見える化された岐路
あれは3月の始めだっただろうか。
深夜のフェリーの船着場、足元には雪と氷が厚く踏み固まっている。
そこは室蘭だった気がするけど、航路を見ると苫小牧か小樽港のはずで、きっと私を記憶を間違えている。もう長く、時間が経ち過ぎて覚えていない。
白い景色ではなかったから、
天気は少なくとも吹雪ではなくて、月明かりなのか星明かりはあっただろう。夜空が黒いことだけは記憶している。放射冷却のせいなのか、その日の港は凍てつくように寒かった。
まあ寒いのはいつものことなんだけど。
その寒さをしばれるって呼ぶのだと思う。
私はそびえ立つように港に停泊する、フェリーの後部デッキの甲板を見上げた。そこには奴がいて、見送りに来た私と兄やんを見降ろしている。私にとっての一つの大きな時間が幕を降ろしていく。
***
大学時代の大半、私はなぜか奴と一緒にいる時間が長かった。タイミングが合わなくて、すれ違いしかなくて、結局恋人になんてならなかった。
でも一緒に行動することが次第に普通になっていた。そして兄やんと呼んでいたもう一人がいて、兄やんと奴は最強に仲が良かった。そういう訳で、3人で行動することは日常に等しかった。ある意味家族に近いし、一緒に食事をしたり、生活の一部を共有しているようなところがあった。
彼らは車とかバイクとか、走るのが好きな人たちで、多分ライダーなのである。そばにいると、バイクの話とくだらない話をして、いつもけらっけらとよく笑っている。
車で出かけることも多かった。私はそこに乗っていたり、乗せられていたりしていた。バイト開けに車で回収されて、しばらくすると海が見えていたりとか、よくあることだった。行き先に多かった、浅利という地名は懐かしい。
彼らにとって、私はマスコットみたいなものだったのだと思う。
私は弱虫で、結局ライダーにはなれなかったから、戦力不足。でも、機動力がないくせに、それでいて自然の中にいるのが好きだった。インドアな遊びとは相性が微妙で、彼らの行動力はむしろ私の求めるものだったりしていた。だから、マスコットだろうと全く悪いとは思っていなかった。彼らは心底いい奴らなのである。
北海道の大学に就学すると、道内各地に小旅行をする学生は多いのだと思う。自分の場合は、彼らのおかげで、走るのにつるんでいた経験の方が多い、という表現の方が正解に近い。
今思うと、そんな居心地の中にいさせてくれたことが本当にありがたいと思う。空気を吸うように何でもなくあることこそ、たぶん一番大事なものなんだろう。
風を切るように走りながら、車中では大抵、ELLEGARDENが流れていた。私の選曲じゃなかったから、好きなんだなぁと思いながら聞いていた。奴とは空気のように一緒にいて、車中にいた時間が長かった分、エルレを聞くこともまた空気のような生活環境の一部になっていた。
呼吸をして吸った酸素は体の中を巡るけど、エルレの音楽も、聞き続けて体の中を流れていた。今の自分を形成する一部にもなっていると思っている。
***
そんな日々も次第に終わりを迎える。
夜中のフェリーの見送りに来てみてわかったことがあった。フェリーの見送りが最後って、残酷だと思った。当然、走っても泳いでも、追いかけることなんかできないし、車や電車のようにさっといなくなりもしない。視界から消えるまでに時間を要する。
定刻を迎えると、フェリーはぼおおおぉぉぉっと出港の汽笛を鳴らした。そしてゆっくりとゆっくりと、港を離れ始めた。巨大な空と海の闇の中に、船は進んでいく。それなりの速度があるはずだけど、船体は巨大で、ゆっくりとゆっくりと離れていくように感じられた。ただただ冷たい海の上に、港と船との距離が広がっていく。
奴は甲板を離れない。
船が出港して、見える海の面積広がっていくことは、生きる道が離れていくことを見せられたようにも感じられた。
岐路は「見える化」されたのだ。
感覚的には、さっくりと。
ストリングチーズを裂くみたいに、
さっくりと。
縦に裂けるストリングチーズは、指先を動かした行動の結果として、裂けたチーズの状態が視覚に入る。すると「気持ちよく避けたな」と、何となく達成感のような、諦めのような感情が不思議と付いてくる。「さっくり」を例えるならそんなかんじで。
さっくりしているから、残酷であったとしても、ある意味合理的。生きる道が別れることを理解するには丁度良かったのだとも思う。
冷たい真夜中の海原へと吸い込まれるように進んでいくフェリーを、ただただ見送った。視界にそびえ立っていた船体は、そろそろ海の景色の点になる。船の窓明りはかろうじて消えない灯火のようだ。そうして奴と空気のように過ごした時間は、漆黒の極寒の海原に飲み込まれて行った。
この日の光景は、印象に強すぎて、今でも脳裏から消えることがない。
一つだけ今でも気になることがある。
あの時、白い息を吐きながら、一緒にフェリーを見送っていた兄やんはどんな心境でいたのかと。ある程度想像はつくのだけど。
「ん? 帰ってったなと思ったけど。それだけw。ガハハハ!」
「そ、そう」
きっと、そんな風に話すのだろう。
兄やんは背が小さいのだけれど、武道をやってきていて、喧嘩したら強そうだし、恐そうだ。どちらかというと寡黙で「口から生まれてきた」の逆をいくタイプだ。気を使った発言とか行動で、人の気を引こうとすることは少ない。でも、地味に周りに気を使っている人。
私の中では寡黙なボスキャラと位置付けていた。
そんな風に思っていた。
それまでの中で、私は奴と喧嘩したのだったか、一度だけ兄やんに不満を呟いてみたことがあった。
それもまた、車の中だった。兄やんはハンドルを握って遠くを見ながら言葉を選んでいる。
「うーん、それを何ていうか…。信じて見てるしかないんじゃねぇのかなぁ。あいつ何か言ったところで変わる性格じゃねーしさ!ガハハハハ!」
私はそれを聞いて、
「この人はいつもそう考えてるのか」
と気づいた。
兄やんは、奴のことを見守ってみていた。
私が〝見守る〟という言葉を自分のものにできたのは、この日、兄やんが心の姿勢を教えてくれたからなのだ。答えを求める学生の私に、答えを求めないで自ら見守るという考え方は新しかった。
そんな人だから、何かしら私の様子も見ていてくれていたと思う。少なくとも、海に飛び込まないかくらいには。
しばらくして、フェリーの明かりは見えなくなった。
私はストリングチーズを裂き切った後のような気分になっていた。一仕事やり切ったような、達成感のような。もう今まであった時間が戻ってくることは無いのだ。闇が飲み込んでいったフェリーの様子は、それが理(ことわり)であるかのように、帰路を「見える化」した。私は納得に導かれていた。
「行ったねー」
「おう。さみーなー、帰るか」
「うん」
兄やんは、マニュアル車にエンジンをかける。ゴウン!ブロロロロロ…と、重みのある低音のエンジン音が、凍りついた港に響いた。
***
それから、気づけば干支 1周分と半年の時が流れている。
今は、奴とも兄やんとも暮らす地域はそれぞれ千km前後離れている。頻繁に連絡を取ることもないけれど、だからと言って今どうしてるんだろうと思いにふけるようなこともない。
帰ってくる言葉は大体想像できるし、
きっと、けらっけらと笑われる。
私はあの寒い港での経験を、こうして言葉を使って表現できるようになっている。あの頃、毎日のように走る車の中で聞いていたエルレは、バンドの活動を一度休止して、再開もしている。
それくらいの時間が経っているんだ。
ただ、フェリーを見送ったあの日のことは、やっぱり少し、残酷なんだと言いたい。
食べれば美味しいストリングチーズ。自ら買い物カゴに入れるのは、今日もまた先延ばしなんだから。