社長の晴れ舞台のプレスリリースを書ける喜びね。【ホッシーの新米広報奮闘記 #15】
どうも、ホッシーです。
月見バーガーの季節になりましたね。
この月見バーガーを始めとするマックの季節限定商品が発売されると、なんというかクリスマスとか正月ぐらい季節を感じるなぁと思う今日この頃です。
さて、9月8日に京都で開催されたICCのイベントに、弊社代表の島田さんがピッチ登壇しました!
結果はなんと2位!
テクノツールの今とこれからの未来が凝縮されていて、ライブ配信を見ながら胸が熱くなっておりました!
その様子をプレスリリースとして書いたのでこちらをご覧ください!
そんな社長がまたひとつ実績解除している間に、わたくしホッシーもまたひとつ実績解除の方、させてもらいました。
今日はそんな個人的なお話をつらつらと書いていけたらなと思っております。
初めて書いたプレスリリース
広報担当になって半年以上のわたくしホッシー、実はここに来てやっと初のプレスリリースを書きました。
「え?今まで書いてなかったんですか?」
と思った皆さん。
そうなんです!
実は前回書いたドローンプロジェクトのプレスリリースは社長が書いて、わたくしはその様子を見て学ぶといった具合でした。
「慣れてきた頃にテクノツールから新しい商品を出す予定だから、その時はホッシーが書いてね!」
と言われ、3回まわってワンと鳴くホッシーはその時を今か今かと待っていたのですが、ついにその時が来たのです!
が、準備時間「1日」
いつもの如くノリで
「おkっす〜!!」
とは言ったものの、プレスリリースに対して勝手に「時間をかけて書くもの」と思い込んでいたので、
「本当にやれんのか…」
と内心は思っておりました。
今回はありがたいことに他社の例に倣って書くことができたのでなんとか書けましたが、初めてのプレスリリース投稿で、もちろん初めて触るインターフェースもあったりするわけで、あれこれ試行錯誤しながら無事に初プレスリリース投稿を完遂することが出来ました。やったね!
さて、恙無くプレスリリースを書けた!と思っておりましたが、実は個人的にはこの後の方が大変でした…
経験不足が明るみに
一般的に社会人をされている方はたぶん、会社に入った最初の方って結構基礎的なビジネスマナーを体得する期間があったりすると思うのです。
ところが、わたくしホッシーは就活などがあまり出来ていない状態で、すごく亜流なところから社会人になったので、基礎的なビジネスマナーに関して知らないことが結構多く、社長やその他の方々からご指導ご鞭撻の程を承っている日々でございます。
中でもビジネスメールの敬語の言い回しは未だにどうしたら良いか分からず、Google先生にも教えを乞いながら、
「あれこんな回りくどい言い回しよりもっとスマートなものがあるんじゃない?」
なんてことを考えあぐねながら書いたりしています。
こんなことを考えているときにふと前書いたnoteのことを思い出して、
「これも同年代の人達が既に経験していることを後追いして埋め合わせていることのうちのひとつなんだろうなぁ」
と思ったりしたわけです。
そう思うと、この時から今までにまだこの周回遅れの感覚は変わっていないなぁと思うわけです。
わたくしホッシーはなかなかに執念深い人間なので、こういった同年代との間にある埋まらない溝を、どんな手を使っても埋めようとしてしまうコンプレックスが未だにあるわけです。
経験を得るということ
そんな時、少し前にぼんやりとSNSを見ていた時に見た「経験はお金で買える」というトレンドと、その反動で考えたことを思い出しました。
お金があればいろんな経験が出来るというのは、一面的に見れば確かにその通りで、大学や留学、パーティーや飲み会などはつまるところお金があれば参加できるし、そういう場だからこそ広がる行動の間口もあるわけです。
わたくしはこれを「知識としての経験」と呼んでいるのですが、こういった知識としての経験はそこに何か「目的」がまずあって(例えば留学:言語習得・異文化体験、飲み会:懇親のため、など)、それを達成できるか否か、その目的地で必要とされる振る舞いをインストールできるかどうか、というのが肝要になっていると思うのです。
だけど、経験にはもうひとつの側面があって、
「日常生活の中で突発的に体験する、予想外の出来事の中から解決策を見出して行動した先に得られる経験」
という「武器としての経験」もあると思っています。
お金やチャンス、環境の有無や予定調和に関わらず、「何か解を得よう」と日常にアンテナを張り巡らせる機敏や能動性によって生きる経験もあると思うし、そういった経験の記憶は自分の中に残りやすいのかなぁとも思っています。
(もっとも、一歩間違えたらコンプレックスや柔軟性の鈍感さに繋がる可能性もありますが…)
なので、最近のわたくしは、後に得られる「知識としての経験」が無いことに揺らぐのではなくて、いつ得られるかわからない「武器としての経験」を得ていく感覚を研ぎ澄ましていきたいなぁと思っているわけです。
でもやっぱり、後に続く人達にはこういう知識としての経験をもっと早く得ていて欲しいし、スマートに世を渡る知識を知っていて欲しいなぁとも同時に思います。
その経験を得るためのイニシャルコストを低くするための場作りをこれからも頑張っていきたいと思っている今日この頃です。
つらつらと長くなりましたね。
今回はこの辺で!
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