モリカケ、ネギテンカスガリ
目覚めると、まだ薄暗い。時計を見ると午前五時だ。
三つ子の魂百までとは、言いえて妙な諺であり、習慣というのは環境の変化に対して実に強力だ。
二十五年勤めた証券会社を退職したので、早起きする必要はなくなったのに、どうしても、それまでどおり朝五時に目が覚めてしまう。
布団に潜って二度寝しようとするが、耐えられなくなって、照明を点灯して読書等で時間を潰す。
早期退職のおかげで、退職金はかなりの割増しで受け取った。正直、数年間は余裕で遊んで暮らせるだけの金はある。
どうせバツイチの独り身、暫くは、悠々自適で暮らそう。そういえば、新宿、ゴールデン街や、歌舞伎町で遊んでみたい。そう思い、歌舞伎町のマンションに引っ越した。
皮肉なもので、繁華街に引っ越した矢先に、コロナウイルスにより、ゴールデン街はおろか、飲食店は軒並み閉店している。
珍しく営業している店を発見しても「すみません、一見さんはお断りなんです」と締め出される。
仕方がないので、コンビニ弁当を買って、家で食べると味気ないので、外で食べると更に空しい。
緊急事態宣言の最中であったが、二十四時間営業の中華料理店を発見したので、毎食通っていた。
蔓延防止措置になると五月雨式に開店し始めたので、手探りではあるが酒場の新規開拓をすることにした。
とは言え、一見さんお断りの壁は厚く、入店拒否されると、人格が否定されたように落ち込んでしまう。
人恋しくなり、話が聞いて貰いたくて彷徨するが、肝心の酒場に入れてもらえない。時間の浪費だけに終わらず、精神が切り刻まれる。
現実逃避の手段として、マンションで独り酒を煽って酩酊しても、覚醒すれば後悔に苛まれて、自由の恐怖に戦慄する。
そんなとき、偶々入れた歌舞伎町のバーで、あるお笑い芸人と知り合った。彼の芸風は流行りの奇抜な恰好や大声、悪口等でない。好感が持てた。
単独ライブやユニットも成功していたが、ネタ番組で放送作家を利用しなかったので、干されたそうだ。
また、オリンピック開会式の直前になぜか番組を外された芸人に兄事しており、SNSでその芸人を擁護して、炎上したとも語っていた。
彼は、ゴールデン街でパートタイムのバーテンダーをしていた為、彼の働いている店には入れて貰うことが出来た。
彼が店に立つ時間は、エピソードトークや大喜利等も取り入れており、居心地が良い。酒場だけでなく、彼のお笑いライブにも足を運んだ。
また、ゴールデン街の一見さんお断りの店にも、彼と一緒だと入店が可能になり、お陰様で少しだけ行動範囲が広がった。
しかし、ゴールデン街の様々な店で飲み続けて数か月ほど経つと、街に対する当初の憧れに似た気持ちがいつの間にか薄れていくのを禁じ得なかった。
嘗ては文化人が集った飲み屋街も時代の波には逆らえず、女性店員目当ての常連マウントに辟易することしきり。
歩合で働く若い店員が増えた結果、露骨なシャンパン営業、テキーラショットの一気飲み、誕生日やら周年やらの訳の分からない記念日営業など、只管の空騒ぎ。そうでない店もあるが、今度は伝手がなく、入店出来ない。
それでも、若い人達と一緒に飲んで騒いでいる間は一抹の楽しさに我を忘れるが、麒麟も老いぬれば駑馬に劣るであり、昼夜逆転を試みるも体力が追い付かず断念せざるを得ない。
ふと酔いが醒め、歌舞伎町のマンションで独り目覚めると、美味い酒、楽しい酒、めでたい酒が殆どなかったことに気付く。ゴールデン街も、深入りをしない方が賢明だと思った。
食欲と性欲よりも深刻なのは意欲の衰えであり、退職金が底を着くまでに、人生の方向性を考えねばならない。少なくとも、仕事の伝手くらいは探さねばならない。
その芸人と出会ってからテレビのお笑いを改めて見てみると、言葉狩り、時間、スポンサーの威光により、五月蝿いだけのガヤが重宝されるのが、手に取るように分かる。
見る気が失せてテレビを処分したものの、なぜか惰性で払い続けるNHK受信料。
テレビを見なくなったお陰で読書習慣が身に付き、心身共に健やかになったが、家に引き籠って一人で過ごすことが多くなった。空気を読む能力だけ退化して、偏屈になった。
偏屈になったせいだろうか、就職活動も最終面談までは行くものの、不用意な発言によって不採用が続いた。
どうも僕は一言多いらしい。幼少に始まり、前職の退職もそうだ。偏狭な正義感と余計な一言によって、立場を悪化させるだけの悪癖。
上司の悪口と愚痴を肴に飲む先輩を唾棄していたが、何時の間にか、自慢と説教を肴に飲む先輩に自分がなっていた。
他人と過去は変えられないが、自分と未来を変えようと逡巡するも、最初の一歩が踏み出せない。
それでも、どうにか自分を変える一歩を踏み出そう、そう思い、心身共に鍛えるため、合気道の朝稽古に参加することにした。
稽古は二人一組が原則であるが、参加人数が奇数になると、相手が見付からずに三人稽古になることが多く、不満ばかりが募った。
師範若しくは指導員に自分だけ注意されることが多く、そのたびに、「他の練習生に対するのと言ってることが違う」とキレると、「骨格や筋力の違い」を指摘された。
気合が空回りして、合気とは何かを考えないで、闇雲に力を誇示すれば、避けられて当然である。
怪我をしないさせないが最優先であり、習熟度に合わせて指導するので、異なるのは当然であると、頭と体で分かるのに時間がかかった。
素人目には八百長のように見えていたが、受け手にとっても、致命傷を避ける為なら、型通りが一番だ。
窓に映った自分を見ながら、呼吸法、正面打ち及び横面打ちをすると、客観的に捉えることが出来そうだ。
合気道に不安がなかった訳ではない。僕の右足には古傷がある。小学生の頃、ベルトコンベアに挟まれ大怪我をした。医者は膝下の切断を母に告げたが、母の懇願で切断を免れた。
その為、若い時から日常生活で膝を痛めることが多く、稽古でも、最初のうちは正座が出来なかった。
足の古傷を庇っていた所為か、外反母趾にも悩まされた。特に証券会社時代、革靴で一日中過ごした所為で、夏の湿気及び冬の乾燥と虐められ続け、痛むこと頻りだった。
また、ベルトコンベアの摩擦熱が原因で、僕の足裏には大きなケロイドが出来ていた。稽古はどうしても裸足なので、それを見られる気恥ずかしさが否めず、コンプレックスを感じていた。
それが、稽古を続けるうちに、動かなかった右足の親指が少し動くようになり、正座及び跪座、更に膝行も可能になった。
合気道を切っ掛けに、ドレスコードがない限り、日々裸足とサンダルで過ごすようになり、鍛えられて足のケロイドも、以前ほど気にならなくなってきた。
大人になると日々の変化にも鈍感になり、自分自身の変化にも目を逸らしてしまうことが多かったが、稽古を通じた身体の変化は明らかであり、僅かながら自信に繋がった。
一歩踏み出して身体が変わってくると、不思議なことに心も変わってきて、更にもう一歩を踏み出そうと、就職活動や職業訓練の受講を思い立つ。
就職活動は、さすがに同業の証券会社というわけにもいかず、他業種を目指すためのスキルを身に着けようと、公的機関が実施するITコースに申し込んだ。
受講時の面談では、退職の引鉄になったDX(デジタルトランスフォーメーション)レポートを引用して、捲し立てた。
受講生なのに日本の産業構造を大上段から批評してしまい、また一言多い悪癖が出てしまったと反省。
三か月弱のプログラミングコース参加が決まったので、合気道の朝稽古を終えてから受講することにした。
ネットワーク・サーバコース、システム運用コースと合わせて三十名、一番人気のコースだったと聞いた。
講座は、神田にある貸し会議室を利用して開催され日程表(予定)が届いたが、いざ出席すると、自分の無知を実感させられた。
開校式で受講者の自己紹介があったが、四十八歳の僕よりも年配の者はごく少数であり、殆ど経験者だ。
コースの冒頭、コミュニケーションスキルに関する講義を受け、他人と話すことに少しだけ自信を取り戻す。愈々明日からが本番だ。
コミュニケーションスキルの講義では、若者が消極的なことに驚いたが、僕も含めて全員が失業中であり、自信喪失も無理もないと納得。
臆病な僕は開場前に到着したが、上には上がいるもので、既に二人が会場に並んで待機していた。
他の受講生たちに、僕は、自分だけが呼ぶあだ名をこっそりつけていた。例えば、大人しくて殆ど会話に参加しない若者は、ホーガン(一番乗りだから)。
馴れ馴れしく話す年上の男性は、走り出しそうな恰好なので、MJ(マラソン爺)一択で決まり。
事務局によって誘導されて、検温及び手指消毒を済ませると二人とも同コースの受講者であった。
開校式でもスーツ若しくはジャケット着用が多かったので、他コース受講生よりも真面目な感じ。
席順がホワイトボードに書いてあり、自己紹介の内容と印象から独断と偏見で他の受講生のあだ名も決めていく。
退職後に裁判で賠償金を得たと自慢した若者は健康食品(商品名)を周囲に推奨するからマルチ。
隣席でマルチの話を聞きながらも感化されない若者は印象に残らなかったので、風貌からメガネ。
意外ではあったが、マルチとメガネは参考図書を事前準備して、途中までは一番相性が良かった。
紅一点の女性は前職が携帯電話のコールセンターだったので、とりあえずCSと呼ぶことにした。
イケメンなのにアニメの話を滔々と続ける若者はイケオタだったが、彼がCSの頑固さに振り回され続けるので、イケオタをヤムチャに、CSをブルマ(ドラゴンボールから)へと急遽変更。
マルチが時々、二人の仲を冷やかすのを見ていると面白かったが、ヤムチャは健康食品に嵌った。
ホーガンは会話こそ苦手であったが、プログラミングは初心者ではなく、一人だけ別次元だった。
順調なホーガンと対照的に悩み続ける若者は、ロダン(考える人から)。因みに二人は会話しない。
就職が決まり受講を中止したホテルマン、場違い質問SBO(先生バナナおやつ)だけ一人席だ。
僕はMJと一緒であったが、彼は経験者であり、講義の内容に対し「この程度のことなら習わなくても」と嘯くので、一々鼻につく。貧乏揺すりも気になる。
初日終了後、MJの独り言と貧乏揺すりに終日悩まされて、無理を承知で一人席への変更を希望。
翌朝、席順変更があり、環境構築で躓き、その都度講師に頼る僕をMJの方も不満だったようだ。
期間限定で閲覧可能なテキストを用いた独習形式であり、質問があれば講師に質問する形式だった。
僕の前職ではシステム関係の自己判断は厳禁であり、システム統括部に確認しなければいけなかった。
その癖が抜けなかったので、テキストに記載がなければ講師に質問をするのは、当然の心算だった。しかし、講師にとってはそうではないらしい。
「テキストに記載がなければ、ネットサーフィンして、自己解決して下さい、そういう業界です」
「何が分からないかさえ分からない状況なので、基礎だけはしっかり勉強したい」と僕は訴えた。
「無料で基礎講座のお試しコースがネットにあるので、それを利用したらどうですか」と答えた。
「それなら態々会場に足を運ぶ必要はないじゃないですか」押し問答の末、講師と事務局が補助講師を増員した。
合気道を始める前ならば、「ベンダーのQC(品質管理)がいい加減だから」と憤慨しただろう。
それだけでなく、「ユーザーの勉強不足が相俟って」大上段に構えて、席を蹴ってしまうだろう。
大人の事情を考慮して、講師が推薦してくれたお試しコースを併用して、ならぬ堪忍するが堪忍。
コースの卒業生への採用ニーズは中小零細が多く、急速に発展している職種分野なので、人材育成が弱点であると理解した。
講師自身も、講師業だけでなく、他の会社などで業務を抱えている実務家であり、多忙だったのも、質問に応じてくれない原因だった。
今回が初めての試みであり、講師の派遣元も事務局も手探りであったが故に、色々と運営上の祖語もあった。
電話連絡だった欠席や、紙ベースだった進捗状況の確認に対し、「専用チャットを利用しませんか」MJが提案した。
進捗状況の管理も紙ベースだったので、講師としても渡りに船であり、MJの提案は早々に採用された。
進捗状況が専用チャットで公開されるようになり、受講生間での比較が可能になったが、残念ながら僕は最後尾だった。
ホーガンは断トツであり、MJ、その後は団子状態であり、ホテルマンと僕が藻掻き喘いでいた。
MJは黙々と進捗していただけでなく、テキストの不備を指摘してくれたので、大変有難い。
焦らないでもなかったが、無理をしても仕方がないと、マイペースを維持し続けることにする。
昼食の選択も悩ましく、神田という土地柄、ラーメン、カレーの名店は数あれど、行列に並ぶと疲れてしまう。
マルチとヤムチャは件の健康食品、その横でブルマは手作り弁当、その他多くはコンビニで購入。
「弁当作ってんの」ブルマに質問すると「妹が高校生なので、母親が作ってくれます」と答えた。
ヤムチャとブルマがアニメやネトゲについての会話をするだけで、それ以外はネットサーフィン。
教室でコンビニ弁当は選択肢にないが、毎日有名店の行列に並んで無駄に時間を使うのも気が引ける。これではハムレットだ。
近所に立ち食い蕎麦のチェーン店があり、あまり好きじゃないが、背に腹は代えられない状況だ。
人間は食べる葦であると割り切って、考える煩わしさを避ける為、日替わりのお得なセットにした。
連日通っていると同じ顔触れを目にすることが多く、そんな常連たちは、窓口で何やら小チケットを添えて注文することに少しだけ興味を覚えた。
「かき揚げ蕎麦」と言う場合と「カケかき揚げ」、中身はどちらも同じなはずなのに店員が使い分けているのを不思議に思い、観察を始めた。
どうも、メニューにある「かき揚げ蕎麦」と、「カケ蕎麦」にかき揚げをトッピングする場合とで、値段が違うケースがあるらしい。
ネット検索すると定期的に海老天、かき揚げ、コロッケ等八枚綴りチケットを期間限定で無料配布していた。これだ。
愈々その恩恵に浴するチケットが配布されたが、海老天、おろし、納豆が減少、温泉たまご追加。
八枚のチケットが六枚になったことよりも原材料の高騰を受けて、忍び寄るインフレ、低位安定の卵に感謝。
チケットは一週間以上配布するので、当面は毎日お得なセットに加えて、何か一品無料で食べられる計算である。
「得セットかき揚げ」に始まり「得セット大盛」を順次繰り返すだけなので、とてもありがたい。受講中は、そのチェーン店を愛用するようになった。
単純なことであるが、生活にリズムがあると楽なもので、依然受講生では最後尾にいたが楽しくなってきた。
帰りに神保町で古書店巡りをした後、老舗喫茶店で一服、昼の喧騒とは異なり、行列店にも楽々入れる。コーヒーを飲み、購入した本を読みながら、つらつらと考え事をする。
人の行く裏に道あり花の山、リモートワーク、ワークシェアリング、ワーケーション働き方改革。
丸の内に聳えるオフィスビルも昼食になるとエレベーター渋滞によって、バベルの塔と東京砂漠。
大型店舗特有のバッチ代よりも場所代が高騰して、インフレ及びデフレにも脆弱になってしまう。
テレビ取材、雑誌掲載等で選択される太平楽な時代は、コロナ禍によって、終焉を迎えるだろう。
コースも中盤に差し掛かる中、ホテルマンが腰痛を理由に欠席が多くなり、とうとう、「就職が決まったので、辞退します」との連絡。
「再就職が目的なので、おめでとうございます」全員が祝っていたが、内心で僕は途方に暮れた。
突然、SBOから「MJ(実際は苗字)と三人で老舗喫茶店に行きませんか」と誘われて驚いた。驚いたが、その日の講義終了後、三人で喫茶店に行く。自分たちはじめ、受講生について、それぞれ思っていることを問わず語りに話し出す。
僕が正論を言ったのに唯々諾々と従ったので、若者が委縮してしまったとMJは危惧していた。
マルチとメガネは一見仲良いが、検温シールを飛沫防止板にマルチが貼るので、一触即発である。
ヤムチャは感化され易く、ブルマは人の話を聞かないから、課題に取り組まずに先へ進んでいる。
ホーガンは異次元なので、僕には理解出来ないが、考える人は考えているようで講師に丸投げだ。
SBOは場違い質問をする割に重大なミスを連発しているので、危機管理能力を磨く必要がある。
問題なく進捗しているのは、ホーガンとMJだけで、他の人達は早かれ遅かれ、壁に突き当たる。
僕の意見を聞いたMJは、「概ね私の見方と同じです、最後尾にいますが的確に理解していますね」
「私がテキストの不備を指摘しても、見ていないから同じ質問を繰り返しています」と自嘲した。
「被害者だから、責めるのは可哀そうですが、基本を蔑ろにして表面を取り繕うのがゆとり世代」
SBOはMJにランニングや健康管理について、安易な健康食品に頼らず、真面目に習っていた。
「断酒、ランニング等を押し付ける心算は毛頭ありませんので、定期的に三人で話をしませんか」
席順の一件があったので、MJは僕を避けていると思っていたのに好意的であって、嬉しかった。
「定期的に集まるのは賛成ですが、我々だけでなく、全体の雰囲気を良くするようにしましょう」
「彼らと同世代なので、お二人のご指摘を伝えていくように橋渡しをします」SBOも、受講生たちの雰囲気をよくしようと積極的だ。
MJが指摘したテキストの不備への感謝を大声で話すこと、自分も、出来は最後尾で無意味だが、指摘を始め、少しでも講座の質を上げようと努めた。
所詮、人は誰しも罅割れ茶碗なので、個性を活かして、景色と捉えて、組み合わせたら趣が出る。
講師陣も別案件が佳境に入ったと見えて、ベテランから中堅がメイン、若手が補助講師になった。
質問しにくい張り詰めた空気が少しだけ緩和されて、中堅は受講生だけでなく、若手も指導した。
昼食は、その後もルーチンのように立ち食いそばチェーンの得セットばかりを食べ続けていたが、人間観察癖が出た。五〇代半ばだろうか、いつも見かける常連の男がいるのである。
天気が良いと、その男の「モリかき揚げ」肌寒いと「カケ温泉たまご」の「モリカケ問題」に行き当たった。
彼は、チケットと小チケットを店員に渡す時、必ず「ネギ多め」と言って、ビタミン不足を補う傾向だ。
栄養の観点から理解出来るが、混雑した店内の調味料置き場でテンカスとガリをてんこ盛りする。
行列が出来ようがお構いなく、「テンカス切れた」いや「テンカス切ったんでしょう」心が叫ぶ。
薄茶色になったテンカス山の上にピンク色のガリを乗せると富士山が噴火したような光景になる。
彼が使った後の調味料台、彼によって大量に消費されたがために七味唐辛子や摺り胡麻を断念せざるを得ない時、イラっとしていたが、今日も芸術をありがとうとは思う。
一昔前は只より高い物はないと敬遠したものだが、只、激安、お得に目の色を変えて、飛び付くその姿。
店員を始め、周囲の冷たい視線も積年の屈辱と忍従によって、麻痺して平気の平左で揺らがない。
ゆとり世代と並んで、時代の波を受け続けるバブル世代は一部を除いて、肩身が狭い立場にいるのだろう。
就職氷河期世代の僕にとって、彼のようなバブル世代は、派手好みで努力を惜しみ、地に足の付かない負のイメージがある。
彼の昼食後の業務を考慮すると、いささか寂しい思いもしたが、五十歳以上の風習であり、胸を撫で下ろした。
ホッとしたのも束の間であり、受講者の若者たちはコンビニ弁当ですらなく、コンビニのおにぎりと唐揚げで済ます。
僕の食べている得セットが栄養満点だとは思わないが、彼らの多くは寝不足で、しかも朝食を抜いていると聞いており、本当に大丈夫か。
因みに僕は合気道の朝稽古前に定食屋で焼鮭、目玉焼き、納豆定食を一日交替で注文する習慣だ。
団塊世代、しらけ世代、バブル世代、超氷河期世代、ゆとり世代、さとり世代等のレッテル貼り。
森ばかりを見て木を見ようとしないで、分析を始める僕の悪い癖が危うく出そうになってしまう。
近頃の若い者はという科白は、海外ではエジプト、ポンペイ、日本でも枕草子、徒然草にて言及。
働き蟻も選抜すれば、結局2:6:2になるパレート最適は世代間の差違を否定する有力な論拠。
境界を設定することによって、生態系に悪影響を及ぼすエッジ効果を援用することも可能だろう。
友達の友達を辿れば、必ず繋がる六次の隔たりを考慮すれば、世代間の壁は愚の骨頂でしかない。
老いては子に従えという諺があれば、反対に親の小言と冷酒は後から効いてくるという諺もある。
子供𠮟るな来た道だ、年寄り笑うな行く道だこそ至言であり、時代が求めているダイバーシティ。
相変わらず、受講生の中で僕の進捗は最後尾にいたが、練習問題はWhile文に加えて、Dowhile文、For文の三通りやった。
基礎が大切と理解していたこともあるが、周囲と比べ進捗が遅れても僕が焦らない理由が、少なくとも二つあった。
一つは殆どの人が進捗状況をコピー&ペーストするだけなので、日数や曜日に不備があって、紋切り型にならざるを得ない。
もう一つは日程表(予定)と比較すると、僕の進捗状況も決して劣後しておらず、オンペースだ。
練習問題もネットサーフィンすれば、模範解答が溢れていることも承知していたが、敢えて無視。
そのような状況であったが、応用問題になると潮目が変化していることを僕は自分なりに感じた。
考える人が、講師に対して、「何が問われているか、全く理解出来ない」深刻な顔で助けを求めた。
就職を決めてめでたく脱落したホテルマンは兎も角、脱落者が続出しては問題であり、講師が手分けして、理解度の確認をした。
ホーガンは既に一月弱でカリキュラムの半分を終えており、アプリケーション開発も射程圏内だ。
それに続いて、MJも応用問題を終えて、データベース設計、HTML等、次に進み始めていた。
それ以外の若者は、練習問題を切り貼りして、飛ばしていたので、基礎的な理解が不十分だった。
知ってる、分かる、出来るが学習の段階であるが、安易な方法に頼って、心算積もっているのだ。
講師も危機感を持ち始めて、若手に初期対応を担当させて、解決困難であれば、中堅が出陣する。
受講者も自分なりの仮説を持たず、「何もしてないのに、こうなってしまいました」と丸投げだ。
SBOに至っては、「画面と違うけれど、そのまま続けていたら」インストールからやり直しだ。
石橋を叩かずに大胆に渡るSBOは、僕とMJの助言を受けても、三つ子の魂百まで変わらない。
相変わらずヤムチャの推薦・提案は否定・却下され続け、ブルマは肯定するまで絶対に諦めない。
石橋を叩いて渡らないヤムチャ、石橋に気が付かず彷徨うブルマ、会話は嚙み合わないが仲良し。
二人で就職セミナーに参加しても、喧嘩するほど仲が良く意見が対立しており、MJは苦笑する。
ヤムチャは、「プログラミングは大体理解出来たから」昼休み中にSPIテスト勉強を開始した。
ヤムチャが健康食品でなく、コンビニ弁当を食べ始めたので、「どうしたの健康食品食べないの」と聞いてみる。
「不味くて、もう飽きてしまったから」すかさず「定価の10%なら買い取るで」とマルチが言ったので、気まずい空気。
自分勝手なマルチとメガネの関係もギクシャクして、マルチが「参考書いらんから定価の半額で買わない」と言えば、
「僕も殆ど同じ進捗状況だ、古本屋で安売りしていたので結構です」と答えるメガネ。以降二人は挨拶程度しかしない。
石橋を叩いて壊すマルチ、それに振り回され続けるメガネ、考える人は案の定、只管考え続ける。
そのような遣り取りを耳にし、常よりさらに大きな貧乏ゆすりで肩を大きく揺らしているMJと目が合うと、「駄目だこりゃ」とその目が語っている。
ホーガンだけは順調であり、後半戦に突入する前にアプリ開発も終了して、特別に他言語を習得。
ゆとり教育の弊害若しくは被害者と声高に叫ぶ人もいるが、教育は従であり、躾と習慣こそ主だ。
アニメや動画は、情報量過多であり、受動的で思考する余地は殆どなく、漫画の場合も限定的だ。
読解力を養うには読書が最良であり、活字の情報量がkb(キロバイト)とすれば、漫画はmb(メガバイト)、動画に至ってはgb(ギガバイト)であり、情報量の桁が違う。
読書では、桁違いの情報量を自分で補う分、きちんと読めば、それこそ桁違いの力を鍛えることができると思っている。
乳児期から読み聞かせ、子守歌、幼児期に昔話等の絵本や童謡に始まって、古典、名著も必須だ。
幼稚園からお受験に血眼になって、塾通いなんて最悪の選択肢であり、勉強だけが得意の悲劇だ。
英語やプログラミングも同様であり、読解力があってはじめて、様々な分野の情報を咀嚼し、思考力につなげることが出来るはずだ。
応用問題を終了した頃、気が付くと僕の進捗状況は真ん中よりも少し上に浮上して、講義の内容もより理解出来るようになっていた。
講師派遣企業への職場見学が実施されて、僕と相性の悪かった元講師がコーディネーターだった。
お互いに大人であり、蟠りもなく様々な業務及び工程を専門家から説明を受けて、有意義だった。
ベンダーは契約欲しさの無茶、ユーザーはシステムの無知により、上流でトラブルが発生しても検知出来ず、下流で炎上するという、構造的な仕組みが理解出来た。
質疑応答でヤムチャが何故か裏側とかネガティブな話、SBOがユーザーの話を執拗に質問した。
退職後、髭が伸び放題だったマルチが綺麗に剃り落としていたことで、少し彼のことを見直した。
思った矢先、普段は席が離れていて、話す機会のない考える人とホーガンにマルチが健康食品を推奨した。
その日は午前中で終了したので、MJ、SBOと一緒に昼食をした後、三人揃ってハローワークに行った。
講義のない休日は地下鉄の一日乗り放題チケットを利用して、古書店巡り若しくはお笑いライブを満喫した。
自宅が古書に占領されたので、古書店巡りよりもお笑いライブ鑑賞に注力したが、数百円から千円台で観られるお笑いライブは、数千円はする演劇や音楽と異なり、激安だった。
ゴールデン街を紹介してくれた友人の芸人だけでなく、事務所ライブ、地下ライブ関係なく、貪るように楽しんだ結果、また、僕の悪い癖が出た。その友人につい口を滑らして言ってしまう。
「毎月、新作と言いながら、殆ど変わってないやん、落語やったら、毎日違うネタをやってるで」
「お笑いやってへん人に滑る恐怖は分からへんから」と沈鬱にいう彼に対し、「そんなん言ってたら何も出来へんやん」と言ってしまう。
その彼から、女性を思わせる名前の後輩芸人を紹介されて、楽しみにしていたが、禿頭の大男で内心ガッカリ。
その禿げ頭と話してみると礼儀正しく、お笑いに対する姿勢だけでなく、人間的に尊敬出来ることが分かった。
突き抜けた芸風の禿げ頭であったが、物事を多面的に捉えており、阿保の賢ぶりならぬ、正に賢の阿保ぶりだ。
ベテランに門戸が閉ざされた賞の代わりにベテランだけの賞が開催されるので、決して芸歴が短いとは言えない二人を応援し、ライブにも足を運んだ。
一回戦から通い始めると「流石にベテランは面白いな」二回戦になると聞いたことのある名前も。
「あれ、前回と同じネタや」は半数近くであり、流行りの奇抜な恰好や大声、悪口等が勝ち残る。
結局、テレビと同じ基準で審査員が評価するので、同じ構造であり、友人の言うことも漸く理解できた。彼には悪いことを言ったと思う。
地下ライブは真剣勝負であり、面白いが、上部構造が、インスタント、コンビニエンス、グリードで、会場での面白さとその後の評価が必ずしも一致しない。
主催者の不手際に正式な謝罪を求めますとSNSで発信する芸人がいたので、その発言に対し、僕からは笑いで示せと発信する。
芸人自体は分かって貰えたが、所謂オシの舞台は真剣勝負であり、一分一秒でも長くオシを応援したい気持ちもわかる。
見た目の良い芸人を追い掛ける構造は、贔屓の引き倒しになっており、正直言って目に余る状態。
不毛なSNS上の遣り取りを察した友人が仲裁に入って、炎上も鎮火したが足跡は残ってしまう。
いっそ、僕が出資して地下ライブを主催しようと考えたが、SNSのコメントが禍となり、協力してくれる人はいない。
蕎麦屋の「モリカケ問題」と僕が陰で勝手に呼んでいる例の五〇代の男は、何となく嘲笑の対象としてみていたが、その日、山盛りのテンカスとそのてっぺんにガリを乗せた蕎麦をすすりながらスマホ片手に、孫と思われる子供の写真を見ていた。
スマホを見る彼の姿を見て、石川啄木の働けど働けど我が暮らし楽にならずじっと手を見るの手を孫に置き換えて、口遊んだ。
テンカスの山とその頂上のガリ、そしてスマホを見る男の姿が目の端でどうもちらつき、そば屋を出てからも脳裏から離れず、頭の中がもやもやする。
あのおっさん、孫がいるということは、結婚して子育ても経験したのかもしれず、きちんと家族を養ってきたのかもしれない。
タダで食えるテンカス、ガリをしこたまそばに乗せて食う姿を、どこか面白がりながら、どこか貧乏臭いと小馬鹿にしながら見てきた。
しかし、そんなおっさんの貧乏臭さこそが家族を支えてきたのであり、これまで生きてきた細やかな喜びが、孫の姿であるとしたら。
それはそれで、ある意味かっこいい男の生き様の一つなのではなかろうか、それに引き換え、僕はどうか。
会社を早期退職し、結婚も失敗、酒とお笑いに溺れ、合気道やプログラミング講座も何処か他人事で人間観察と、五十近くのいい年をして僕は斜に構え、真面目ではない。
テンカス、ガリのおっさんも、プログラミング講座の人々も、みんな、みんな、心の何処かで見下してきたのではないか、そんな思いを振り切るよう、思索と読書に逃げ込む。
政治の無策によって、勝ち組と負け組を生み出しており、オレオレ詐欺こそ世代間の対立の賜物。
拝金主義を嫌悪しながらも、結局のところ金銭の多寡で評価する悪癖を僕は一刻も早く捨てたい。
実力主義とは言いながら、実力を遺憾なく発揮出来る人は殆ど居らず、不機嫌な椅子取りゲーム。
個人で解決出来る問題ではなく、社会の構造若しくは分配の問題であると考えなければならない。近代史は学校で殆ど触れないが、松原岩五郎の「再暗黒の東京」を読み、自分の近現代史への認識の浅さにいまさらながら気づく。
ラス・カサス「インディアスの破壊について簡潔な報告」は、過酷な植民地支配を告発しているが、その背景にある西洋文明の異人種蔑視が今も続いていると痛感させられる。
がむしゃらに本を読み、日々のニュースを見聞きするにつれ、あれこれ納得いかないことが多く、もやもやが晴れない。
永田町の「モリカケ問題」は未曽有のコロナ感染で、人々の生活基盤が棄損してもお構いなしだ。
「モリ」は曰く付きの土地であり、隣地は基礎自治体が購入したことや生コンには一切触れない。
「カケ」も都会に動物のお医者さんが乱立する一方で、地方の獣医不足に言及する片鱗さえない。
隼町を頂点として司法に任せて、未曽有の危機に対処せず、時給換算出来ず三文芝居を繰り返す。
「神輿は軽くてパーが良い」選挙結果だけが重要であり、政治に興味がない都合の良い政治家達。
猿は木から落ちても猿だが、政治家は落ちると存在価値を失うので、選挙結果を後生大事にするのは理解出来るが制度の問題だ。
同一賃金同一労働も野党主導が当然と思ったが、支持層の利益優先で非正規雇用者は透明人間だ。
国会議員だけでなく、号泣兵庫県議、富山県議会、居直り都議達は反面教師として、見事に降臨。
人口ピラミッドでも明らかであり、投票率高い高齢者優先になり、若者は未来が見えずに少子化。
お神輿を担いでいたのに、騎馬戦になっており、「出たな、妖怪子泣き爺」このままでは肩車だ。
奇跡の戦後復興は優秀な官僚機構によって齎されたが、旧態依然で制度疲労が著しくなっている。
護送船団方式でエコノミックアニマルと呼ばれても、冷戦構造の恩恵を受けて、現場の声届かず。
繊維、トランジスタラジオ、自動車等は年次改革要望書にも負けずに前進、前進、前進あるのみ。
ハイビジョン構想推進した結果、スーパーハイウェイ構想の申し子であるインターネットに敗北。
モノづくり神話を盲信した結果、プラットフォームを独占されて、ガラパゴス及びコモディティ。
IT、ICT、AI、マイナンバー等船頭多くして船山に上る、残念ながら省益あって国益なし。
霞が関中心の考え方や九段北の靖國神社から大村益次郎が双眼鏡で覗いても実態は見えてこない。
地方創生を叫んでみても、東名阪の広告代理店やコンサルタント、最悪外資系が潤うだけの構造。
短期天下り税制の恩恵を受けて、退官後に蓄財出来るけれど、受け入れ先では戦力外の浦島太郎。
パパ活疑惑、長男殺害、池袋母子死亡暴走事故等「晩節汚し過ぎ」ワークライフバランスって何。
戦争責任は戦勝国によって裁かれたので、当事者意識が希薄であり、軍隊の責任で「ハイ終わり」
計画立案者であった官僚機構と扇動者であったマスコミは反省もなしに温存されることになった。
臭いものには蓋ではないが、縄文時代や弥生時代に時間を割いて、近現代史は時間切れ言及せず。
大手町、竹橋、お台場、築地は横並びで、マンネリ化、オワコン、神谷町だけ独自路線で躍進中。
マスコミによるバッシング、集団ストーカーによって経営する居酒屋を閉店に追い込まれた元プロレスラーの悲劇。
バブル崩壊の元凶も暴力団に押し付けて、「ハイ終わり」受け皿なしに暴力団を排除すれば、凶悪化する。
代紋でも異彩を放つサクラダモンも戦後混乱期には共存共栄、正確に言えば必要不可欠な存在だ。
戦後混乱の騒擾、60年代及び70年代安保闘争の関係は公然の秘密であり、毒を以て毒を制す。
非行、不良、落ちこぼれ等も臭いものに蓋の結果であり、受け皿なしでは地下に潜るだけ悪循環。
パパ活、裏口入学疑惑等の不祥事が噴出するが、嫌々勉強させるのでなく、技術の習得と承継を。
半グレと外国人犯罪が多発して、繁華街は見た目こそ浄化されたが、より危険性が高まっただけ。
天下りだけでなく、ジョセフ・P・ケネディのような清濁併せ呑む人材活用が今こそ必要だろう。
個人にとって倹約は美徳であるが、社会に蔓延すれば不況、雇用条件が悪化する特大ブーメラン。
ニュースや歴史を中心に色々と読んだが、山田風太郎「戦中派不戦日記」に描かれた死生観に心打たれ、生涯の必読の書になった。
縄文時代と弥生時代の差違に時間を費やして、近代史は殆ど触れない歴史教育って変じゃないか。
合気道、酒、お笑いライブ、プログラミング講座と日常を熟しつつ、貪るように読み、そして無秩序に思いつく概念を頭の中で無秩序につなげていく。
学生時代にもこんなに読み考えたことはなく、短期間で詰め込まれた知識や泡のように浮かんでは消える思考が心で滾ってくる。
伝えたい、書きたい、折に触れてパソコンの前に座ると、僕の中の形にならない何かが文章になって溢れ、気が付くと、文字通り寝食を忘れることもあった。
そうだ、作家になろう、先の見えない日常のはるかはるか遠い先に、一筋の光が差してきたような気がした。
大学時代のバイト仲間が地元の町長選挙に立候補することになったので、急遽手伝うことにした。
久し振りに郷里を訪ねてみると既に亡くなったと思っていた元妻の消息を伝え聞くことになった。
最後の電話で話した内容が生々しく思い出されて、やめられないとまらない悪癖が出てしまった。
結婚する三倍の労力と言われているが、実際にはそれ以上で、対外的には内緒で資金を捻出した。
紆余曲折あったが、大阪市内のマンション売却の譲渡益が発生したので、還元するよう手配した。
著名作家のデッサンを購入して、ボーナス毎50万円を四年間で買い戻すことを口頭で約束した。
二回目に高騰して、譲渡を提案したが「面倒だから、今まで通り、現金書留にして下さい」一蹴。
最後の送金を連絡すると「余命幾許もないから」拒絶されて「元気になったら連絡下さい」依頼。
連絡をしても梨の礫であり、知人の弁護士に仲介を依頼すると「全て解決済みである」との見解。
「着信拒否にしており、増改築や新車購入しており、悪質」との助言に買い戻しの話を内容証明郵便で送付した。
デッサンは返還せず、現金150万円を返還することで合意したと弁護士から連絡を受けた直後。
「余命幾許もないから」弁護士との連絡さえ絶った「刑事告訴する心算でなければ、諦めた方が」
弁護士さえも匙を投げてしまったが、思い返せば、別れた妻は詭弁を弄して、煙に巻かれ放しだ。
冷静になって考えてみれば、喧嘩両成敗であり、そこまで嫌われてしまった自分を反省すべきだ。
純朴な田舎の少年が、社会に揉まれた「木綿のハンカチーフ」そのままであり、身から出た錆だ。
プログラミング講座も佳境に入り、アプリ作成の課題は、予想通りのホーガン、MJに続き、ダークホースの僕だけが自らの力で完成させた。
MJはアプリ完成後、他言語習得でなく、その他受講生に対して、便利なサイトを紹介していた。
事前に画面遷移及びデータ量を考慮せず、やりたいことが先走り、出来ることを考慮していない。
機能を削りに削って、最終的には過去作品を少しだけ変更させて、講師が力業で完成に持ち込む。
修了式が開催されたが、欠席者が続出しており、不思議に思ったが、一部電車運行の所為だった。
プログラミングコースは、ホテルマン一人だったが、それ以外のコースは三人ずつ脱落していた。
修了式に引き続き、合同面接会が実施されるが、僕は最低で二社だけ、殆ど五、六社以上だった。
面接後、合否の連絡もなかったが、久しぶりに会ったMJは企業と事務局の不手際を憤っていた。
合気道の稽古で、若いのに半身不随の方と仲良くなり、話をするとITコースの企画担当だった。
IT企業の激務に耐え切れず、二十代で脳梗塞を患った為、リハビリに取り組んで現職に就いた。
職業カウンセラー資格を取得して、障碍者雇用の実態をしり、就業支援業務に携わる決心をした。
投げ技は兎も角、固め技は不自由であり、一緒に稽古を敬遠する雰囲気もあったので、意気投合。
実際に稽古をすると、パワーとスピードではなく、体の構造を熟知しなければ、バランスを崩す。
技を覚えることを最優先させていたが、取りではなく、受けている時こそ重要なことに気付いた。
僕の膝と足の裏も奇跡的な回復を遂げたけれど、彼と稽古していると本源的な強さを実感出来た。
ジル・ボルト・テイラー「奇跡の脳❘脳科学者の脳が壊れたとき」を彼から紹介されて、脳と身体の機能について、更に納得した。
プログラミング講座も修了し、合気道と、読書と思索と、そして執筆をメインにする日々がはじまる。
自分の心に浮かぶものを、自分の人生と重ね合わせながら、ただひたすらに、書いて書いて書き上げる。
二日で中編一編を書き上げることもあり、材料と、そして執筆のエネルギーは、自分でも思ってもみなかったほどに高まっている。
手近な小説の新人賞を調べては、書き上げた作品を、片っ端から応募する、まずは一作でも賞を取れれば。
熱意に反比例してか、半年ほど経つも、受賞どころか一次審査さえも通過せず、評価も貰えず、何処が悪いのか分からず仕舞い、問題点は不明で消化されない。
酒場では、「小説を読んで批評する」と言う人もいて、原稿を託したが、その後連絡が取れなくなるか、抑々覚えていないかだ。
「小説家や映画関係者も昔は沢山いた」常連マウントには内心(文句言いながらも来てますよね)
不毛な議論に辟易して、体質的にも朝型人間なので、無理をせずに帰宅して寝ることを決意した。
寝付かれない時、飲みに行きたい気持ちを抑えて、眠くなるまで只管本を読む習慣を身に付けた。
山川菊枝「武家の女性」児島譲「史録日本国憲法」Eケストナー「人生処方詩集」英知に触れる。
志賀直哉「暗夜行路」吉村昭「海も枯れきる」荒畑寒村「谷中村滅亡史」貪るように読み続けた。
ドイツ鉄血宰相、ビスクマルクの至言「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」意味を漸く理解。
バイロンの名言「事実は小説より奇なり」共感出来る反面、小説でしか表現出来ない事情もある。
自分の作品のどこが悪いのか、何処が問題なのか、分からないままに、執筆と新人賞への応募と落選が続き、まさに無間地獄。
不毛さを感じなかったと言ったら嘘になるが、書きたい気持ちは一向に衰えず、がむしゃらに突き進んでいた頃、ゴールデン街の酒場で、常連客の一人、ある男と出会った。
僕よりも少し年下の彼は、元警察官僚で、その関係もあり、著名作家の執筆協力をしているそうだ。
酒場で何度か顔を合わせるうちに、本も読んでいるし、話も合うし、それなりに面白い人物であることが段々分かってきた。
ぜひ、作品に関して彼の意見が欲しいと思ったが、何処の馬の骨かも知らない僕は、当然警戒された。
別れた妻に「このストーカー野郎」罵倒された執念深さで彼を追い回したが、熱心と評価されたのか、彼にこれまでの執筆活動と作品について話すことに。
数ある落選作品を読んでくれて、食事しながら、初めて批評してくれる機会まで漕ぎ付けられた。
僕の熱意に絆されたのか、以前、彼が構想したものの執筆に至らなかったプロットを送付して貰い、共同制作を約束してくれることになった。
僕が主に執筆し、彼がそれにコメントを付ける形で作業を進め、四か月後のとある新人賞への応募を目指す。
プロットや登場人物の設定など、彼が作ったものをほぼ踏襲すれば良かったので、楽が出来ると思いきや、実際に共同制作を始めるとそうもいかない。
僕が原稿のワードファイルを送って数日ほどすると、歯に衣着せぬ辛辣なコメントと修正文案が山ほどついて返信されてきて、正直面食らってしまった。
一方で、これまで自分の作品の何処がどう問題かわからず、独りで執筆を続けていた僕にとって、直すべきところが明らかになったのは大きな収穫でもあった。
どちらかというと、彼は大所高所から全体像を構築するのに対して、僕は全体像よりも、走りながら考えるタイプであり、タイプの違いもあったのかもしれない。
タイプの違いはほかにもあって、僕は直情型で心理描写を重視するが、言葉足らずで不明瞭になり、彼は矛盾なく事柄を整理する。
僕は証券会社にいたので、経済分野が得意であり、彼は警察官僚だったので、法律分野に詳しい。
酒場で愚痴を零していたが、店員に「私に不満言っても仕方ないでしょ、二人で直接話さなきゃ」
「相手に変われ、変われと迫るのでなく、変わるべきは自分だと思いますよ」天啓の如く聞いた。
彼も僕の煮え切らない態度に不満を持っていたようで、大海原に出航した途端、座礁する寸前であったが、腹を割って話してみることに。
共同制作に関して、彼は言い過ぎてしまっていることを心配していたが、今まで誰からも指摘がない状態だった自分としてはありがたい旨、率直に語った。
彼は、本文のみならず、梗概の重要性についても語り、僕にとっては目から鱗と感じることもあった。恥ずかしながら、僕はそれまで梗概を便概と誤って覚えていたのだ。
「新人賞って下読みで落とすから、全部きちんと読んでくれることなんて少なくてコウガイが重要視されると思いますよ」彼は、僕の梗概を読んだ後、遠慮がちに続ける。
「梗概といっても、只の箇条書きじゃ、読む気になりませんよね、キヘンで梗概ね、ニンベンだと(便概)ベンガイ」
「それって致命傷ですか」尋ねると「致命傷かは分からないけど、今回のも含め、次回以降の梗概は気合を入れて書きましょう」
落ち込む僕を慮って「本文は誤字脱字、時間と場所が不明瞭な点はありますが、読み応えはありますよ」
その後、曲折を経ながらも、彼のプロットによる作品を完成させ、応募締め切り日ぎりぎりに、新人賞に提出することが出来た。
またあるときの打ち合わせで、これまでの新人賞の落選原稿があることを話すと、彼からこんな提案を受けた。
「折角なんで、落選作品もブログサイトで無料公開しましょう、SNSで拡散すれば、他人の目に触れる機会が増えるし、批評や感想を貰えるかもしれない」
その翌日には、彼からブログサイトとSNSの新規アカウントを作った旨の連絡があり、早速落選作を公開すると、すぐに、僅かながらも閲覧がついた、おお。
これまで、自分しか読むことがなかった作品が誰かの目に留まったことに、我ながら、少なからず感動を覚える。
無間地獄が嘘のように動き始めて、泥濘に喘いでいた僕に一筋の光明だけでなく、神が降臨したような気さえした。
何度か打ち合わせを重ね、作品の相談をするうちに、少しずつ、彼との距離も縮まり、共同制作者として、相棒として、お互いにやっていく自信を重ねていった。
自分に欠けていたもの、「僕の一番欲しかったもの」を、漸く探し出すことが出来たのかもしれない。
この作品は、僕の藻掻き苦しんだ一年間の記録であり、彼がどのように批評してくれるか楽しみであり、怖くもある。
そんなある時、家で足を組んで座り、パソコンに向かって執筆をしていると、ふと、右足の裏が目に入った。
コンプレックスだった右足のケロイドが、いつの間にか、ずいぶんと小さくなっているではないか。自分の足の裏を久しぶりにちゃんと見たので、少し驚いてしまう。
合気道のせいか、プログラミング講座のせいか、素足生活のせいかはわからない。でも、足を床に下ろすと、どこかしら、力強く大地を掴む感覚がある。うん、いけそうだ。
今は、作家を目指す朧気ながらも一筋の道をこの足で踏みしめ、行けるところまで行ってやろうと思うのである。