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田んぼ、はじめました。


愛媛県で最も人口の少ないまち、松野町。その中でもわずか270人だけが住む集落、目黒地区。

四万十川の源流として、純度が高く豊富な水量を誇る清流「目黒川」。

この目黒川が運ぶ清らかな水により、この目黒地区は非常に恵まれた土壌に囲まれ、稲作や野菜、柑橘類の作物が美味しく育ちます。


ここでボクは今年(2021年)から稲作を始めました。

この清流の麓でできる目黒のお米は、程よい粘り気としっかりとした甘みがあり、本当に美味しいご飯になります。

美味しいお米の証拠として、冷や飯の味が良いかどうかの判断基準がありますが、この目黒のお米は冷えた状態がとても美味しいのです。

ボクは個人的に、冷えたおにぎりに塩をまぶして食べるのが一番好きです。なんなら温かいご飯よりも美味しいと思うくらいです。きっと甘みが引き立ち、お米本来の風味を味わえるからかも知れません。

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そんな美味しいお米を自分の手で作ってみたい。

そんな想いがきっかけで、地元の農家のおじいさんに米作りを教えてもらいながら、1反の田んぼで稲作を始めました。(ちなみに1反は約1000㎡、テニスコートなら4枚弱ほどの大きさです。全くの素人がゼロから始めるなら程よい面積かと思います。)

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しかも完全無農薬の自然栽培にチャレンジです。



美味しいお米のルーツは、森にあった!

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田んぼのお世話をやっているうちに、農家さんが昔から水路をとても大切にしていることに気づきました。田んぼにひいてある水、その水路は、田んぼ専用の水の路(ミチ)で古くは室町〜江戸時代から引かれているものもあるそうです。それほど、田んぼの土壌にとって、山水は大切だったんですね。


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水路を辿っていくと、清流目黒川の堰(せき:取水口)にぶつかります。目黒地区の水路は長いもので全長2.8km。源流域のピュアな水源をそのまま田んぼに直結している壮大なシステムでもあります。


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さらにその目黒川をさかのぼると、滑床(なめとこ)渓谷の自然林にかこまれた壮大な森に行き着きます。

この自然林が渓谷を囲む山々の蓄えた豊富な天水に有機的な養分をたっぷりと与え、目黒川へと注ぎ込んでいく。

まさに森のチカラで美味しいをお米ができているんだと実感できます。

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ところで、自然林とサラッといったけど、自然林とはそもそもなんなのでしょう?

日本の国土の約7割は森林であると言われています。その森林のうち、41%は自然林ではなく、人工林だそうです。

人工林とは、主に昭和30年代に政府が国策として林業政策を全国の中山間地域に推進した際に植林された杉やヒノキの林のことです。

つまり、自然林の対義語として、人工林があります。


ここで、改めて問い直してみましょう。

自然とは何か?人工とはなにか?


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解剖学者の養老孟司さんによると、

自然とは、「脳で考えたものを具体的にカタチにしたもの」以外のもの。

だそうです。

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となると、

人工とは、「脳で考えたものを具体的にカタチにしたもの」全て。

になるかと思います。


人工林 対 自然林

ここで改めて、人工林と自然林を対比してみて、さまざまな社会構造とフラクタル(相似的)に検証してみたいと思います。

まず、人間が意図的に植林した人工林は、

・単一的 ・非循環型 ・無機的 

と説明できます。一方、自然林はその逆で、

・多様性 ・循環型 ・有機的

と表現できます。

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一つひとつ、噛み砕いて見てみましょう。

効率性、経済合理性を優先させた人工林は、同一品種(杉、ヒノキなど)の樹木が等間隔に植え付けてあります。彼らは、約50年の月日を経て、建築資材用に成長したところで伐採されます。

短期収益でみると効率的・生産的ではありますが、自然界の視点(ロングターム)で見ると、杉、ヒノキは覆い茂った葉でその森の日光を遮(さえぎ)る上、その落葉は地表面をさらに覆うため、新たな若木や虫といった有機生命体が育ちにくい環境になってしまいます。

すなわち、いつまで経っても杉だけが生きる単一的な林となってしまい、そこに生物多様性は生まれません。

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それは、あたかも同じ装い、同じ方向を向いて、毎日同じルーティンの日々を繰り返す都会の人々の営みと似ているかもしれませんね。


次に循環の観点で見てみましょう。

先ほどご説明した通り、杉の木は50年の時を経て成長し、その後伐採されます。その間に次の世代(ジェネレーション)は生育しておらず、完全に世代が分断された状態になってしまっています。

これはあたかも、超過疎地域の高齢者だけの集落に似ていると思いませんか? 

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本来であれば、老木があり、大木、成木、若木、幼い新芽、様々な世代(ジェネレーション)の樹木が繁茂している状態が自然林であります。


さらに抽象度を高めて、我々の社会構造を森の構造と照らし合わせてみましょう。


意思決定

社会のルールやミライを決める意思決定は、どのような環境でなされているでしょうか?

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ひょっとすると、同じような人、同じような価値観の人たちだけが、極めて狭い世界観の中で、国を動かしているのかも知れません。


教育

教育のすがたはどうでしょう。

我々日本人の多くが、左側のようなスタイルで学校授業を受けてきました。

一方、右は教育先進国フィンランドの授業風景です。子供たちは、課題に集中するため、各々もっともリラックスできる格好で先生の話を聞いています。

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日本だと、「行儀が悪い!」と一蹴されるかもしれません。

しかし本来の教育の目的が、「社会課題を自ら発見し、解決に導く能力を育む」のであるのならば、格好などはどうでもいいという考え方も一理あるかと思います。

これも多様性を受け入れる一つのカタチなのかも知れません。


環境

子供たちが育つ環境はどうでしょう?

特に都市(人工物に囲まれた環境)において、子供たちが自然の多様性に触れる機会は著しく少なくなってきている気がします。

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タワーマンション、ゴムマットの運動場、人工的な公園、塾。これらの往復だけの毎日を多感な幼少期に何年も費やすことは果たして、自然なことなのでしょうか?


生産

もはや、大量生産、大量消費の資本主義時代も終焉を迎えています。

おなじスイカでも、たくさん作って、たくさん売って、GDPを高めるという発想から、

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自然の中で家族と過ごすスイカ割り体験を通して、自然の体験価値、人の営みの喜びをどう生産するかといったGNH(国民総幸福量)に指標を転換していく必要があるかと思います。


組織

東京オリンピックでも組織のことは、たくさん話題になりましたね。

昭和とそれを引きずった平成の失われた30年、これを昭和モデルというならば、組織の在り方もそろそろ、令和モデルにアップグレードする必要があるかと思います。

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昭和のやり方か、令和のあり方か、常に見極めるようにしています。


医療

自然に抗(あらが)い続けて、いつまでもウイルス・病を克服しようとするのか?

それとも、何故、ウイルスが発生したり、自然災害・気候変動が続くのか、の根本原因を見極め、自然と共生する道を歩むのか?

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いまこそ、医食同源に立ち帰り、農業(森づくり、土づくり、水づくり)から見直すべきではないでしょうか?


エネルギー

何万キロも離れたところで、大量に化石燃料をもやし、莫大なコストを掛けて、遠隔地に電気を送電する。果たして、これが地球環境的に合理的なエネルギー政策でしょうか?

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間伐した木材を燃やすことで、十分に人が温まる暖は取れます。森を再生させながら、温暖化ガスの排出を極力減らす、そんなエネルギー政策にシフトしていくはずです。


フィロソフィー

そして、最後に。。。


ここが最も重要な点だと考えます。

それは、我々人類の考え方、価値観についてです。


もし、我々人間社会が、この世界の全てであり、その中で自然というものを位置付けて、コントロールしようとするのであるならば、それは大きな勘違いと言わざるを得ません。

勘違いどころか、これは、偉大なるガイア(地球)の大自然に対する愚弄であり、あまりにも愚か極まりない思想であると思います。【左】

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人間社会は、偉大なる大自然の営みのほんの一部でしかありません。【右】

元来、自然とは到底人間の手にはどうしようも出来ないアンコントローラブル(Un-Controlable:操縦不要)なものであるはずです。人間が科学のチカラで全て掌握してコントロールしようとする思想そのものが危険であります。

基本的な思想を間違っていては、新しい人間の文明を切り拓くことは出来ません。


このことをよく良く肝に命じて、我々は新しい価値創造社会を創り上げて行きたいと考えます。

滑床渓谷の石碑に刻まれたこのコンセプト・メッセージを胸に。。


この森に遊び、

  この森に学びて、

    あめつちのこころにちかづかむ。



以上。


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