『自転車泥棒』Ladri di Biciclette 1948 で、捕まった父を目にした少年の形相と、放免された父を気遣い見上げた眼差しが忘れられない。
デ・シーカが街で見つけたという子役とチコニーニの曲が胸に迫る。どこで観たのか。昔の映画館の暗闇の中である。
同じ頃、飯田橋の佳作座で隣の男がアタッシュケースに顔を伏せて泣くのを見た。さぞや辛い仕事なのだろう。画面は喜劇だったような気がする。
『フーテンの寅さん』だったか。 寅さんは銀座の客は笑って観る、浅草では泣いて観ると言われたものだ。
大学で『寅さん』を観よう、というポスターに、ご免だと思ったものだ。寅さんにも小津安にもしかと向かい合いたくなかったのだ。又、橋本治のポスターにも辟易。これは全く逆に、嫌悪感故およそ見たくないと思ったのだったが、何故か。やはり「背中」に何かを貼りつけていたのだろう、あるいは尻に。
『奇跡の丘』Il Vangelo secondo Matteo 1964 は銀座の封切り館で観た。バチカンの許しが出たのか、尼僧たちも席に並んだ。商売人に激怒する不機嫌なイエス。『自転車泥棒』同様、素人の俳優たち。労働者の顔。荒涼としたモノクロ画面に明滅する光。暗闇に広がる激しい情念。
その頃一体何を考えていたのか。
当時の教え子の訃が届いた。小学時代より将棋に秀でた青年。家は全国社寺の守護 goods を作ってます、と屈托なく笑った顔が浮かぶ。脳腫瘍故、新人類が団塊を超えて逝くとは……
痛恨也。