去年までを振り返って
下記の内容を重点的に書いている。
このノートの一部でも誰かの参考になれば、これ幸甚。
・自分のこれまでの経歴をざっと振り返る
・D社・フリーランスへの転職の動機、実情
・キャリア、年収について・ポエム
自分のこれまでの経歴をざっと振り返る
ゲーム専門学校を修了し、フリーターのような20代を送った。
同人業界、リフォーム業界、IT業界、アニメ業界……興味のあることをただやってきたが、何も手に職はつかなかった。
転職回数はおそらく両手の指では足りないくらいだ。二人分必要かもしれない。
また、自分を大きく見せようと、収入に見合わないお金をつかって、借金を重ねていく。おそらく300万くらい。
(現在は法律上、収入の3分の1までしか借りれない)
例えば、上記の流れをまとめると、下記のようになる。
すぐに転職する→借金が増えていく→すぐ転職する→借金が滞納し始める=積む
これが負のスパイラルの公式。テストに出る(出せないわ!)
自分は馬鹿だった。後でなんとでもなると無根拠に信じ切っていた。
カードローンの返済が遅れて滞納したとき、容赦なくかかってくる電話にずっと出ず、ポストに入ってくる警告文も無視していた。
ところで、小さい頃から、特にやりたいことがあった。
それはアニメやゲーム業界で働くというものだった。
あるOVA(オリジナルビデオアニメーション)を制作する会社で2年ほどWebコーダーとして働いた。
OVAという、限られた市場の作品を一般に向けてどう宣伝したら良いのかを考え、LPや通販サイトに反映させていく。
流通とどう折り合いをつけながら売っていくか、キャンペーンはどうする、などなど。
一方で、日々スタッフが入れ替わり、アニメのクオリティも下がっていく。日々自分の理想と現実の仕事のギャップに悩んだ。
職場環境は最悪。PCも古い。
相談できる人間が周囲におらず、すぐにストレスが溜まっていった。
家の物を壁に投げつけたり、喋ってる途中で笑ったり、黙り込んだり、気分が毎時ごとに変調する、酒を飲んで暴言を吐くなど、友人に不安がられた(申し訳なかった)
精神がおかしくなり、このままではまずいと思いはじめていた。
そこで、アニメ業界で一番有名と言っても過言でない会社で名をあげようと思い立った。
その名も、S社(見える……私にも、社名が見える!!)
たまたまS社がWebコーダーを求めていた。
ここなら自分が一番誇れる仕事で、理想のために働けると思ったのだ。
圧迫面接を受けながら、なんと、採用まで取り付けた。
しかし、私はその会社を一日でやめた。
詳細は書けないが、直属の上司との些細な不一致が原因だったと思う。
しかし、心底怒りの湧く出来事で、今でも忘れない。
それからは派遣や期間限定のパートなどを転々とした。
大きな夢が消えて、半ばすべてがどうでも良くなってしまった。
お金を節約して、なるべく簡単な仕事をしようとした。
データ入力、資料の仕分け、簡単な電話応対……
このまま静かに暮らして、一生を終えよう、などと思っていた矢先。
ある会社で面接をした際に、何故か動悸がし、変な汗が出てきた。
もともと、人前で緊張する性質はあったが、明らかにおかしいと思い、その場では
「久しぶりの面接なので、緊張しますね、ははっ;;;」
などと言ってごまかした(無論、面接は落ちた;)
それから、同様の症状が、人混みや電車の中などで起こるようになった。
例えば電車だと、ホームに降りて落ち着くのをまって、また電車に乗って、降りて、などを繰り返す。
心臓が高鳴って、このまま死ぬんじゃないかと思うような状態になってしまう。
病院で診察を受け、これは不安障害とよばれるものだということが分かった。
真面目な人がなりやすい、人前で恥をかくことを恐れる人がなりやすいなどと言われる。
(恥の多い生涯を送ってきました……等と自信を持って言えるのに)
薬をもらって徐々に症状は軽くなっていったが、副作用などで仕事に支障が出るために、あまりフルで働くことはできなかった。
(薬の副作用で、眠気や、全身に電気が走るような感覚に襲われることがある)
D社
長い前提となる話はここまで。ここからが本題。
不安障害が徐々に治ってきて、ちょっと挑戦心が湧いてきた。
派遣で働く形を維持しつつ、ちょっと給料の良いところを探していた。
ちょうど一昨年から、刀剣男子や艦娘で有名な大手D社でWebコーダーとして、派遣社員という立場で働き始めた。
プラットフォームのウェブページのABテストをする要員として採用された。
面接の際に、面接の担当者が石川県の金沢におり、東京からスカイプを繋いで面談するという形を取ったため、懸案だった緊張状態を回避することができたのだ。
これは、殆ど運と言って良い。
入社後は今まで使ったことのなかったGit、タスクランナー、JIRAなどのツールに一瞬戸惑ったが、なんとか使いこなせた。
また、企業文化にも驚いた。自分は派遣社員だったが、社員のミーティングにも参加させてもらえた。
あるいは、LTと称する小さな発表会、コードレビューという自分が書いたコードをレビューしてもらえるなど、とても丁寧な文化が根づいていた。
(この時、上記の人材育成手法があることすら知らなかった)
人にも恵まれ、多くのエンジニア仲間に助けてもらいながら、仕事をすることができた。
(彼らは、今でも連絡を取り合える仲となった)
しかし、一昨年の夏以降、ABテスト自体が少なくなった。会社の意向が少しづつ変わってきたのだ。
仕事が少しだけ暇になり、その中で業界の動向や、今自分が持っているスキルをあらためて考え直そうと思い、情報収集の為にツイッターを本格的に始めた。
そして、よく知られている有名人たちの話を聞いてみた。
例えば、現時点で自分は33歳で、自分よりずっと若い20代前半の人が高い給料もらってる。
中には年収800万を超える方も見かけた。
20代にして年収800万。これは驚くべき事だった。
さまざまな業界に首を突っ込んできたが、若い人がこれだけお金をもらっている世界を今まで知らなかった。
そもそも、自分は社会人になって年収300万超えたことがなかった。
例えばアニメ業界は慢性的に賃金不足なのは報道の通り。
監督という素晴らしい地位を得ても、600程度といわれる。
動画を描く人や、制作進行など、大抵は100~200ちょいでやってるのだ。
堅気の世界の、普通の会社の派遣社員として働いて300万程なのだ。
例えば、スキルはどうか。
社会人の最初の頃は、jQueryが出始めていた。Tの穴という同人誌流通、販売会社で働いていたときに覚えていた。
その頃の記憶を頼りながら、久し振りに本格的なWeb開発の世界に戻ってきたのだ。
それまでは、殆どWeb制作の知識の無い現場で働いていたので、自分に情報が入ってこなかったのだ。
知らないフレームワークがたくさんあった。Angular, React, Vue……
最初、新しいjQueryか、バックエンド向けのフレームワークなのかなと思ったくらい何も知らなかった。
しかし、調べてみるとそれはjQuery等とは全く違う。
VirtualDOMをコンポーネント単位で取り扱い、データの変更によってDOMを反応的に書き換える、フロントエンド側の、画期的なシステムだった。
「これは、当たり前になっているものなのか?」
そう呟いた。
これらのフレームワークを駆使するのは、ネットの神々だけなんじゃないかと思いもした。
しかし、GitHubのスター数が十万を超えているものを、無視するわけにもいかない。
現に求人サイトを眺めていると、フレームワークをつかった開発経験者を求めているものがいくつもある。
キャリアを上げたい。
このままじっとしていては、貴重な時間の浪費と、薄給で難ゲー化した人生の中で詰んで(死んで)しまう。
D社の業務で、上記のフレームワークにふれる機会はなかった。
フリーランスへの転職の動機、実情
話は飛ぶが、ひょんなことから昨年の4月からフリーランスになった。
ある日、ツイッターを眺めていたらフリーで稼ぎながら新しい技術を得て渡り歩く集団を観測したのだ。
しかも、彼らはそれほど経験がなく、ネットのプログラミング学習サイトで学んでいるレベルのものだ。
「その程度でフリーになれるのか?」
それが正直な感想だった。
自分が知っているフリーランスは、例えばカメラマン、例えばアニメーターなど、地獄の現場で何年も叩き上げられてなった奴らだ。
大袈裟に言えば、師匠みたいな存在がいて、薫陶を受けて成り上がる。
それはそれは凄まじいものだ、という例しか見ていなかった。
裏もあるかもしれない。
たまたま景気が良いから、とか、すぐに契約を終了するようなひどい待遇を受けているのかもしれない。
(人は、都合の悪いことはあまり書かないから)
だが、好奇心が勝った。
しかも、試しに面接を受けてみたら、呆気なく受かってしまった。
そして考えた。
「本当にこの先に進んで良い?悪い?」
しかし、目下、借金問題を解消したい私は、半ば頭の中の整理がつかないまま、D社を退職し、フリーランスに転身した。
キャリア、年収について
フリーランスという立場で働きはじめて思ったこと。
自分が切磋琢磨して磨いてきた技術はとても役に立っているし、逆にオーバースペックだなと思うこともあった。
会社によるが、自分が業務委託で簡単に採用されたのは、そこまで採用先が高い技術を求めていなかったとも言える。
しかし、単純に年収だけ見ると、立場の違いだけで300万→600万になった。
年収における技術力は、パラメータの一つに過ぎないのだ。
エンジニアとして技術力が陳腐化するという恐れを持つのは賢明な考えだけど、即座に年収に直結するわけではないということだ。
募集をかけている会社としては、要求する人材がこの価格でないと来ない、と考えるに過ぎない。
会社から見ると、私は外の会社のようなものだ。
それなりに責任を伴った意見を求められることもある。
(工数見積もりは、最終的に自分の作業時間のリミットとして返ってくる)
この時にちゃんと答えられるかで、相手の信頼度は変わる。
あてにならない回答ばかりしていたら、下手な仕事をしてしまい、長くは続かないと思う。
その職を持続するための知識・経験値・技術力なのだ。
そして、自分の得意分野と市場のニーズがマッチした時に、はじめて年収が決まるのだ。
だから、凄く大雑把に言うと、年収は運なのかもしれない。
いつまでも自分が持っている力が市場から求められるわけではないからだ。
あと、先に話したフレームワークの中で、Vue.jsを使用できるチャンスに何度か巡り会えたため、ようやく実務レベルで経験を積むこともできた。
これは、ある程度作業を任された時に自分の好きな環境構築を試せたからだ。
よって、曲がりなりにも、Vue.jsの経験者と名乗ることができるのではないかと思う。
私生活では、年収が変わって生活は一転した。
奨学金を含む、借金を全額返済した。
少しずつ貯金もできるようになったし、イデコにも加入できたし、うまい寿司を食べられるようにもなった。
ドローンを飛ばし、Google Homeに挨拶する日々。
ネットフリックスなどの定額サービスに元々抵抗があったが、今ではない。
隙あらば「水曜どうでしょう」などをずっと見てる。
そして、僅かながら親にも仕送り出来るようになった。
生きてるってこんなにも素晴らしいことだったのかと思う(スピリチュアル)
仕事の話に戻る。
今では案件の中で、人から技術的な問題について教えてくれとお願いされるような立場にもなってきた。
人に何かを教えることは、とても難しい。
自分の中でも曖昧な部分を一掃しないと教えられないので、責任を感じられるようになった。
だから家に帰って、必死で勉強する。
名著「カイゼン・ジャーニー」には、振り返りの重要性が説かれている。
その実践のためにもこの記事を書いている。
ポエム
最後に。
D社で働いていたときのフロントエンドエンジニアのボスが言っていたことが忘れられない。
「目指すのではなく、今やることをやる、という考え方が、あなたにはあっているのかもしれませんね」
という趣旨のこと言っていた。すごく刺さった。
私のこれまでの経歴を踏まえつつだけど、いつも違和感を感じていたことがあった。
例えば、上記の言葉に対して、下記のような言葉もある。
「目的をはっきりしろ、夢を持て」
これはよく言われがちな言葉だ。
自分もこの言葉を信じてきたが、今なら言える。これは間違いだ。
その理由を説明する。
1,物事の流動性に目的が時間的に耐えられない
目的はしょっちゅう変わるし、特にWeb業界ではマーケティング要因、技術要因の変化が激しい。
その中で目的を明確にすることは出来ない。なぜなら次の瞬間には、別の場所で別のニーズが生まれるからだ。それほどこの世界はダイナミックだ。
時折、生まれたWebサービスが何年で死んだか、みたいなまとめがあるけど、あれを見れば一目瞭然だ。
何が当たるかわからない世界では、目的を考えている暇があったら、サービスをリリースしろ、というふうに。
(シリコンバレー界隈では、サービスのリリースに関して、そのように言われているらしい)
2,夢の無責任性
夢。これほど無責任な言葉はない。
夢を抱いて、夢の重さに潰れていった人間をたくさん見てきた自分としては、あまりいい言葉に聞こえない。
自分も、夢を諦めてその度に自己否定して、心の病気になり、何度も社会に出られなくなった。
そして、同じような奴も何人も見た。連絡が取れなくなった奴もいる。
夢というのは、大抵は小さい時に考えたことを指す。それも何十年も前の事。
その間に世界は大きく変わるし、状況も変わる。自分も変わる。
才能があるのかを実証していなければ、大きな誤りを犯すことにもなる。
なのに大真面目に「最初考えたことを徹して守る」などと言い出すことは危険だ。
あるカメラマンの友人が言っていた言葉が忘れられない。
「昔、誰かが写真というものに、とてつもない値段をつけ始めちゃったんだ」
アラーキーとか、そういうレジェンドと呼ばれる人たちが、かつていた世界で、彼はそれに憧れて勉強した。
しかし、自分が社会に出た頃には、その世界は終わっていたという。デジタル一眼が普及して、だれでも撮れるようになったからだ。
今やカメラマンが撮る写真の単価は下がり続けているという。
非常に苦心していたのを覚えている。
「守れないことは悪」という教条的な思考はやめたほうが良い。
「目指すのではなく、今やることをやる」
とてもシンプルだし、これ以上明確な答えはない。
今、目の前にある「コト」に対して、即応的に何をするか。これだけだ。
即応的に動くには、日々鍛錬をする必要がある。エンジニアなら、コードを試しに打ってみたり、勉強会に参加したり、本を読んだり……。
いざという時に手や足が動くか。チャンスはすぐに過ぎ去るから。
以上です。長文をここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
本年も、何卒宜しくお願いします。