ソシャゲをやめる爽快感
何となく手持ち無沙汰の時間がありながら、読書や勉強をするのは気が進まないとき、
学生時代からゲーム好きだった性分も手伝って、何気なくアップストアでゲームを探してしまうことがある。
思えばそれが地獄の入り口。
本当にソシャゲはプレイヤーを引き留める仕掛けだらけでよくできている。
と言っても、今更その中毒性を生む仕組みを語るのは、何番煎じかもわからないので今回は割愛するけれど
その中毒性に時間を吸い取られるのは自分も例外ではなかった。
チュートリアル後の無料ガチャでそこそこ強いキャラが手に入ると序盤のステージを無双し、
ガチャの回数を重ねていくうちに他のメンバーもそろい始める。
プレイ時間が増えるうちに次第に「ここまでそろえたぞ、進めたぞ、強くできたぞ」「もうちょっとで、あれが手に入る」の思考に侵されてしまい、
積極的か惰性かはともかく、習慣化して開き続けてしまうのだ。
お金は使わないけど時間をとられているなぁという実感がありながら。
意識が変わるのは最序盤を抜けたあたりからだろう。
イベント戦で戦う敵キャラに全く歯が立たないと、自分の現在地がまだゲーム全体ではスタート地点付近であることがわかり。
さらに、ゲームシステムを理解していくと、キャラを強くするために必要なゲーム内素材、ガチャ回数、必要プレイ時間も見えてくる。
おまけに、攻略サイト等を眺めれば今しがた回したガチャのキャラがそんな強いもんでもないとわかり、がっかりするのもあって。
徐々に自分の中で「この先、どんだけやりゃいいんだよ」という気持ちが芽生えてくる。
ここからは「ここまでプレイしてきたから」と「この先どれだけやれば」のせめぎあい。
「続ける理由」と「やめるきっかけ」を同時に探しているような不思議な感覚なのだが、
この時間自体、非生産的あることには変わらず、この両者のせめぎあっていることに無意味さを感じてきて、段々とゲームに対してもポジティブなイメージがわかなくなってくる。
そして、小さい画面の中で小さい動きをしてる、形のない単なるデータに意識や時間を割いていることや、
「とても楽しい」ならともかく、そこまででもないのに
ゲーム会社の思惑に見事にはまり、時間を吸い取られていく自分に対して
無性に腹立たしくなってくる。
ここまできたらもう後は勢い。
きっかけも何もなく、ある日突然衝動的に、
スマホのロック画面を解除。
無心のままゲームアプリのアイコン長押し。削除。
実に簡単。ツイッター上での変な卒業宣言もなんもいらない。
やるのはアイコン上の×ボタンをタップすることだけ。これでソシャゲはもうできなくなる。
しかしその瞬間はこんな簡単な作業をした直後に訪れる。
それまで自分の手足についていた重りが外れたかのような解放感と
この先自由に使える時間が大幅に増えることにより、選択肢が無限に広がるような全能感が湧きあがり、たまらなく爽快な気分になるのだ。
視界も思考もパァっと広がり、現実世界がこれまでとは違って見えてくる。
やった、おれは自由になった。ソシャゲメーカーよ、さらば。と足取りも軽くなる。
ソシャゲを始める前となんも変わらないのに、生まれ変わった気がするのは、
自分がソシャゲ中毒から抜け出し、誘惑に打ち勝ち、沼から自力で脱出した勝者のような気持になるからかもしれない。
思い切ってやめた時の爽快感が病みつきになりそうで、
この解放感を味わうために、またソシャゲをやってみてもいいんじゃないかなぁとすらたまに考えてしまう。