キュンメル事件と「余には弟がいないから」:ラインハルトの内面変化
人様の感想や考察は本作をいっそう美味しくしてくれるので大好きである。こちらの考察動画を見て、ラインハルトとヒルダの関係についてまた考えた。
時系列に追って(突っ込んで)いるので、ラインハルトとヒルダの関係史としてとても助かる。以下は捗った私の感想と思考です。
キュンメル事件はローエングラム王朝にとって最初の危機であるし、ヒルダと父マリーンドルフ伯にとっても一門が連座で全滅しかねない危機であり、唯一の身内がヒルダまで殺しかけたという点でも痛恨事であった。
しかし残した結果は意外にポジティブなものだった。特にラインハルト個人にとっては、内面の成長を促す大きなきっかけになったと思う。
まずは外面でわかりやすいところから。
ラインハルトは親族のマリーンドルフ親子はもちろん、実行者であるキュンメル男爵も罪に問わなかった。
首謀者は地球教徒であり、病身かつラインハルトの身近に仕える親族を持つキュンメル男爵はそれを利用されたに過ぎない。
事件の本質を見抜いていたラインハルトは「凶器を罰するのか(罰しない)」という言い方でキュンメル男爵を罪人としなかった。現代の法制で見ると「最大限に情状酌量した」ということになるのだろうか。
そしてゴールデンバウム王朝では当たり前だった「親族を連座させる」慣習を鼻で笑うように無視した。
これは旧王朝との違いを強烈に印象付ける結果になっただろう。
だがいっそう重要なのは、ラインハルトの内面に与えた影響である。
従弟を腕の中で看取ったヒルダは、彼を抱きしめて声をあげて泣く。
この時点でヒルダは被害者の一人でもあるが、皇帝弑逆未遂犯の親族であり、皇帝をこの場に招いた責任は彼女の父にある。
旧王朝の、つまりは彼らが育った常識で考えれば皇帝の前で弑逆犯の死を悲しむのは悪である。
それに気づいたヒルダははっとしてラインハルトを見上げる。
ラインハルトは彼らをじっと見ていた。
この時の石黒版の表情がとても好きである。
原作小説の記述では、「怒りでも同情でもないものが、彼の胸を満たしていた」とある。
OVAでは同情がゼロでもないように見えた。そして共感のようなものも感じられる。
私見では、この時ラインハルトの中でヒルダが明確に「私的にも自分の領域にいる人」になったのだと思う。
アンネローゼへの使いを依頼したところでもその兆しはあったが、キュンメル事件を経てヒルダはラインハルトの「第3の人物」になり始めた。
なぜか。
当時のラインハルトの内面世界は荒涼とした、孤独そのものだった。
己の過失によって半身と言える親友を死に至らしめ、それに伴って生きる目標のすべてであった姉に去られ、もう家族どころか、個人的に親しい人間は皆無である。
ほかに誰か個人的な関りがある人間がいるかと言ったら、姉の友人や元・下宿先のおばさんたちくらいしか思いつかない。外伝に出てくるあのおばさんたちは「赤毛さん」の死を心から悲しんでくれただろうが、ラインハルトと個人的に連絡を取る感じではないだろう。。
アンネローゼは山荘でのヒルダとの会見で「弟に初めてできた友人」と言っているが初めて以外にいるんですか姉君?とつっこみそうになる。
そんな究極独りぼっちでその友人の遺言だけを胸に全人類の支配者になりつつあるのだから、これはもう危うさマックスである。ヒルダがアンネローゼに言った「うつろな支配者」である。
そして恐ろしいことに、それに気づいている人間はほとんどいない。あまりに能力が高いせいで精神面は「傷ついた少年」であることに誰も気づかない。
この時気づいていたのは、人心に対しても非常に聡いヒルダのみである。オーベルシュタインは部分的には気づいていたかもしれないがこっちは「うつろな内面結構。君主マシーンにちょうどいい」と考えかねない。
そしてラインハルトの内面の危機に気付いているヒルダは、ガイエスブルクのワープ作戦のころから、彼の精神面を支える決意をしつつあった。
毎日一緒にお昼を食べるなど、公的には一番距離が近いところにいる相手が自分に対する思いやりをもっているならば、人は無意識にでも気づくのではないかと思う。
初対面からヒルダに対する好感度は高い。内心の壁はすでに高いものではなかったと思う。
そしてラインハルトは見た。
自身が「姉さん」と呼ぶ相手を巻き添えにして、皇帝(ラインハルト)を殺そうとした悪い弟を見た。
そしてその悪い弟を抱きしめて弟のために泣く、「姉さん」としてのヒルダの一面を見た。
姉にとってもこよなく大切な人であったキルヒアイスの死以来、ラインハルトは自分のことを「すごく悪い弟」だと思っていただろう。
姉に距離を置かれたのは当然の罰(だと思っているだろう)だと思い耐えていた。
いま彼の目の前には、直接「姉さん」を害することを辞さなかった、もっと悪い弟がいる。
その悪い弟を抱きしめて、彼の姉さんは泣いてくれている。
自分とアンネローゼのことを思ったのではないだろうか。姉さんがまたいつか、この悪い弟を抱きしめてくれる日が来るのだろうかと。
ガイエスブルクの、キルヒアイスが命を落とした部屋でラインハルトはつぶやいた。
俺は寒いのだ。お前と姉上がいない宇宙は寒い。
悪い弟を抱きしめるヒルダを見て、ラインハルトは「寒くなくなる方法」を見出したのかもしれない。
自分が誰かを抱きしめる、暖める側になること、その可能性を。
エミールについてヒルダと(この少年の派遣もヒルダからラインハルトへの思いやりの一環だった)話しているとき、ラインハルトはふともらす。
「余には弟がいないから」
だけど、あなたのようになりたい。
あなたや姉上のように、「弟」をいたわれる自分になりたい。
ラインハルトの目が、姉とキルヒアイスという3人のみの世界から広がり始めている。その明確な兆しだった。
アンネローゼが別れの際に言った「あなたには未来がある」その未来との和解の兆しでもあったかもしれない。
暖かい宇宙へ。