僕が大人になるまで Vol.2
現在時刻は11時。仙台には最悪夜中に着けばいい。まずは一般道から大宮の近くにある岩槻インターチェンジを目指す。
岩槻で高速に乗ることができれば仙台まで東北道で1本だ。
ただ一般道からのヒッチハイクは非常にレベルが高いということを彼らは知っていた。
だが2人は不安の色を顔には出さない。
「強い人間なんてどこにもいやしない。強いふりのできる人間がいるだけである」
2人はわかっていたのだ。だから相手を不安にさせることはあえて言わないのだ。そうして人は強いふりをする”強い人間”を演じる。
マックをでて、コンビニの方へ歩く。
なぜコンビニでヒッチハイクをするのか。それは
・駐車するために車は徐行するため、スケッチブックの行き先の”認知”が容易である。
・道路上では、停まる場所がないためコンビニは乗降がスムーズ
・乗せてくれる車が見つからない場合は、運転手に声を直接かけられる。
という3つの要素が大きく関係する。慶應生という肩書きだけじゃない。これから何が起こるかわからない茨の道をこれまで培った”論理”という武器を使って切り開いていく。
だが、人間にはどうやら”やりたいこと”と”プライド”の「中間点」のようなものがあるらしい。全ての物体に重心があるように。
声がかけられないのだ。
それがある種の恥ずかしさからくるのは明らかである。
スケッチブックは掲げられても、どうしても声がかけられない。
「この車が全て岩槻インターにいくとは限らない」
このような論理が行動する行く手を阻む。そのような僕の心の奥底の混沌を彼は見透かしていたのかもしれない。そして、彼はその音を自分で確かめるかのようにゆっくりとした口調ではっきりと語る。
「一般論をいくら並べても俺たちはどこにもいけない」
ハッとした。はっきりと自覚する。旅と言いつつも心の奥底では予定調和を考えていたのだ。スマートにやりすぎた。人はそう簡単に変わらない。
一方で、意識一つで僕たちは”旅人”になれることも同時に痛感したのである。
「もっと貪欲に一生懸命でいようか!」
そう僕は言い放つと2時間ほどいたコンビニを離れる決断を下した。そして、岩槻インターチェンジの方へ歩き始めた。歩けば最悪2、3時間で到着する距離であったのだ。
だがヒッチハイクを諦めたわけではない。スケッチブックを常に車道に向けながら歩いたのである。恥はもうとっくのとうに置いてきた。
完璧なヒッチハイクなど存在しない。完璧なヒッチハイカーが存在しないように。
うまくいくときもあればそうでないときもある。大事なのは今ある状況をどのように自分の中で咀嚼し、再編成するかである。
「乗ってくかい?」
そうおばさんの声が車から聞こえてくるのに5分もかからなかった。
おばさんの手招きにで白いワンボックスカーに乗り込む。押し寄せるエアコンの冷気が火照った体の自律神経を整える。
「一般道で拾ったのは初めてよ」
そう笑うおばさんの顔のほうれい線にシワが寄るのをフロントミラーで横目で見ながら行き先とこれまでの経緯を話す。
ラジオからはMr.Childrenの音楽が流れている。だが、車を拾えたという興奮状態でそのピッチは普段の2倍ぐらいで僕の鼓膜を刺激する。
おばさんは仕事で移動中らしい。ちょうど岩槻インターの方まで向かうときに、僕たちを見かけたらしい。そしておばさんはいつもより早く前いた場所を出発したそうだ。
もしも僕たちがコンビニを移動していなかったら・・・
もしおばさんがいつもと同じだったとしたら・・・
僕たちは巡り会えなかったのかもしれない。
その”偶然”と”偶然”の交錯に運命なるものを感じざるにはいられない。
それからは、お互い言葉のキャッチボールを始める。最初は近い距離でゆっくり投げているが慣れてくるとお互いの距離を少しづつ離しながら、気持ちよく投げ込む。
おばさんの子供が働き始めた話や、旦那さんもヒッチハイクの子を乗っけたという話、そして僕たちの馴れ初めをおもしろおかしく話す。
気付いたときには岩槻インターの近くまで来ていた。楽しい時間は時間の経過を忘れさせる。ヒッチハイクは人との距離を詰めることの楽しさや入学直後の懐かしさを思い出させる。
同じ時間でも”車が捕まらない5分”と”おばさんと楽しく話をした5分”は同じ位相にはないのだ。
きちんとおばさんにお礼を伝えたのち、車を降りる。
岩槻インターチェンジ近くのオートバックスでひとまず休憩をとることにした。
ヒッチハイクでここまで来れたことへの興奮が抑えきれずにいた。
2人で顔を見合わせては表情をくしゃくしゃにして手を取り合って喜ぶ。同時に自分たちはもう後戻りできないところまで来たことを自覚する。
「そろそろ行こうか」
コーヒーを飲み干した僕はそう言って「仙台方面」と書かれたスケッチブックを持って立ち上がる。彼もおうといって立ち上がる。その声に緊張が伝わる。足取りが早くなる。
高速道路の手前の信号のさらに手前に立つことにした。
悪い予感というのは、良い予感よりずっと高い確率で的中するものだ。
車が捕まらないのだ。
僕らもうすうす気付いているのだ。
平日の午後の時間帯、インターチェンジから入る車も少ないのだ。
時間が刻々とすぎていく。傾いた陽の光がはやとの顔を反射する。
2時間という時の流れを実感する。
だがさっきまでの僕とは違った。先ほどのコンビニにおける彼の発言である確信があったのだ。
深刻になることは、必ずしも最善解にはなり得ないのだ。
だから、もっとどうすればドライバーに認知・乗せてもらえるのかを思考錯誤する。
心はガラスではない。ガラスは割れてしまったり、壊れることがあるかもしれないが、心は折れないのだ。
だから辛い時でも笑顔で彼に微笑む。そして彼もわかっているのだ。だから最後まで折れなかった。
「蓮田SAまで乗っていくかい?」
またしても仕事帰りの女性であった。お母さんのような優しさで包み込んでくれた。
だから僕たちも全力で場を楽しませる。そのようなギブアンドテイクの関係で世界は今日も進んでいる。
お礼を告げた時には時刻は5時30分をすぎていた。ここからが本当の勝負であると思った。
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