「メディアになる」2023年4月18日
狭っっい用水路の溝に魚が泳いでいた。
田んぼと国道を挟んだ、50メートル先には市役所と図書館が設置されているような場所なのに。
突出した背びれと、特徴的な濃い青色はたぶんブルーギルだろう。しってるか、日本の河川に住み着いているギルはもともと食用目的で上皇がシカゴから持ち帰ったものが起源なんだぜ。その数は15尾。とんでもない繁殖力だぜ。
図書館で石田英敬の「記号論講義 ――日常生活批判のためのレッスン 」を借りた。以前、メディア論講義を手に取ってから読むタイミングを伺っていたのだ。
その帰り、何の気なしに近所のちっさい本屋に寄ると、入り口に今期のアニメ原作の漫画が目立つように立てかけられていた。
「メディア化」と、丸みのあるフォントで切り抜かれたポップが存在感を放っている。以前までは、「映像化作品!」とか書かれてたのに。
「メディア化」ってどういうことなんだろうか。マクルーハン的に言ったら漫画だって小説だってメディアだろう。
じゃあ、映像化=メディア化か?
確かに、小説や漫画といった能動的な摂取が必要な形態よりも、テレビや配信サービスを介する受動的な形のほうが多くの民衆に行き届くだろう。(興味を持たれるかどうかは知らん)
今や、音楽だって映像だって脂の乗ったトロの部分ばかり食べられている。イントロと間奏は抹消されるし、ファスト映画は流行するし、倍速再生当たり前だし。
ひと昔前の視聴覚メディアは、トロに辿り着く前には紹興酒と前菜を消化しないといけなかったから、その過程で必然と聴衆の鑑賞物に対する態度も養われてきたのかもしれない。
私も、せめて自分の思考を文字に書き出してみる程度の集中力は維持していこうと思う。