テクノツール対談編集後記・後編【ホッシーの新米広報奮闘記 #29】
どうも、ホッシーです。
最近のAIの進化、ここ短期間の間に目覚しいものになっていますね。
SNSのタイムラインを見ていると、こんなプロンプトでこんなことができる!という面白いハックがたくさんあって見ているだけでも楽しいです。
数年もしないうちにAIが生活の一部になるのだろうなというのがすごくしっくりくる形で分かりやすくなっていて、2045年はもうすぐそこだなぁという感じがします。
わたくしは
「米津〇師風に童謡のぞうさんの歌詞を書いて!」
みたいなしょうもない質問しかしたことありませんが…!
さて、今回は前回に引き続き島田さんと小林さんとの対談記事の編集後記の後編です。
対談記事の後編も、とても素敵なお話をたくさん聞くことができて、「かっこいい大人ってこういう方のことだなぁ」と痺れておりました!
そんな記事の編集中にホッシーが考えていたことを、引き続きつらつらと書いていこうと思います。
それでは、どうぞ!
「選択肢」についてのエトセトラ
小林さんのお話の中で、
「当事者が持っている可能性を選択できる状況を作りたい」
という言葉がありました。
「難病の場合、出会った支援者によってその後の生活が決まる」というのは本当にその通りで、わたくし自身制度やそこで決まった支給サービスによって生活が形成されているわけです。
わたくしホッシーは選択肢というものについて考えるときに自分の「身体性」、つまり
「どこからどこまでが自分の身体のテリトリーとするか」
についてまずは考えます。
例えば「服は体に馴染んでいるから身体の一部」とか、「車椅子は自分の足の代わりだから身体の一部」みたいな話なのですが、これらは何を選ぶかといった決定権やその裁量権が個人に委ねられているので、これが「選択肢」だと思っていて、そしてその選択は身体的な変化に応じて自由度が変化するものだと思うわけです。
一方で、自分の身体を司るものでありながら全く自由が効かない身体性というものもあって、それが「制度」や「サービス」なのです。
制度やサービスは、その内容の決定権や裁量権が個人に委ねられているものではなく、その地域や自治体や県、国といったものを構成するメンバーの過去の行動のアーカイブが根拠となって形成されているので、その行動基準は「未来への投資」ではなく「過去からの累積」です。
つまり、
「過去にこういう人がいて、その人を支援するためにこういうことをした」
という前例を基に動いていて、
「先を見越してこういった支援をする」
というのは医学的な見解以外はなかなか成立しない現実があったりします。
そしてその制度やサービスの裁量権はたいてい行政によるものなので、基本的に「限られたバジェットの中から、確実な支援を最低限保証する」という指標のもと動くことを考えると、
「先行きがどうなるかわからない支援よりも、過去の前例を参照した支援」
を行うのは理にかなっている事だと言わざるを得ないとも思うのです。
反対に市場競争で動く「会社」は、
「とある目標(この商品を作ってこれぐらいの売り上げを出す、など)を達成するために、様々な方法を試行錯誤しながら結果を出していく」
という動きのもと経営されるので、目標やその先行きに対しての実験や検証を繰り返して結果への過程を探していく中で、「先進性」や「利便性」という他の競争相手より秀でたものを追求していくのだと思います。
つまり、
「昨日まで無かったものや不便だったものを新造したり改善することで、新しい選択肢を提供する」
ことができるのです。
そう考えると、当事者が持っている可能性を活かして、その先々の選択肢を増やすという支援のやり方は
「会社のような資本主義的なアプローチを援用しながら、行政や医療が行ってきたアーカイブを援用した動き」
というハイブリッド型でやってみるというのが手の内の一つなのかもなぁ…と編集しながら考えておりました。
何の話だこれ?
当事者がチームの一員となるために
小林さんのお話の中に
「臨床現場が生み出す本当のユニバーサルデザイン」を一緒に作り上げていきたい。
という言葉がありました。
「特定のこのゾーンの方々に向けて商品を作ったつもりが、そのゾーンにいる方々にとってはあまり恩恵のないものになった」
ということは世の中に出ているプロダクトの中でよくある話だと思います。
たいていこういう場合は、その特定のゾーンにいる当事者の方々が「ご意見番」のような形で関わっていて、実際のプロダクト作りのメンバーの中にはいないということが起こっていたりします。
「じゃあ、その当事者の方々をチームメンバーに入れたらいいじゃん?」
と言いたいところですが、どのポジションに当事者が入れるかというのはこれもまた難しい問題だったりします。
エンジニアやイラストレーターなど、何か秀でた能力を持っていたら別ですが(というか何か秀でたものがないと同じ土俵に立てないというのもおかしな話ですが)、一般的な人々と同じように多くの方々が
「何かめちゃくちゃ秀でたものはないけど、得意なベクトルはある」
という感覚だと思います。
じゃあ、そういった方々がどういうポジションであれば貴賎なくチームの一員になれるのだろうということをよく考えるのです。
話は変わりますが、個人的にものづくりやプロダクト作りをするにあたって「必要な三大要素」というものがあると思っています。
まずは「材料」
元となるプラスチックや電子部品、布や回路などがあって初めてモノがつくれます。
無形商品であれば人や環境、サービスの種となる概念などがあります。
そして「製作」やそのためのノウハウ
材料を使って、組み立てて完成させるまでの工程や実際の製作をしなければモノは完成しません。
そして最後に「動機」
「どうしてこのモノを作る必要があるのか」
という問いかけや、
「〇〇を実現するためにこれを作らなければならない」
という原動力があるからこそ、ものづくりは成されるわけです。
そしてこの動機を担えるのが当事者なのではないかと個人的には思うのです。
わたくしホッシーは某コ〇プの注文冊子が好きでよく見ているのですが、あの中に
「主婦が作った〇〇!」
みたいな商品があって、主婦ならではの困り事を主婦が作って解決しちゃっていたりするんですよね。
主婦だったらみんな困るだろうなぁと思うことを同じ主婦が叡智を結集させて形にして解決しているんです。
しかも主婦って何か特別な存在ではなく、ある側面から見た役割の内の一つなので、誰もがその属性をもっていたりするんです。
だから主婦が作って解決したものが、主婦として括られない多くの方々にもベネフィットがもたらされるわけです。
こういった
「何かの課題と解決策にある程度の検討が立っている」
といった感覚を持っているのが当事者の強みだと思いますし、こういったメンバーが1人でもいるチームってものづくりがスムーズになったり、思わぬ発展に寄与できるんじゃないかなぁと思うわけです。
そう考えると、
「意見を聞いて当事者たちに合わせたものを作ってあげたり、アップデートをしていく」
というより
「当事者と製作者が同じ目的に向かって知恵を出し合う」
というチームメンバーの加入方法であれば、割と多くの現場でアプライできるんじゃないかなぁと考えたりしました。
終わりに
実は今回初めてインタビュー記事の編集をさせていただいたのですが、編集って難しいですね。
伝えたい本懐だけを残して綺麗にまとめる作業は、ものすごく取捨選択力を試されるし、特にわたくしは一つのキーワードを基に自分の思考があっちやらこっちやら行ったり来たりしてしまうタイプの人間なので、作業集中のとても良い練習になりました。
それほどに小林さんのお話はとても魅力的で、これを書いている今でさえもその熱量が維持されています。
ここに書ききれなかった話を少しだけ出してもう少し編集後記を書きたいなぁ…と思っていたりしますが、とりあえず今回はこの辺りにしておきたいと思います。
それでは、今回はこの辺で!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?