世界はそれをストーカーと呼ぶんだぜ。
夜中の2時に部屋のインターホンが鳴ってモニターを見れば、Tinderで会ったことのある女の子だった。心臓がぎゅっとなった。スルーしていたら30分後にまたインターホン。女の子は無表情にも見えるし緊張しているようにも見えるし、寂しそうにも怒っているようにも見えた。
世界はそれをストーカーと呼ぶんだぜ。
○
「付き合うつもりはないけどいいですか」
ベッドの上で何回か唇を合わせたあたりでそんなことを言われた。そんなん俺もそうやで、と心の中で思ったけれど、
「わかってるよ」とだけ返した。
実にたぬき顔で可愛かったけれど、ふとした瞬間の暗い表情が気になった。職場の人間関係で悩んでいる、と居酒屋でも話していた。楽しい話題で話していても、どこかで仕事の悩みを引きずっているような子だった。
事を終え、乱れたベッドの上で時計をちらっと確認すると、まだ終電はありそうだった。
「時間大丈夫?」と聞いたら、
「あ、帰ったほうがいいよね、ごめん」と返してくる。
何周か先回りして気を遣ってくるこの感じ、ちょっとめんどくさいな、と思った。小さな声で「明日もお仕事だもんね」と泊まりたいオーラを出してくる。どうして素直に「泊まってもいい?」って言わないんだろう。
「泊まってく?」
「いいの?」
「うん、泊まんなよ」
正直言ってしまうと、朝にもう一回この子としたい気分でもあった。
ただ、やっぱり暗いというか、素直じゃないというか、彼女はワンナイトで終わるな、と思った。例えば、シャワーを浴びてタオルをどこに干していいかわからずうろうろしていた。さっきと同じで「どこにかけたらいい?」の一言が言えない子なのだ。
化粧水の蓋が開いていた。勝手にいくら使ってくれてもいいけど、僕が逆の立場だったら「化粧水使うね」くらいは言う。少し試したくなって、彼女に「化粧水使う?」とあえて聞いてみた。すると「あ、ごめん、使わせてもらった」でもなく「使いたい」でもなく、何か曖昧なことを言ってごまかしてきた。
自分に自信がなく、それゆえに他人の目を気にしすぎているんだろう。
わからないことがあっても他人に聞けない。自分が思っていることを素直に言えない。
そりゃ、職場の人間関係で悩むのも理解できる。
こういうタイプの女の子は自分の中に溜め込んでしまう。そして察してもらおうとする。溜め込んでいる分、表情は暗くなるし、いつか我慢も爆発する。
迎えた朝、お互い寝ぼけた状態だったけど、ゆっくり体を触り合ってから彼女の中に挿入った。擦れるたびに快感が波のように押し寄せる。し終わっても、しばらくくっついていた。すると、
「あとでLINE聞いてもいい?」
と聞かれた。
初めて、彼女の方から自分の意思をぶつけてくれた、と思った。
最初からずっとそう素直でいてほしかった。
彼女を改札まで送った。LINEはまだ交換していない。「じゃあね」と僕が言うと彼女が何か言いたげだった。「LINE教えて」と言いたいんだろう。でも気を遣ってやっぱり言えないんだろう。助けるつもりはなかった。もう会うつもりがなかった。
案の定、彼女と別れてすぐマッチングアプリでLINEのIDが送られてきた。
僕はそれをずっとスルーしていた。
それから数日経って、深夜2時、彼女は僕の家のインターホンを押しに来た。
「付き合うつもりはないけどいいですか?」
なんてことすら言っていたのに。
いや、いま思えば、それも彼女の強がりだったのだろう。本当は自信がなく恋愛体質で依存しやすいのを自覚していて、自分に言い聞かせるように放ったセリフだったのかもしれない。
にしても彼女はいつ僕の部屋の番号を覚えたんだろうか。
僕からのLINE追加がなく無視され続け、もしかしたら、彼女はその寂しさを埋めようと他の男と会ったのかもしれない。体目的のつまらない男に抱かれ、終電もないのにホテルを放り出されて、深夜2時。埋まったはずの寂しさの穴は大きく広がっている。気がついたら、僕のマンションの前まで来てしまっていて――。
僕にとって彼女は一晩過ごしただけの相手でも、彼女からしたらけっこう幸せな時間だったのかもしれない。彼女は「細貝さんって、女の子が言われて嬉しいこと、ちゃんと言ってくれますよね」とか「掴みどころないけど優しいですよね」とか、言ってくれた。
そう考えると悪かったのは僕なのかもって思う。まるで、これからも会ってくれるような、そういう優しさをもって彼女に接していたから。それなのにLINEすら交換してくれなかったら辛くなるよね。ごめん。
中途半端に優しくするよりも、いっしょに会っている時間くらいは恋人くらい優しくしたいし楽しみたい。そういうのって女性からしたら迷惑なんだろうか……。
泊まるってなって、夜中に散歩をしたのを忘れない。たまたま見つけたバーに入ってお酒も飲んだ。スツールに座るとき、彼女は間接照明に頭をぶつけた。ふたりで笑った、あの瞬間が、あの夜のハイライトだった。