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「恐怖」と「飴玉」を使って、当然のように義務を果たす社会人を作る組織作り

また、つまらないことが起こった。
 会社における義務を果たさないという社会人として基本中の基本ができないという、本当につまらないことだ。こういうことが起こった場合、マネジメントの立場であったら、どうすればいいか?

方法は大きく分けて2つ。
 「恐怖」と「飴玉」

「恐怖」

 「恐怖」というのは、怒る、叱る、罰金、罰則などなど、要は義務を果たさなかった者に対し、制裁を加えるというものだ。とはいえ、昔なら許されたことも、今ではすぐにパワハラだ、セクハラだと言われる世の中。感情にまかせて、簡単に制裁を加えるわけにもいかない。しかし、パワハラだなんだ言う前に、やるべきことをやったらどうだ?と言いたくなるのは自分だけだろうか?まあ、それはいいとして、怒ることと罰金は世の中的に許されないだろうから、叱るとか、なんらかの罰則を加えるしかない。しかし、叱ったところで同じことを繰り返す者もやたらと多い。そんな人は、会社を辞めて欲しいと思うが、日本は社員がやたらと守られていて、簡単にクビにもできない。であれば、なんらかの罰則しかない。与えられた練習が足りないのであれば、与えられた倍の練習を課すとか、、、。例えば、パソコンが苦手で、一日一時間はエクセルの練習をしようという義務があったとして、もしそれを怠ったならば、倍の二時間を課すというものが罰則だ。さらに反省文を書かせるということも、「恐怖」の一つに数えられるかもしれない。要は、相手が嫌がることを課すことで、二度と義務を果たさないという行為をさせないように矯正していくという方法だ。

理想

 なにも、喜んで「恐怖」を与えたいわけでもないし、制裁を加えたいわけでもない。課された義務を、当然のように果たしてくれることが最高の組織であり、最高の関係性となる。しかし、これまでに、そんな理想が成し遂げられたことは一度もない。罰則が先にあるのではなく、義務を果たさない行為が先にあるということを忘れてはいけない。

「飴玉」

 もう一つの方法は「飴玉」だ。これは、例えば、一日一時間のパソコン練習を1ヶ月成し遂げれば、金一封で1万円を渡す、3ヶ月続ければ、さらに5万円を渡すなどの、馬の目の前にニンジンをぶら下げて走らせる戦法だ。考えてみれば、これは非常に失礼な話で、人間を馬や犬などの家畜と同等の方法で走らせるという方法だ。しかし、効果はあるし、罰則や叱られるより、本人も嬉しいだろう。しかしながら、個人的には、この方法はあまり取りなくない。人間は馬ではないからだ。京セラの稲盛さんは、社員が何かを成し遂げたとき、社員や上司から賞賛を与えると仰っていた。お金なんかぶら下げないのだ。実際に、行われていた偉大な事実ではあるが、あまり効果はないと思う。賞賛を得るために、怠けずにやれる人は、人間性ができた人であり、そもそも、こんな話をする必要がないのだろう。

結果、どの方法がいいのか

 ということで結論。「恐怖」を与えることが、マネジメントの立場としては、正解だと思う。もちろん、その前提として、相手と話したり、叱ったりすることは必要だが、組織維持をするためには、罰則を与えるルールは必要悪だ。何も言われない、何の罰則もないのであれば、真面目にやっている人はどう思うだろう?自分もやらなくていいのではないだろうか?ときっと思う。自分だけ、ちゃんとやっているのがアホらしくなるだろう。そんな組織は、そのうち崩壊していく。そんな人のためにも、こういうルールを作ることは必要悪となる。

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