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『ランチの女王』今こそ帰りたいドラマの世界
緊急事態宣言が出て、会社からも自宅勤務を命じられた昨年の4月。今まで味わったことのない非日常にすっかり参ってしまった。現実に適応できず「ステイホーム」と言われながらも、ひとり暮らしの家にすら居場所がないと感じるなんて皮肉な話である。ここではないどこか遠い場所に行きたい。でも、どこにも行けない。そんなフラストレーションを抱えた私が、子どもの頃に見た大好きなドラマの世界に帰るのは必然であったように思う。
『ランチの女王』
このドラマの中に入りたい……視聴者にそう思わせるドラマは間違いなく良作である。この劇中に流れる空気感に浸りたくなると、これまで何度も再生ボタンに手が伸びた。
竹内結子、堤真一、江口洋介、妻夫木聡、山下智久に山田孝之、伊東美咲、森田剛、永山瑛太……今となっては豪華すぎる出演者に立ちくらみしそうになる。
住み込みで働く小さな洋食店で繰り広げられる恋模様は、不器用なまでに純情で、同じく純情だった子どもの頃の私はドキドキしながら観ていたものだ。
しかし私が戻りたくなった理由は、ドラマが描く夏の日々が爽やかで、どこか物憂げなところ。夏特有のセンチメンタルを丸ごと包み込むようなスケール感の井上陽水による劇中歌「森花処女林」が、感傷的なシーンへの没入感を加速させた。(この曲はもとより、井上陽水はいまや人々の記憶の中にのみ存在する“日本の夏”を描き出す天才だ。そろそろ「夏」の季語になりそう。もしかして、もうなってる?)
そして、登場人物たちの軽快な会話劇から醸し出される圧倒的ホーム感は、誰も行ったことがない架空の場所にも関わらず、強烈に郷愁を覚えるあたたかさで満ちていた。
そんな記憶を頼りに再生ボタンを押してからすぐに幸福な懐かしさで胸がいっぱいになり、そのまま一気に観てしまった。
何度も観たドラマだったが、意外と覚えていないシーンも多いものだ。それとも、自分が社会人となってから初めて観るから視点が変わったのだろうか。月9的ラブコメの側面よりも、「一生を捧げられる仕事とは何か」という問いがテーマになっているドラマであることに気付く。
下記に主な登場人物たちの仕事への向き合い方をまとめてみた。
長男・健一郎(堤真一)
自分で立ち上げた事業で失敗し、借金返済ために店の金を持ち出して以来、逃走を続けている。結局、最終話に渡り懲りずにさまざまな事業を模索している様子。
次男・勇二郎(江口洋介)
料理人としてだけでなく経理も担うなど、店の運営を一手に引き受けているものの「健一郎が継がなかったから店にいるだけだ」と煮え切らず、ビジネスマンの友人による就職の誘いに心が揺れている。
三男・純三郎(妻夫木聡)
家業の存在を拒絶する兄たちを尻目に自ら料理人の道を選んだが、店を象徴するデミグラスソースという父の味の継承に苦心し続ける。
四男・光四郎(山下智久)
「店は継がない。卒業したら大学へ行くからね」と、序盤から高らかに宣言し、家族もそれに同意している。最も家業に縛られていないように見えるキャラクターだが、最終話では思わぬ才覚を見せ、パティシエへの道を示唆している。
麦田なつみ(竹内結子)
修史に騙され、薬物を運んでいた過去を持つ。キッチンマカロニで働き始めるまでは、彼を追う警察の影響から何度も職を変えざるを得ない境遇だった。
家業というのは、捉え方ひとつでルーツにも足枷にもなる。それぞれ仕事に対する距離感に思い悩む登場人物たちが、自分だけの解答を探し出し折り合いをつける過程を描いたドラマといえる。
そして同じような悩みを煮詰めていた私は、兄弟の父親である権造(若林豪)に仕事への向き合い方におけるある種の正解を見た。
兄弟たちの行く先を案ずるような眼差しこそあれど、店を継ぐことを強要せず寡黙にデミグラスソースを作り続ける権造は、キッチンマカロニを体現する絶対的な存在だ。
6話でくも膜下出血で急逝するのだが、その前夜「今までの人生で最高のデミグラスソースができた」と喜ぶ満足気な表情だけで、仕事の醍醐味が何たるかを物語っていた。翌朝亡くなったため、そのデミグラスソースを食べる人を見ることはなかったが、自分が一生を捧げた仕事で誰のためでもなく自分史上最高の味を作り出せたのだから、無念でもなんでもなく存分に幸せだったに違いない。
そしてもう一つ、このドラマが単なるラブコメとして括り得ない理由に、社会的弱者への温かな眼差しがある。
事業に失敗し、刑務所に入っていたかつてのエリートビジネスマン(石黒賢)や、娘の分しか注文できない父(モロ師岡)など、行き詰まった事情を持つ客に対して、キッチンマカロニは施しではなく“ずっと変わらずにそこに在る”という希望を選ぶ。
逮捕される修史の後ろ姿に「待ってるから、また食べに来いよ」と声をかける勇二郎や純三郎の言葉に、逃れようのない孤独を抱えたなつみの心にも温かな光が灯るシーンは、コロナ禍で行き場所をなくした今、多くの人々にとってより熱くこみ上げるものがあるはずだ。
長引く自粛生活の打撃を受けた飲食店が次々と閉店に追い込まれているというニュースを見るたびに、誰かの帰る場所がなくなったかもしれないと心が痛む。このドラマで描かれるようなささやかでパーソナルなストーリーは、決して倒産件数には表れない。
全話見終わる頃には緊急事態宣言は明け、街に活気が戻りつつあった。それでも私は、孤独を感じたとき何度もこのドラマを見返すと思う。
追伸:9月、竹内結子さんが亡くなった。まさにこの文章を書いている最中のことで、深く受けた衝撃と悲しみの置き場が分からず、再び書き始めるまでに半年近くかかってしまった。このドラマも、竹内さんがおいしそうにオムライスを食べる表情が素敵すぎて、そのシーンばかり繰り返し見ていた。本当に本当に大好きな役者さんでした。ご冥福をお祈りいたします。
こんな言葉を書くなんて思っていなかった。