愛について


「愛について」身体的体験をしてます。
愛といってもいろいろあるけど、わたしなりの昨年から特に個人的な問題として深く奥へ行っているような
長い過去、今を結ぶような学び、気付きの途中です。

タッチケア、コミュニケーション、愛の本質的な探究に、結果なったお仕事。

個人的なきっと、課題や使命的なものにつながってる気もしてる…

石井ゆかりさんの星占いより抜粋。

射手座に限らず、愛についてなにか
問いや哲学を見出そうとしてる方や
探究していたりしたらこのメッセージ必要な方もいるかなぁと

「たとえば、わたしたちは、本当に笑っているひとの顔と、つくり笑いをしているひとの顔のちがいを感じ取ることができます。それはなぜかというと、両者では働いている脳の部位もちがうし、動かす筋肉も異なるからです。」


「つまり、コミュニケーションというのは、まず身体で伝わるわけです。面と向かってひとの顔を見る場合でも、テレビのようなメディアを通じてだれかを見る場合でも、わたしたちは身体のコンタクトでまずつながり、そのつぎにそれが表象的に解釈される。現代のように、メディアが接触を重視するようになった時代においても、身体のほうがまず伝わる。」(石田英敬・東浩紀『新記号論』ゲンロン叢書)
いわゆる「コロナ禍」で、人と人とが直接合うことが難しくなり、私たちは一気に、多くの通信デバイスに頼るようになりました。もとい、今までも「スマホ中毒」的な人はたくさんいたわけですが、会議も、打合せも、ラジオの収録も、なんでも「リモート」でできる世界は、多くの人にとって未体験ワールドだったはずです。


「わざわざ交通費をかけてまで、会う必要が無い」という認識が拡がったのが、いいことなのかわるいことなのか、それは今後、解ってくるかもしれません。

「コミュニケーション」は、文字や音声、映像などがあればできる、と私たちは考えています。文字や音声や映像を、私たちは「情報」と呼びます。それは頭の中で処理され、「意味」を伝えてくれるものです。考えれば解る、言えば解る。私たちはそう考えています。でも、引用部を見ると、その認識がぐらぐらと揺らぎます。

本当に私たちは、「言葉」と「脳」だけで、他者と「コミュニケーション」できるものなのでしょうか。どうも、そうではないようです。私たちの生身の身体性から切り離された「言葉」や「意味」は、本当に十分な「意味を持つ」のか。そのことがどうも、信じられなくなるのです。

「身体でまず伝わる」。

歴史的に、人間の移動と情報通信が切り離されたのは、それほど遠い昔ではありません。私たちは「伝える」とき、移動したのです。星占いのシステムにはまだ、その痕跡がしっかり残っています。「学び」と「旅」は、いつも同じジャンルとして扱われるのです。三蔵法師が長旅の末に手にした経典を読んだ、その「読み」に、あの冒険旅行の身体的体験が無関係だったとは思えません。

2021年、射手座のテーマは「コミュニケーション」です。その対話は、どんな身体的体験となるのだろう、と私は考えました。

これだけ「リモート」が称揚され、人間の存在感を映像や音声に置き換えることが習慣化した中で、私たちの身体もまた、変わっていくのでしょうか。
2020年の終わり、星占いの世界では「風の時代」という言葉が飛び交いました。「風」は知識や情報、関係性、コミュニケーションといった「かたちのないもの」です。ですがだからといって、私たちは自分の身体を失うわけではありません。「まず身体で伝わる」という仕組みを失うわけではないのだと思うのです。
からだ、こころ。私たちはこれらを、まだ、十分に大切に扱う方法を知りません。2021年の射手座の人々は、そのことに気づくのではないかと思います。
私たちの心が欲しているものは、私たちの人生に必要なものです。本当に伝え合わなければならないことはなにか、本当に理解しなければならないことは、なんなのか。
「情報」もまた、ひとつひとつバラバラでは、意味を成しません。それを組み合わせ、ひとつの大きな認識や世界観に統合して行くには、別のリクツが必要なはずです。「別のリクツ」とは、たとえば哲学がそれです。あるいは、「フレームワーク」とか、ある種の思想、主義などもふくまれるかもしれません。
射手座は、哲学の星座です。個々の情報は、それ自体では意味を持たない、ということを、あなたはよくわかっているのです。
頭と心と体をバラバラにせず、バラバラの情報の渦に吹き飛ばされず、まるごとで「わかりあう」ための方法。2021年のあなたは、それを、何らかの形で探し当てるだろうと思います。

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