的を絞るか、矢を放つか?
デザインを依頼する時、正解は一つなのか、それとも複数なのか。
よく、デザインの仕事をする時に100点が正解なのか、90点以上で正解なのか。悩む時があります。デザインは数学のように、答えが一つではありません。マクドナルドのロゴを新しくしてください。という仕事があった時に、全然違うMの形が正解かもしれないし、最近見なくなったドナルドが入ったデザインが正解かもしれない。答えが一つではない、というのはそんな意味です。なので、90点以上はみんな正解、という考え方も出来ます。
他方で、究極を突き詰めると一つだったりします。それは答えは100点という意味です。デザインを作る時には、体制が決まっています。依頼主、決裁者、依頼者、デザイナー、それぞれの人が想定するターゲットのイメージ。これら、デザインを決定することに関わる人が決まっていて、形にする人がデザイナーならば、その全ての条件を最高のレベルで形にしていれば、それが唯一の正解という考え方もあります。当然、違うデザイナー、違う決裁者であれば、違うものになるけど。体制が決まっていれば、答えも一つという考え方です。
なので、体制が決まっていない段階では90点以上であれば、どれも正解だし。体制が決まっていれば、100点が正解なのかもしれません。
本日のテーマ「的を絞るか、矢を放つか」は、そのデザインの依頼者がデザイナーへ発注する時にどう伝えるのか、という話。
「矢を放つ」は依頼者にイメージがあり、そのイメージをデザイナーに伝えて、イメージという名の矢を射る方式。発注の仕方として、「こんな感じで作ってください、作って欲しい」と伝える方式。「的を絞る」は逆に依頼者には答えはなく、「Aではない、Bでもない、Cでもない」のが答えというように、正解のイメージは分からないけど、これは不正解というのを伝える方式。すると、デザイナーが見えない的の位置を絞り込み、正解に向けて矢を放ちます。
どちらも間違ってはいません。前者の矢を放つ場合には、依頼者のイメージがしっかり出来ていれば、的をしっかり射止められるし、後者の場合には依頼者もデザイナーも最初は見つけられなかった新しい答えを見つけられる可能性があり、それも正解と言えます。
その時に、依頼者とデザイナーの間で大切なことは、同じ物を良いと思う価値観(センスと一言で言われるようなこと)。依頼者とデザイナーの力のバランス。(指示役と実践役のバランスのような力関係、どちらも指示役でも良くないし、どちらも実践役でも良くありません。前者は喧嘩するし、後者は迷いの森をループします。)そして、お互いへの信頼と尊重。それがあると、デザインは幸せなことに、新たな息吹を与えられて、世に生まれ、輝き出します。
これがうまくいかないケースもあります。矢を射るはずの依頼者のイメージの具体性が乏しかったり、的を絞ってもらってもデザイナーの引き出しが狭かったり。そんな時は、お互いに歩み寄って、イメージ(正解)を探っていく努力が必要です。
少し、抽象的な話すぎてしまいましたが、私は的を絞る(不正解を伝える)という考えが好きです。依頼者が、まず不正解を伝える。その中でデザイナーが、(これまでの経験を最大限発揮して)まだ見ぬ新たなイメージに矢を放つ。そして、その矢先に依頼者が止めを打つような。そうすることで、100点のデザインが生まれる気がします。(そこで二人の相性が良いと、110点や120点と思ってしまうような答えを導き出すことが出来ます)
今日は抽象的な話すぎてしまいましたが、きっとデザインに携わっている方なら少し通じると思いますし、また少し乱暴な言い方にはなってしまいますが、こういったデザインに対する考え方や思いを共有できる人同士がデザインに携わり、そうでない人には、その結論をただ受け入れてもらえるような形が望ましいな、と思ったりします。
デザイナーには、それが100点であることを依頼者に伝える努力が必要で、依頼者は、先入観なくプロ(デザイナー)が導き出した答えが100点であると受け入れる。実は、この「受け入れる」が出来ない人は最初に自分のイメージを持っている人が多くて、であれば、その人は最初に矢を射るべき(デザイナーへ自分の持つイメージを伝えるべき)なんです。それをしないと、デザイナーの苦労や時間が無駄に浪費されてしまいます。
こうして言語化して振り返ってみると、こういう「デザインの作法」みたいなのは、デザインを良い形で生み出すためにとても大事なんだな、と思います。
スポーツの良い試合にルールがあるように、良いデザインには「良い作法」があって生まれてくるのだと思います。
今日は抽象的なお話。「的を絞るか、矢を放つか。」お伝えさせていただきました。ここまで抽象的な長文を読んでいただきまして、ありがとうございました!