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夢みる買い物ガール~断って捨てて離して~

我が家は狭い。

かつての私は、セ―ルと聞けば浮かれて銭を失い、「この布でブックカバーを作ったらかわいいかも…♡」「この型でクッキーを焼いたら絶対かわいい!」と、普段はしない手芸や菓子作りをする想像上の私のために銭を失い、我が家の面積をも失った。

モノと言うのは、買う時は非常に簡単だが、捨てるにはその8倍くらいの労力を使う。ブックカバーになり損ねたありのままの布や、年に2度ほどしかクッキーを焼かないことを忘れて浮かれた私の姿を思い出させる型抜き。
浮かれた自分を思い出し、支払った金を思い出し、無駄遣いが身に沁みる。ならば気が付いたその時からモノを活かせば良いのだが、このような買い物により得たモノへの気持ちは、残念ながらもうしぼんでいるのである。

こうして「お金を使ったのに、結局モノは使いきれなかった」という気持ちが、捨てる決断を鈍らせる。すぐに捨てることができない。そっと、しまう。とりあえず見て、しまう。これを何度か繰り返す。
しかし、この1年後に布がブックカバーに変わったり、型抜きが手作りクッキーを生んだりすることは稀である。概ね、20個に1個くらいなものであろうか。夢みて買って、活かせず終わる。そう、夢を見るために買っていたのだ。夢の残骸が我が家を埋める。何をそんなに夢みていたのか。

何度も同じ失敗をして部屋を狭くしながら、ある時期以降、私はモノを捨てる本にハマり、あれこれ読んでは試した。

片付け沼にハマったことのある人ならばきっと多くが通るであろう、「捨てることが目的」の時期がある。初めは「もったいないかな…」「まだ使うかも…」などと思いながら捨てるのだが、そのうち吹っ切れるのである。
スターを獲得したマリオの如く、チャンチャンチャンチャ・チャンチャンチャチャンチャ♪という効果音が聞こえそうな様子でゴミ袋片手にバンバン捨てる、あの時期だ。あれは、片付けハイだろう。

ハイな状態は諸刃の剣。一気にモノが減るが、やりすぎると心が削げる。刀を振る侍を彷彿とさせる、ある種の殺気があるのだ。片付けハイを経て、ゆるやかに正気を取り戻しながら、残すモノ、捨てるモノを選ぶ。くつろげる空間を取り戻し、しかしまた夢を見るショッピングを行い、時期を経て捨てる。
この無駄としかいえない過程を、寄せては返す波のように繰り返しながら、自分の心のいらないモノも捨てながら、私はモノと私と買い物と、を学んだ。だんだんと、「私は、本当に欲しいものは少し高くても長く使うようだ」「安い、という理由で買ったモノへの私の気持ちは冷めるのも早いので、結果的に安くない」「疲れた時の買い物は魔物」などと学んだ。

部屋が狭いがゆえ、捨てざるを得なかったわけであるが、おかげで私は夢みる買い物女子のままではいられなくなった。捨てながら買い物の失敗を悔やみつつも、何かを得ている気がしないでもないのである。


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