豚に真珠、人工知能に国立国会図書館
図書館はよい。
壁中を本で埋め尽くされた空間。
他に誰もいなければ尚よいのに。
国立国会図書館に行ってみたい。
一般人も入れるのかしら。
もし世界が滅んで自分だけ生き残ったら、
国立国会図書館に住みたいと思っている。
たぶん全蔵書を読破するには、
数十人、数百人、あるいは数千人の一生を潰すくらいの覚悟は要ろうな。
このためだけに不老不死を実現したい。
近頃流行りの人工知能というのは幸せなのかもしれない。
全蔵書を記憶できるのだから。
彼らには感情がないので豚に真珠だけど。
ここで「豚に真珠」と「人工知能に国立国会図書館」が本当に同義かと問われると甚だ疑問である。
この流れでいくと同義とも取れるかもしれないが、
直感は逆だと言っている。
人工知能が蔵書を楽しむことができるかという点、本から見れば対象の心を揺さぶれるかという見方をすればまさしく豚に真珠だけれど、人工知能が蔵書を活用できるかという点、本を情報源と見れば鬼に金棒が是れ則ち人工知能に国立国会図書館といえそうだ。
本を感情に訴えるものと見るか実用的情報源と見るかでその意味は180度変わる。
ところで、私は人間だ。
「私に国立国会図書館」
これ豚に真珠か、あるいはこれ鬼に金棒か。
猫に小判か、虎に翼か。
豚か鬼か、猫か虎か。
この中だと猫が一番かわいいぜ。
といってはぐらかしてみる。
豚か猫なら、猫がいい。
誰かにとやかく言われようが、
例え内容の1割も理解できなかろうと、
猫が本を読んだっていいじゃないか。
本の雰囲気だけを楽しんだっていいじゃないか。
。。。
図書館はよい。
壁中を本で埋め尽くされた空間。
他に誰もいなければ、尚よいのに。
終わり。673文字。