あのおっぱいと太ももは時代の流れが産み出した必然
「ライザのアトリエ」の主人公、ライザリン・シュタウトのキャラデザは岸田メル先生曰く、時勢を鑑みるに必然だ、という話。
コーエーテクモゲームスから出ているロングセラーRPG アトリエシリーズ。初めてプレイしたのが黄昏シリーズからアーシャのアトリエだった。目を引くイラストと500円という安さに惹かれてやってみたところ、大いに嵌ってしまった。前作のアーランドシリーズと後作の不思議シリーズに押されて評価が低めではあるが私が良いと思ったので良い。その世界観に惹かれて後ろはアーランドシリーズまで遡り、現在は最新作のライザのアトリエ2までほぼ皆勤でプレイしている。
というわけで、大分古い記事になるのだが、岸田メル氏&左氏&NOCO氏&トリダモノ氏による特別座談会という記事を見つけたので、全てを通ってきた私は大歓喜に咽びつつ飛びついたのだった。
アトリエシリーズの歴代絵たちがアトリエについて語る座談会である。
皆様、大変素敵な絵師様たちだ。
まずは実際にアトリエの仕事をしていた時の話から始まった。だんだんとキャラクターデザインを担当したときの話へと移っていく。
その流れでトリダモノ氏が担当したライザ(ライザのアトリエ主人公)の太ももが発売前から話題になっていた、という話になった。
キャラクターデザインに時代の流れがあるなんて考えたこともなかった。デザインの流行の波、これは現場の中心にいる絵師ならではの視点だ。
幼いタイプが流行る時代と、そうでない時代が繰り返されていたと岸田氏は語った。
歴史は繰り返す。
人間の群れたがる本能と、飽きるという特性のもたらす集団の移動、何時の時代も変わらない人間の本質が規則的な周期性を作り出す。
イラスト業界も人類の営みの一部であり、とりわけコマーシャリズムに基づくイラストデザインは寧ろ強く時代に左右される。
幼いタイプとそうでない時代の周期的振動現象は、
下人を探ると人間の本質に帰着する免れ得ぬ運命だった。
しかし時代が進むにつれて、人間は人権の名の下自らの本能を封じ始める。
始まりはアメリカ独立か、フランス人権宣言か定かではないが、人間に生まれたというだけで生きる権利を保障しようという考えが生まれた。
独善的な本能を抑圧して、より多くの人間が自由に生きられる世界に。
人権の浸透によって、明らかに人類は平和になったといえよう。
しかし、大きな声でめったなことは言えないが、時々、少々過保護気味なそれが窮屈に感じてしまうのである。
まだ社会的弱者であるこどもは特に虐げられやすい対象であり、このような対象でこそ人権は真の威力を発揮する。その発展は喜ばしいものであるのだが、その倫理観が創作における「幼いタイプ」を駆逐する。個人レベルならばともかく、コマーシャルな製品などではより無難なデザインへと置き換わっていく。
この抑圧が、もとい、立派な思想が規則的な周期性を崩した。
幼いタイプが流行る時代は、永久に閉ざされつつある。
誰も悪くない。むしろ喜ばしいことなのかもしれない。
しかし、理性は本能を凌駕しうるという人間の可能性を感じたと同時に、得も言われぬ寂寥の念を感じざるを得ない。
。。。
色即是空、栄枯盛衰。
ここでもう一度、先の岸田氏の言葉を引用したい。
そう。
あのおっぱいと太ももは、
時代の流れが産み出した必然だったのだ……!
終わり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?