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頑張らないで生きるほうがいい

一年ぶりにnoteに投稿をします。

この一年間、自分の「やりたかったこと」について一生懸命取り組んできた。

絵を描いてお金にすること。英語を勉強すること。ゲーム配信をすること。
人に誇れるような結果を出せた訳ではないが、絵はかなりの収益になったし、英語圏の友人はたくさんできたし、企業からの依頼でゲーム配信をやることもできた。
「全体的にほどほどに成果を出せた」というレベルだと思う。

それらはすべて、うじうじして何もしない自分を変えたくて始めたことだけれど、結果的に自分の考え方も何も変わらなかった。

頑張っていないと昔の自分に戻ってしまう気がして休むことも出来ず、次第に義務感が生まれてきて楽しさを失った。
それでも頑張れないときはひたすら自分を責めたし、忙しくて外出出来ないから人との関わりも希薄で、飼い猫だけが自分の支えになっていた。

果たして、これが自分が望んだ世界だっただろうか。
なんとか外とのつながりを持ちたいと地域のコミュニティに参加してみるも、なんとなく受け入れてもらえていない雰囲気。
ネットの繋がりも上手く築けなければ、現実でもそうなのか。
孤独感だけが毎日降り積もっていった。

私の中に「頑張りたいこと」はすでになかった。

鏡に映る自分は疲れ果てて、暗く染めた髪は白髪が目立って、キラキラとした「表の自分」からは遠くかけ離れた抜け殻のようだった。
それがより一層、自分が虚構を演じているようでつらくなった。

このタイミングで、派遣で働いてた会社を退社した。
2週間ほどの有給消化期間。数日は「なにもしない」を経験した。
それから、美容室へ行って髪を整えた。
思い切ってあこがれだった髪型にしてみることにした。
これが自分の中で大きな変化をもたらしたと思う。

暗く染めていた髪はブリーチで金色に。
一気に顔の印象が明るくなり、メイクや着る服を考えるのが楽しくなった。
すると外に出る元気が湧いてきて、色々なところに遊びにいった。

不思議なことに、一人で知らない店にどんどん入っていけるようになった。
ラーメン屋、和食屋、バーなど、気になる場所にはどんどん足を運んだ。
美味しいものや優しい人に出会えて日々が充実した。

この間、絵を描くことも英語の勉強も配信も全部やめた。
頑張ることをやめてみたけれど、「昔の自分」に戻ったとは思わない。
自分は好きなものを食べて好きな格好をして自由気ままに過ごすことは出来ないと思っていたけれど、余裕でできた。

私はお金がないから頑張らなきゃいけなくて、無駄遣いも許されない。
だから 頑 張 ら な く て は 。
そうしたら認めてもらえる。(誰に?)
こうした呪いをずっと自分にかけていた。

疲れ切った私は、そんな重たい義務感からゆるっと抜け出すことにした。
「頑張らない」をするのは大変かと思いきや数日で慣れた。
よっぽどやりたくなかったのだろう。
10年ほど続いた呪いはここで終わりにできそうだ。

続けていたことを急にやめたっていい。それまでにそこそこの成果は出してるんだし。それ以上やりたいことが思い浮かばなくなったら、無理に続けても疲れるだけ。
それに、またやりたくなったらやればいい。
継続は力なりだけど、無理に継続するのはメンタルにも良くない。

ここ数年のSNSには”好きなことで生きていくためにもっと努力をしろ”という雰囲気が流れていたけれど、私みたいにそんな言説に乗せられ疲れ果ててしまった人もいるのではないだろうか。
頑張らないとまわりに責められるから必死だった。
頑張れば成果が出るのに、なぜ頑張らないの?なんて思っていたし。

今は頑張らなくても出来ることをやったほうがいい、という考えになった。

頑張らなきゃ出来ないことは、つらいことだ。
どこかで必ず「もう頑張りたくない」という感情が生まれてくる。
「これは自分の好きなことなんだ」とどれだけ自分に言い聞かせても、体が拒否反応を示してしまう。

その先にあるのはボロボロの自分だ。
そんな風に自分をいじめないで、好きなことを好きなペースでやれるようにゆるっと調整していくべきだ。

これからのことはまだ何も考えていないけど、
「頑張らなくても出来ること」を見つけられるように、自分の気持ちに素直に従う練習をしていこうと思う。

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