リズムを捨て、ロジックを採った。
130年前、我々はリズムを捨て、ロジックを採った。いわゆる言文一致体の創出である。
もちろん、これは暴言に過ぎない。
古言のリズムはなお各所に残り、またロジックも、欧文脈のそれ以前から、和漢文の論脈も堅持されてきたはずである。
がしかし、それほどの妄言が必要と思わせるほどの先人の苦労がたしかにあり、そこには大きな断裂があったのだ。
先人二葉亭しかり、美妙しかりである。
この二名の"人生敗者"のたたかいによって、我々の前に開かれた近代文脈の沃野の広さはどうか。まさに、多様な言語の強風の吹きすさぶ世界の中で、個の心中までも軽々と言表しうるかの自由が得られたのだ。
だが、この和文書記における激変によって、古文脈によって受け継がれ、身に付き心に沁みた韻律はもはや引潮のごとく去り、わずかに残るは足下の流砂のみとなったと見える。
その後、紅葉露伴、鷗外漱石、藤村花袋、志賀直哉、荷風谷崎、芥川菊池寛らによって受け継がれた書記体の試みの数々は、近代書記におけるリズムのあらたな獲得をめざした苦闘だったのだ、といってもよいだろう。
自由律という語の撞着、理解と得心の違い、さらには了解から感銘までの隔たりを思えば、せめて句歌の音数律だけは手放すまい、と私は思う。
現代詩はすでに文体としてのリズムを放棄したかに見えるのだ。中也の不敵な顔が、チェシャ猫のごとく空中に浮かぶのみ、と。
ただし、我々の身中には元来、心の臓という強靭なメトロノームが備わっている。息もまたリズムである。「いのち」の語源は「息の力」だという。
リズムこそは我々の生の足取りであり、生こそが我々にリズムをもたらすのだ。
拙文も見ての通り惨憺たるありさまだか、わずかに足下の流砂をも掬いつつ、かろうじて先人らのたたかいの跡を辿りうるまではと、続行中の跡である。
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