だっぱんだっちゅうか~カブキモノ⑪
脱藩と言えば、幕末に尊王攘夷に共鳴した土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎や長州藩の吉田松陰、高杉晋作等が有名だ。
彼らの活躍が草莽崛起を促し、紆余曲折を経て、薩長同盟、明治維新に繋がったのは間違いないだろう。
一方で、旧幕府軍の伊庭八郎や人見勝太郎等が率いる遊撃隊の要請を受けて、自ら脱藩して戊辰戦争に参加した大名がいる。
請西藩一万石の林忠崇は賛同した藩士と共に各地を転戦したが、徳川宗家存続の報を受けて、大義名分を果たして降伏した。
その際に詠んだ辞世の歌は、
真心の
あるかなきかはほふり出す
腹の血しおの色にこそ知れ
米国の首都スミソニアン国立動物園にジャイアントパンダ2頭が中国から貸与されることが発表された。
安全保障や経済分野での緊張が続く、米中関係であるが「パンダ外交」が復活の兆しを見せつつある。
1940(昭和15)年、日中戦争で南京は陥落、米国の支援を求めて、蒋介石の妻である宋美齢が嚆矢である。
1972(昭和47)年、日中国交正常化の際、上野動物園のカンカン、ランランブームも熱狂的な歓迎を受けた。
台湾と親しい佐藤内閣では拒否され続けていたが、親中派の田中内閣になって実現したことは意味深い。
欧米では膨大なコストが求められて、太々しい態度のパンダは人気がなく、ニホンザルの生態に興味を持つと聞いた。
大人になっても可愛さを求めるのは稀であり、ディズニーランドは完全に子供を対象とした施設となっている。
上野動物園は兎も角、南紀白浜アドベンチャーワールドのパンダは政治的な意図が見え隠れして複雑な思いがする。
「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」
台湾の独立に日本が加担しないように中国の呉江浩大使による恫喝とも言える発言が報道されない異常事態だ。
天安門事件、香港の民主化運動である雨傘運動等の中国にとって、都合の悪い情報を隠蔽する体質は許されない。
釧路湿原、阿蘇山等がメガソーラーで自然が台無しにされて、自治体によるゴリ押しが目立って気持ち悪い。
火災時には鎮火を待つしか対応策がなく、バックドアの存在、上海電力は習遠平との関係も噂されている。
何よりも農地、山林等が侵食されて、国土が買い占められて、銅線の盗難に至っては文字通り泥棒に追い銭だ。
新宿区役所は団体旅行さながら生活保護申請の行列で怒号が飛び交い殺気立って、本来業務が停滞を招く。
インバウンド需要と騒がれているが、禁止された民泊、移動手段も清算済み、中国資本の飲食店は計画倒産を繰り返す。
ドラッグストアだけは中国語担当が採用されて、大賑わいだが恩恵は雀の涙でオーバーツーリズムの弊害だけ甚大だ。
新宿区の新成人は約半数が外国人となっているが、新宿だけに限った現象でないことを以下に説明していこう。
東京都内で生活保護を受給する中国人の数は令和4年度の東京都資料と平成29年度の比較で倍増している。
令和5年現在、東京都内に居住する約62万人の外国人約3割に当たる約25万人が中国人となっている。
中でも「X(旧Twitter)の悲劇」の舞台となった東京第15区である江東区の状況は中でも深刻だ。
東京都に居る中国人の約10人に一人が居住して、チャイナタウン化しており、住民トラブルも絶えない。
中国の「国防総動員法」によって、
「国家の主権、統一と領土の完全性および安全を守るため、中国政府が有事だと判断すれば対中進出している外資系企業も含めて、中国のあらゆる組織のヒト・モノ・カネの徴用が合法化される」
令和4年時点で約10万人以上の在中日本人は中国政府の胸先三寸で即時に人質になる可能性がある。
一方で、同じく約82万人以上の在日中国人は中国政府の命令の元で尖兵となる可能性もあり得る。
合わせて「国家情報法」第7条では、
「いかなる組織および個人も法律に従って国家の情報の秘密を守らなければならない。国はそのような国民、組織を保護する」
言い換えれば、中国国民および中国企業は中国政府の命令の元でスパイとして活動する義務がある。
それに対して、日本のセキュリティクリアランス制度導入は個人情報を盾に骨抜きにされてしまった。
単純に中国のリスクだけを煽るのは片手落ちだと思うが、戦後の日本では米国の庇護によって命脈を保っている。
日中戦争が泥沼化する中、ナチスの快進撃を食い止める為、米国参戦を望んだチャーチル英首相が暗躍する。
日独伊三国軍事同盟は痛恨の悪手ではあるが、当時の世論は圧倒的に支持、報道は国民を扇動し続けた。
国民党蒋介石や日本の北進を恐れたスターリンソ連書記長の意を受けて、日米開戦を模索した。
大東亜戦争における圧倒的な死者数は、
第1位 広島原爆 約14万人
第2位 東京大空襲 約10万人
第3位 長崎原爆 約7万人
米国はこれらの事実は戦争終結に必要だったとの態度を崩すことはないだろう。
GHQによるWGIP及び3S政策によって、政治に関心を持たず大谷翔平と芸能ニュースだけを垂れ流す。
食料自給率やエネルギー政策からも目を背けて、生活のインフラをGAFAに委ねて惰眠を貪り続ける。
戊辰戦争における二本松少年隊、会津若松白虎隊、大東亜戦争に散った英霊を犬死と笑うことは許されない。
明治維新の是非もここでは避けるが、南北戦争の早期終結で武器商人は大量な在庫を抱えることになった。
フランスが旧幕府、イギリスが薩摩に肩入れして、国際見本市となったのが、戊辰戦争の内情だった。
無血開城で最小限の被害で富国強兵に取り組んだ日本は日清戦争、日露戦争は欧米列強の代理戦争と言える。
国際連盟発足時の人種差別撤廃提案は国内事情を抱える米国の警戒心を生み、オレンジ計画が始まる。
辛亥革命でナショナリズムが高まり、欧米列強との条約無効化を推進する態度を警戒して、日本を対峙させた。
満洲事変も日本に好意的であったが、リットン調査団を受け入れず、強硬論を繰り返す日本は孤立していった。
自分さえ良ければと傍若無人に振舞って、他人の自由を侵害してもなんとも思わない現在の風潮を危ぶむ。
自分自身も人様のことを言える人生を送ってきた訳ではないが、もう遅いかもしれないが悪足掻きしていく。
冒頭に紹介した脱藩大名林忠崇のその後を紹介したい。
唐津藩邸に幽閉後、甥の忠弘預かり、農民や東京府の下級役人、番頭や寺院に寓居する等困窮の日々を送った。
1893(明治26)年、西郷隆盛の西南戦争による朝敵扱いが解除されて、旧藩士による家名復興の嘆願が認められる。
宮内省、日光東照宮の神職を経て、1941(昭和16)年、最後の大名として満92歳で死去した。
死の直前、辞世の句を求められると、
「明治元年にやった。今は無い」
固辞するもなお求められて詠んだ句は、
琴となり
下駄となるのも
桐の道
チャーチルの名言は、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
しかし、歴史は勝者の立場でしかない。
歴史は裁くものではなく、学ぶものである
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