筆圧も弱けりゃ、筆も遅い
僕は筆圧が弱い。
自分がノートを見返すとうすーい黒鉛の線がひょろひょろしている。
筆圧が弱いと筆先を紙につける離すという動作が曖昧になるので、線が異常に短くなったり線同士の距離間がおかしかったり。
要は汚い文字になる。
結局、ノート全体を見ると1画1画が不明瞭で漢字の直線も直角も「直」には程遠く、か細く弱々しく頼りない汚文字が並ぶのである。
意志の弱さ、自信のなさ、雑さがよく字に表れているなと思うばかりだ。
試しに力を込めて書いてみる。
力のかけ方が下手なのでシャーペンの芯がぺきぺき折れる。
ボールペンに切り替えるかと思うのだが、この調整の効かない力加減なら、
ペン先がすぐにダメになるんでないかとか、下の紙に筆跡が映るんでないかとか
余計な心配をしてしまい、文字を書くことに意識が向かなくなる。
その点パソコンに救われているところは多分にある。
キーボードをたたく力加減に関係なく、濃さもサイズも均質な読みやすい文字が丁寧に連なってくれる。
とはいえ依然、何を書こうかなという迷いはあるし、書き始めてからの書いては消しての行ったり来たりは変わらない。
ツールを変えても結局自分は変わらないのだ。
高2の時、物理の授業で隣に座っていた人の筆圧の強さをまだ覚えている。
そしてその筆圧の強さにいまだにどことなくあこがれを持っている。
彼の文字は隣の席からでも何が書いているか認識できるほど強いコントラストで白い紙に黒々と並んでいた。
鉛筆で書かれた太く濃い文字からは文字の力強さだけでなく書き手のバイタリティも伝わってくる。
かな漢字英数どれであっても、殴り書きであってもはっきりと主張する字、筆圧の強い文字には迷いのなさが感じられる。
きっとこの文字を書いている人は人生に対しても迷いなく、自信をもって自分の道を歩むのだろう。
隣の席からノートを見た時にふとそう感じた。
彼は今何してるんだろう。
自分の文字を見返してる時、ほとんど喋ったことのない名前も忘れた彼のことを思い出すことがある。