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「自分らしく生きたほうがいい」なんて、本当にそうしてる人は言わない

自分を変えたくてひたすらもがいた1年半。
なんとなく一区切りを迎えたような感覚を噛み締めている。

この一年半のあいだ、ずっと「自分を満足させること」「過去に叶えられなかった夢を叶えること」に主軸をおいて生きてきた。
でも叶えてみたら私の欲望はあんまりにも小さくて大したことなくて
有名になりたいわけでもお金持ちになりたいわけでもなかった。

出来ないことを頑張りすぎて「もう何もしたくない」と訴え続けた私の中の私(?)が、絶賛秋休み中。
それと同時にがんばり屋の私が「折角の休みなんだから出かけないと」と急かしてくる。なんだか自分の心と体はいつも表裏一体だ。

やらなきゃいけないこととやりたいことはなぜかいつも正反対。
やらなきゃいけないことってなんだろう。誰が決めたんだろう。世間?親?兄弟?上司?部下?友達?誰でもないけど自分でもない。
でも自分の考えだと信じ込んで無理やり動いちゃう。
そして疲れる。以下ループ。

アプリを使って寝る前に少しだけ自分の考えを吐き出すようにしていたけど、それだけじゃ飽き足らずnoteに書き散らすようになってきた。
このnoteは楽しんでもらうためには書かない。思考の垂れ流しである。

書く時に必ず気をつけていることは「自分を卑下しないこと」だ。
卑下するために時間を取っているわけじゃないから。

これまでの自分は、「自分の意見」を人に押し付けるようにして生きてた。
自分らしく生きることはそういうことだと思ったから。
でもそれはただのわがままでしかなくて、自分らしく生きることとは関係がないとうっすら理解できるようになってきたのである。
相手の意見と自分の意見、どっちもOKで然るべき。だって私たちはまったく別のいきものなんだから。

必死に頑張って見せかけだけの「頑張る人」になった私は「頑張らない人」を見下していたと思う。
そうして自分が頑張ることを正当化していた。つらいのに。やめたいのに。
つらくてやめたいことは自分に向いていない。
でもそれが「やりたいこと」だと思っていたから、必死にしがみつこうとした。ニセモノの自分らしさを手に入れて喜んでた。そうでもしなきゃ自分の人生なんてクソまみれで面白みもなくて社会の片隅で誰にも知られることなくひっそり死ぬだけだったから。

まあ、今も社会の片隅で人知れずひっそり暮らしていて、私のことを知っている人はとても少ない。
だけど思っていたほど屈辱感もなければ、陰鬱とした気持ちもない。
”最近まで自分だったハズのなにか”が時々罵倒してくるぐらいだ。

「サボればまた世界に忘れられる」「何者でもなくなるぞ」
――そもそも、私のことなんか誰も覚えていない。

「結局お前は何も出来ない人間だ」「生きている意味がない」
――何を基準にそんなこと言ってるんだろう。

”自分だったモノ”が頭の中で私を罵倒するたびにいまだに心がきゅっと締め付けられるけど、そんな得体の知れないなにかに負けることすら悔しい。
誰が何を言おうと私が私である事実は揺らがない。
だって確かに存在してるんだし。こうして自分の考えを文章にすることもできる。

配信者として人気になりたくて必死に頑張ったけど、なんか自分の頑張りはへたくそだったと思う。それでもめっちゃすごくないと認められない気がして、すごく疲れながら一年続けた。

配信業を支えるために始めた派遣の仕事を切り替えることになったから、思い切って有給を全部ぶちこんで休んで、毎日配信に費やしていた時間を使って外に出た。
ふらっと入ったバーで出会った人々は私が底辺配信者でも人気配信者でもそんなこと知ったこっちゃなく、なんでもない私を受け入れてくれた。年齢も立場も性別もいろんな人がいて、みんないろんな背景を持っているけど、それを自慢することもない。
というか別に、自慢する必要なんてない。知らないし。

ふと、肩の荷が下りた。

「自分らしさ」を求めた旅は、きっとここで終わるだろう。
というか、探さなくてももともと持っていたんだし。世間の言葉にだまされて、自分の思い込みに支配されて、見えなくなっちゃってただけ。
世間の評価とかなんでもいいよ。やってもやらなくてもどうせ世界のほんの少しにしか影響を及ぼすことはできない。これはみんなそう。

やりたいように、生きたいように暮らしていけばいいだけだ。
我慢をした先にはロクでもない人生しか残されない。

まわりをよく見てみると、好きなように生きてる人なんてたくさんいる。
でもその人達みんなが、なんかめっちゃすごい功績を残した偉人だろうか?
めっちゃすごいことをしないと人生は楽しくないだろうか?
なんか別に、そんなことないなって最近思った。

インターネットはどうにかして自分の価値をつけたい人々が少ない席を毎日絶え間なく争っている。
私はもともと人と比べられたり、誰かと争ったりするのが得意ではないし、
そういう状況下ではストレスを感じやすい。

それでも何度も何年もその場所に行こうと挑戦した。多分これが4回目ぐらい。何度もやるぐらいだから私はそれが本当に好きなことなんだろうと思ったから。
結論から言うと、好きじゃなかった。
笑ってしまうくらい私には求心力がないし、不満に思ったことを全部言えるのかと思いきや、半分くらいは言えてなかったからストレスも溜まったし。
辞める理由はいつも同じだ。

「個性的に生きたい」と願いながら、結局人と同じルートを辿っていると気づく。もはや、個性とは何なのか。
たくさんたくさん一人で閉じこもって考えていたけれど、私みたいなタイプの人間に関しては「何も考えない」ぐらいがちょうどよい気がする。

自分の好奇心に身を任せて飛び込んで、それでもなぜか生きていけちゃうのが私の特技かもしれない。
熱中していたことに飽きたらまた別のことを始めて、そこでもなんとなく生きていける。

新卒で入社した会社を半年でクビになり、貯金もないのに東京に住んでみたくなって北海道から単身飛び込んだ23歳の自分。空っぽの部屋にペラペラの布団を敷いて眠った初日の夜。
このときの経験は私の「どうにかなる」の源泉だ。

こんなめちゃくちゃな行動が出来てしまう自分を、なんだか普通っぽい枠に当てはめてうまくやっていこうとしたのがそもそも間違っていたように思う。

書いてたらだんだんと眠くなってしまったのでここでおわり。
あらためて、自分の興味にもっと焦点を当てていろんなことに挑戦する30代にしたいと思った。

これからもたくさんの楽しい人に出会えますように。

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