![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123786534/rectangle_large_type_2_0d65b7b3905fe450b27bc8b7bd283640.jpeg?width=1200)
誰でも善人になれる方法
僕は性根が暗く陰湿なので、
マナーやルール違反をした人がいてもその場で注意することはせず、
「後で罰が当たればいいのに」と願うタチである。
ポイ捨てする人を見たら、ある日突然その人のうちのダイニングテーブルに、その人がこれまでポイ捨てしたものが一斉にドカッと降ってきてくれないかなとか。
飼い犬のフンを片付けない人がいたら、その人の車のシフトレバーの溝に、残していったフンがこすりつけられればいいのに、とか思う。
これはさすがに暗いなぁと思うも、正直な気持ちとして湧いてきてしまうので仕方がない。
無理に感情を押さえつけるのは毒だし、この流れに逆らわないように生きている。
その代わり逆のことを考えるようにした。
善行を行った人には「後でいいことが起こればいいのに」と思うようにするのである。
何かお願いしたことをやってくれたり、共有物を整理してくれたり、道を譲ってくれたり。
してもらってうれしかったり、気持ちよかったりした時。
「ありがとう」と言ったり思ったりするのに付け加えて、
『あなたにいいことが起こりますように』と念じるのだ。
道がきれいに清掃されているのを見て、「おぉ道がきれいだ。」と感嘆し、「掃除してくれた人ありがとう」と思う。それプラス、「道をきれいにしてくれた人、あなたにいいことが訪れますように」と本気で願う。
するとどうでしょう、こうすることで、自分が他人の幸せを願う心の広い善人になったように感じるではないか。
自分としては身も銭も削らず、何も動いていない。ただ「私によくしてくれた分、幸せが訪れますように」と願っているだけ。楽なもんである。
それだけで自分も善人になっているように錯覚してしまう自分。
性根が暗いだけじゃなく、腐ってるのかもしれない。