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何の根拠もない「自分は大丈夫」を捨てる。

なぜだか自分は大丈夫な気がしていた。
実際のところはコミュニケーションは下手くそどころの話ではないし、よくよく考えれば、彼氏こそいたもののまともな恋愛をした記憶がなかった。

人を好きになるという気持ちがわからず、好きだと言ってきた人と付き合ってきた。
当然、好きではないしどうでもいいから、3ヶ月も経てばボロが出る。そこで相手に散々に言われ、関係は終了する。
それが私の「恋愛」だった。

こんなことなら二度と恋愛なんてしなくてもいいとすら思った。つまらないし、傷つくばかりだから。
自分なりに優しくしているつもりだったが、相手も自分も、打っても響かない鉄を打ち続けただけだ。
そこに相手を思いやる気持ちはなかったと思う。
お互いの寂しさを、それとなく、一緒に時間を過ごすことで埋めようとした。それだけのことだ。

そんな風に恋愛について諦めていたつもりだが、最近になって、ふとYouTubeで元モー娘。の辻ちゃんのチャンネルをよく見るようになった。
辻ちゃんのことは、彼女が結婚した当初からブログを密かに読んでいたし、長年何となく追っていた人物だった。
結婚。私にとっては全く別の生き物が生きる世界だと思っていたから、どんな暮らしをして、どんな気持ちになって、それでも、家族として暮らしたい理由は何なのか。
彼女のチャンネルを見ているうちに、家族の仲の良さや、子供が大勢いる中での家事の様子、それらと仕事を両立する姿に憧れ始めた。

私の育った家庭は彼女の家庭のように明るいものではなかったから、何もかもが新鮮だった。
家族という存在に持っているイメージがすこぶる悪いことに気付いたと同時に、もしかしたら、私にも家庭を築くことごできるのかもしれないという希望が湧いてきたのだ。
まさか、自分がそんなことを思うようになるとは。
人が嫌いで、世界が嫌いで、憎しみ代表。のような生き方をしていた私が、まるで初めて人の優しさに触れた魔物のように、心の奥底で凝り固まっていたものがほぐれたような感覚を覚えた。

さて、こうなったら今までの「恋愛もどき」からはおさらばして、人を愛することを覚えなければならない。
人に言われたからという理由で付き合うことはやめる。
相手に寄り添い、気持ちを通わせなければいけない。
それが愛なのだと、30も半ばになるいまの今まで知らなかったなんて。後悔こそないが、情報が可視化された現代に生きていて良かったとしか思えない。

まさか自分が恋愛に興味を持ち始めるとは思わなかった。
「大丈夫っしょ」という根拠のない自信は、恋愛は何たらかを改めて学んでいく中で消えていった。
なんとかしなければいけない。
知らないことを知り、実践していくのみ。

無難な雑談ならできるなんて意味がない。
相手に興味を持ち、自分のことを伝えて、お互いを知ることができるような会話をすることがコミュニケーションだ。
コミュニケーションの前提から間違っているのだから、人との接し方をそもそも変えなければならない。

山奥から降りてきた野生児並に人間界のルールを知らない自分に泣けるを通り越して笑えてくる。
いかに自分本位に生きていたか。人の温かさを知らない人生だったのか。

やり過ごすスキルはコミュニケーションスキルではない。
人生が他人よりも20年くらい遅れている。
嘆いている暇も後悔している暇もない。

ここ数ヶ月、自分の生きづらさを調べ続け、衝撃の事実ばかりを知ることとなっているが、人として少しずつ成長できている気がして嬉しい。

どうか素敵な相手が見つかりますように。
まずは行動あるのみだ。

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