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自分に、部屋を掃除をする許可を与える

ここ一ヶ月ほど仕事が猛烈に忙しく、仕事と睡眠以外のことがおろそかになり、ストレスからかアルコールの摂取量が増えていた。
しっかりゴミの日に捨てているにもかかわらず、それを上回るペースで飲酒。空き缶が溜まる溜まる。空き缶が溜まると、なんだか荒んだ気持ちになる。

仕事がようやく一段落した、初の週末。
予定は前半に済ませておいたので、日曜日は掃除デーにした。
自分なりに掃除していたと思っていたが、しっかり汚れていたし、同仕様もない状態だった。寝室を掃除するだけで一日がかりだった。

普通は布団カバーも週に数回、もしくは毎日変えるべきらしい。なんてことも、知らず。
きれいな部屋に住むのは自分じゃない、とおもっていた、一年前のこと。

この日から、私は掃除ができるようになった。少し。
今でもきれいにしている人に比べたら散らかっているのだが、劇的に改善した。ごみはちゃんと捨てるし、毎日拭き掃除ぐらいはするし。

床が見えているだけでも、随分進歩したなと感じている。
それぐらい、汚部屋の住民だった。

部屋をきれいにすることができるようになって、自分の心のバロメーターが目に見えてわかりやすくなった。
やはり、片付けが回っていないときは、精神状態も悪い。
逆に掃除ができるようになると、元気になったんだと思えてうれしい。

お風呂をぴかぴかにしたあとに浴槽に浸かってみたら、いつもよりもとても爽快感があった。やっぱり、無意識的に汚れを不快だと感じる心はあるようなのだ。
とにかく、自分の感情に鈍い。不快に気付けないことが多い。
きれいにしてから初めて気がつくなんて、なんというか・・・。不快感を無視しながら生きてきた人生に、ちょっとかなしいというか、なんとも言えない気持ちになってしまう。
感じないようにしていたのだろうな。とか。
私の実家は荒れ果てていたし、まあまあ汚部屋だったんだけど、それが当たり前だったから、不快だと思わないようにしていたのだろう。

小さい頃の自分をいたわりたくなるというか。
掃除をすると、そういう気持ちがわいてくる。

自分が自分を諦めないでいることは、とても大切なことなんだろう。
それに気づいた一年前からずっと、自分の「ここちよさ」を優先できるように、色々な手段を講じてきた。
家具・家電を良いものに買い替えるのもそうだ。
ずっと「私には良いものは使えない」と思っていたので安物を使っていたが、「良いものを使っても良い」と考えを改めたことで、自宅に置ける家電が国産の便利なものになった。

掃除も同じだ。「私はきれいな部屋に住むことはできない」という思いが自分の根っこのところにあるから、「きれいな部屋に住んでもよい」と、自分に許可を出してあげなければいけない。許可を出すことができたら、自分がきれいな部屋に住めるように、自分の手で、がんばって部屋をきれいにしていく。そうすることで、自分をいたわることができるのだ。

まだまだ許可のレベルが足りないけれど、少しずつ掃除の練習をして、整理整頓の練習もして、快適な部屋に近づけるように頑張っていきたい。

小さい頃からの刷り込みを自分で変えていくことはすごく大変なことだけれど、本気でよくなりたいから。

少しずつでも前進することができている自分に、花マルを上げたい。



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sayamo
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