少し困った自分自身との付き合い方
調子の悪い月と、よい月がある。
2月は健康的な生活をし、早寝早起き・バランスの良い食事を摂ることができたし、定期的に運動もしていた。しかし3月は最悪で、ほとんど運動もできなかったし、食事を作る気力もなかった。
一ヶ月間非常に規則正しく健康的な生活を送ったにもかかわらず、ひどく無気力になってしまっていて、3月のモーニングページを読み返すと(つらいながら頑張って書いていた)、毎朝「辛い」「眠い」「起きられない」と苦悩しつつも、奮闘している様子が書き残されていた。
そんな苦しい一ヶ月を経て、今月は再びよい生活を取り戻しつつある。昼休みに欠かさずウォーキングをしていたのに、暖かくなってきた今、外に出たい欲求はあまりないようだけど。
自分の心と頭で感じることが常に違うので、ほんとうに苦労する。
意見が分かれたときは、心に従うようにしているけれど。
機能不全家族で育った人間には、心と頭の声が異なってしまう特徴があり、頭の意見は、基本的に一般常識優先。一般的によいとされることを優先する傾向にある。
心の声が自分の本当に気持ちであり、これまでの人生でとにかく蔑ろにされてきた部分なので、自分の心の声が聞き取れるようになってからは、心を優先することにしているのだ。
これまでずっと自分のなかのギャップに苦しんできて、普通になりたくてしょうがなくて、朝も夜も意識がある間はずっと死にたいと思い続けて、布団の中では朝が来なければいいのにとずっと願っていた。
でも、3年前ぐらいに「そんなに死にたきゃ、死んでやる。でもその前に、自分がやりたかったことを全部やれ」と、自分に挑戦状を叩きつけてからは、希死念慮が消えた。
今もふと、「死にたい」とぼやいてしまうことがあるんだけど、ピーク時にくらべて頻度は激減した。そして、だいたい疲れていたり、眠いときにぼやいてしまうことが多いと気づいたため、うっかり口から出てしまったときは、早く寝るようにしている。
アダルトチルドレンや、ADHD、ASD。発達性トラウマなど。自分の特徴に似通っていると思ったものについて、本をたくさん読み込んだ。
その中で自分に合いそうな対策を採用して、少しずつ実践した。
そうしていくうちに、自分に気を使えるようになったし、部屋の掃除もできるようになったし、自分の気持ちに従えるようになってきた。
カウンセリングだとか、治療だとか、生まれた環境が違うだけで普通の人より多くのお金を払わなきゃいけないことが嫌だった。嫌というか、ムカついてた。だからこそ、お金をかけたり人に頼るのではなく、自分でどうにかしていこうと決めた。
その甲斐あって、3年経った今、かなり成長出来たと思う。
私にはどん底から立ち上がれる気合があったから、今は少しずつよくなっているけれど、みんながみんなそうではないことはわかっている。
でも、最終的に自分自身が本気で変えていきたいと思わないと、現実も自分も変わらない。逆に言えば、本気で向き合ったことは、ほぼ100%叶う。
失敗しても、改善してまた挑戦したらいい。
変える方法はほんとうにシンプルだけど、根気がいる。
大まかに「目指したい未来」を決めたら、毎日自分の体調や気持ちと相談しながら、ひとつひとつ行動を決めていく。今日は元気だから朝ご飯作ろうかな、とか、散歩に行ってみようかな、とか。反対に、体調が悪いと感じたらそのまま寝る。
これも普通の人は何も考えずにやってるのかもしれないけれど、私みたいに完璧主義で融通のきかない人間は、ルーティーンを設定して一度でもそれが崩れてしまうとひどく落ち込み、激しい自己嫌悪に苛まれ、自分を否定し、蔑み、生きる価値がないと罵倒してしまうので、それ以降一切のことができなくなってしまうんだ。
自分の体調を優先できるようになるまでには、何度も失敗する。けれど、あきらめずに元気になってきたらまたやる。その繰り返しをすることで、少しずつ自分の扱い方に慣れるしかない。
3月はたぶん、低気圧が猛威を振るっていたせいですごくキツかったんだと思うけど、五苓散という漢方を知って飲むようになってから、うそみたいに元気になった。本当にしあわせすぎる。まぶたが重だるく、頭が締め付けられるような感覚がなくなった。寝起きがつらくない。
それから漢方に少し興味を持ち始めて、食べることや料理が好きなので、薬膳料理にたどり着いた。これ、転職が落ち着いたらしっかり勉強してみたいかもしれない。
東洋医学の医食同源という考え方が、とても興味深かった。
もともと栄養学を専攻していた関係で食べ物への関心は人よりあるほうだし、食べたり飲んだりするものが自分の体を作っていくと思っているから。いいものがあるなら、食生活に取り入れてみたい。意識的に季節の食材を食べるようにしているけど、それだけでも結構調子がいいしね。
心も体もボロボロで10年ほどセルフネグレクト状態だったので、スタートラインがもうだいぶ低いんだけど、人生単位で考えたら、まだまだ先は長い。
これから先はすてきな人生にしたいから、自分にとってよさそうなものはどんどん取り入れてみたい。
こういうことをしていると、ある程度年齢が進んだ人があやしい宗教や商品にハマってしまう気持ちも理解できるような気がした。
ここで大事な線引きは「他人にどうにかしてもらおうと思わない」ことだ。
他人が本気で自分の人生を良くしてくれるわけがない。誰だって自分が一番なのだから、自分に利益がないことはしない。
神に願っても、行動するのは自分だ。
自分の未来を掴み取れるのは、自分のみである。
そういうふうに強く思って、自分と付き合い続けている。