偏移やドップラー効果が想起されます。
遠くにある光は赤く見えて、近くにある光は青くみえるというものです。

このモチーフ以外に、ある映画を思い出しました。

「赤と青」と言えば、映画「マトリックス」に登場する
「レッドピル」「ブルーピル」
が想起されます。
「マトリックス」では、登場人物であるモーフィアスが主人公ネオにこう迫ります。

青い薬を飲めば、物語は終わりだ。
自分のベッドで目覚め、そこから自分の信じたいものを信じれば良い。
赤い薬を飲めば、この不思議の国に留まることが可能だ。
このウサギの穴がどこまで深いのか見せてやる。

映画「マトリックス」より


劇中では「青い薬」は真実とは程遠い、自分によって都合の良い世界に留まる薬として、
「赤い薬」は不都合で不確かであったとしても、真実を知る薬として描かれています。

赤い薬、つまり未来を知るにはそれまでの過去(青い薬)を対照的に理解する必要がある。
変化や転移が生まれるパラダイムシフトには、とてつもなく時間や機会を要します。

淡々と知る
知ればまた溢れ落ちる
昨日までの本当

順々と知る
何十螺旋の知恵の輪
解けたなら行こう

「怪獣/サカナクション」より引用

アニメのテーマでもある地動説誕生から現在に至るまでに、自分たちが住む環境には大きな変革の歴史が存在するわけで、そしてそれは今も尚続いています。

特に、技術の大きな発展の影響を受け、かつてよりもリアルタイムに新しい変化や流行が可視化されやすくなった現代では、自分では把握して消化し切れないほどあらゆる情報が行来しています。

そんな中でそれらの情報に左右されず淡々と知る、順々に知る。
時間の経過や変化を自分の中に体系化して、その中から本質を見定めていきたいというエナジーをここからは感じました。

「花びらは過去」

淡々と散る
散ればまた次の実
花びらは過去

「怪獣/サカナクション」より引用

この「花びら」は何かと考えた時に、自分が思い浮かべたのは「過去の栄光」でした。

時間は経過していき、過去に栄えていた文化や覇権を握っていた栄光は淘汰されたり形骸化されていくという一連の流れを「花びらは過去」と表しているのだとしたら、なんて美しい表現なんだとわたくしは思いました。

単純に生きる
懐柔された土と木
ひそひそと咲こう

「怪獣/サカナクション」より引用

こちらも自分の好きなフレーズです。
「懐柔された土と木」とは、
「自分は上手く馴染めないが多くの人にはアプライされた環境」
のように思いますし、その中でひそひそと咲くというのは、山口氏が言うまさに
「マジョリティの中のマイノリティ」
という概念に当てはまるのではないかと思いました。

寂しさと淋しさ

この曲のCメロでは2つの「さみしさ」が使われています。

1番では

丘の上で星を見ると感じるこの寂しさも
朝焼けで手が染まる頃にはもう忘れているんだ

「怪獣/サカナクション」より引用

2番では

点と線の延長線上を辿るこの淋しさも
暗がりで目が慣れる頃にはもう忘れているんだ

「怪獣/サカナクション」より引用

1番では、おそらく「チ。」の世界観を表していて、第1章ではフベルトやラファウ、第2章ではオクジーやバデーニ、第3章ではドゥラカなど、それぞれが抱えてきた学問へのロマンと、それらが時間経過と共に実存として忘れ去られていきながらも続いていく様子を想起しました。

2番の「淋しさ」はどちらかというともっと内省的で、かつ広義的なものを感じました。

この「淋しさ」は孤独感や他者との関係性の希薄さを自覚した際に表れるものを指していて、
おそらく「点と線の延長線上を辿る淋しさ」とは、
「前例や慣習に相反し、個別性の高い選択を選ぶことで付きまとう孤独感」で、
「暗がりで目が慣れる頃には忘れる」とは、
「他者との関係を忘れるほど孤独であることが当たり前になっていく様」
を表しているように読み取れました。

好都合に未完成な世界と好都合に光る未来

さて、この曲のコーラス部分は

この世界は好都合に未完成
だから知りたいんだ

でも怪獣みたいに遠く 遠く 叫んでも
また消えてしまうんだ

「怪獣/サカナクション」より引用

そして最後のコーラスは、

この世界は好都合に未完成
僕は知りたいんだ

だから怪獣みたいに遠くへ 遠くへ 叫んで
ただ消えていくんだ

でも

この未来は好都合に光っている
だから進むんだ

今何光年も遠く 遠く 遠く 叫んで
また怪獣になるんだ

「怪獣/サカナクション」より引用

となっています。

このコーラスはアニメタイアップ曲としても、そしてここ最近の日本のロックの中でも屈指のフレーズだと個人的に感じています。


ここは…もう…言葉より胸を打つ感情が先に来ちゃうのでちょっと書けそうにない…ないです…


そして、この「消えてしまう」というフレーズにも、ただ儚い感覚だけでなく希望のある言葉だと感じました。

「チ。」の最後の辺りでラファウがこんなセリフを残します。

過去や未来、長い時間を隔てた後の彼らから見れば、今いる僕らは所詮、皆、押しなべて"15世紀の人"だ。

今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。

「チ。 -地球の運動について-」第8集より引用

私たちが日常的に享受しているありふれた物や考え方の恩恵は、それが誰によってもたらされたものなのかというよりも、それによって何ができるか、何ができたかによって効力を発揮します。
だから私たちが生きる現在から見て、遥か未来の人間からすれば同じようなことが繰り返されていくのです。

だからこそ、先人たちと同じように、自分の信じる残しておきたいものや事象を
「遠くへ 遠くへ叫んで また怪獣になる」

「続けていく行為を(彼らの場合は曲として)辞めず、また生まれるマイノリティに何かを残しておく」

そう思うとこの曲のスケール感はとても広大だなと思います。

終わりに

なっげぇ…

いやしかし「怪獣」、とんでもなく凄まじい曲ですね。
個人的には今までに聴いたどの応援歌よりも、明らかに自分を鼓舞してくれる曲になることは間違いないと思いました。

ところでこの曲、アニメや漫画では「真実・真理を知りたい」と言う登場人物はいますが、曲中では「真実・真理」という言葉が出てこないんですよね。

個人的にはここも一考の余地があると思っていて、
「それが本当に正しいかどうかはその立場や見方で変わってしまうが、それでも多くの事象を知りたい」
という祈りのようなものがあるのかなと思いました。
それを知った先にこれからのサカナクションの、そして山口氏の生み出す曲に繋がっていくのではないかと思っています。


わたくしはここ最近、
「マイノリティからマジョリティになるパラダイムシフトの中では何が起こっているのか」
ということをよく考えています。

だからこそ真実を探るために闘う様子を描いた「チ。」や、そのテーマソングを担当しながら、様々な紆余曲折の最中で変化していくサカナクションの曲がとてもヒットしたのかなぁと考えているところです。

余談ですが、わたくしはこれを書きながら、
「そうだった、自分はこうやって音楽の歌詞を読んだり、本を読んだりしながら『これはどういうことなんだろう』と考えながら覚えていくのが好きだったんだなぁ。」
と思い出したりしています。

あまりまとめられた自信は無いのですが、自分の中でホットな内に書いておきたかったので大満足です。

皆も「怪獣」聴こうね!

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