ホスピタリティ・ロジックのこと その2 〜ホスピタリティを追いかけはじめる〜
あれは、2002年の秋だったと思います。
妻と一緒に、当時の「蒲郡ホテル」に行った時のことです。
浜辺や見事な洋館建築を堪能して食事を済ませ、夜になって、お腹に子どもがいた妻は先に寝てしまったので、独り館内のバーへ。
なにを呑んだかは忘れましたが、そこにいたボクよりも若いバーテンダーと話し込みました。(ボクは当時31歳)
チェックイン〜食事〜館内の見学の間で不快なことが一つも無く、とても快適に過ごせていたので、「ホスピタリティあふれるホテルですね」と本心で伝えました。
すると彼は、「我々のホスピタリティなんてまだまだですよ」と謙遜します。
なるほどと思い、「では、目標としているホスピタリティの高いところがあるのですか?」と訊いてみました。
すると、「そうですね、有名なところでは『カシータ』なんかが目標ですね」と彼は言いました。
「カシータ・・・」とボクは初めて聞いた単語を呟いていたら、「東京のレストランです」とのこと。
この情報を聞いたことがキッカケとなり、ボクにとってのホスピタリティ・クエストが始まりました。
カシータにはすぐに行きました。(男友達と 笑)
たしかに、目眩く楽しい時間でしたが、蒲郡ホテルのバーテンダーの彼よりも素晴らしいという感じがしませんでした。
その後、ホスピタリティに関する情報に耳を立てていると「『てっぺん』という居酒屋がすごいらしい」というようなことも入ってきたので行ってみたりしました。
たしかに、賑やかで活気があって面白い。
でも、なにかが足りないというか、ボクにとっての蒲郡ホテルの体験よりも素敵な感じがしないのです。
もちろん、カシータとてっぺんも、スタッフはとても懸命に仕事をしていて、ボクたちのテーブルのために全力を尽くしてくれていることは分かるのですが、なにかが違う、でも何が違うのか分からない。
当時、スポーツ自転車の輸入代理店に勤めてきて、小売店への営業を仕事にしていたボクは、たくさんの接客を見てきました。
ボク自身もその輸入代理店に勤める前は、スポーツ自転車の小売店にいたので接客経験もありました。
高校生、大学生の時は飲食店で接客のアルバイトもしていました。
接客ということに対してある一定の体験があったので、ボクの中になんらかの「理想的接客」のイメージが漠然とあったのだと思います。
そのイメージから、カシータやてっぺんはどこか外れているが、蒲郡ホテルはそれにもっとも一致している。
それはなんだ?
取引先の自転車小売店では時々、その理想論接客のイメージに近いコミュニケーションが行われていました。
その接客では、お店側もお客さま側も楽しそうで、お互いに自転車の知識や経験を語り合い、お互いをよく知っているように見えました。
でも、それはその客がすでに店と親しい常連のような存在だから。
あの蒲郡ホテルで、ボクは初めての客でした。
その初めての客に対して、あのバーの、あのバーテンダーは、ボクが心から楽しめるように接してくれていたのです。
今から考えると、そのことがポイントだったと分かります。
一見の客なのに、常連の客のように扱う。
そう意識していたかどうかは別にして、バーテンダーの彼はそれをやってくれていたので、ボクは心地よく、違和感や疎外感なく、初めてのバーをゆったりと過ごせたのかもしれません。
でも、なぜバーテンダーの彼がそれをボクにしてくれたのかは、ボクからは不明です。
ボクがその日、バーで独りだったから時間があるので密な接客をしてくれたのか、彼はいつもそういう接客のスタンスだったからなのか、はたまた単なる気まぐれと偶然なのか、単なるボクの思い込みなのか。
でも、事実として、「彼はそうしてくれた」とボクは思っているということがあるのです。
これが後々、
結果は、客感情がすべて。
というホスピタリティ・ロジックの根幹となる論理にたどり着くきっかけの事象となるのです。