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「えいじゅう」と呼ばれた人
私が小学生の時の話をする。
その頃の小学校へ向かう通学路の途中は、ほぼ1本道だった。辺りは田んぼに挟まれ、ひび割れのあるコンクリートの道で、道幅は今の軽自動車がギリギリ走れる位。
だから車が前から来ると、子供達は田んぼのあぜ道へ避けるしかなかった。
豚小屋もある1本道を「くさいくさい」と言いながら抜けると、どこにでもあるような住宅街に入る。
学校へ行くには1本道をみちなりに右に曲がるのだが、ちょうどその曲がり角の左側に、皆の噂になっている家があった。家の周りは薄暗く辺りを伺い知ることは出来なかった。
「ねえ、知ってる?」
「何を?」
「あそこにえいじゅうがいるんだって」
「えいじゅうって何?」
ある日の朝、いつものように小学校へ向かっていた。ボロボロの1本道と豚小屋を抜け、角を右へ曲がろうとした時のこと、おじいさんが棒を持って追いかけて来たのである。私を含め子供達はすごく驚き怖くなった。
「うわあ!えいじゅうだ!!」
と、誰かが叫んだ。
私は困った。小学校へ行くには、えいじゅうの前を通らなくてはならない。
私は意を決し、全速力でえいじゅうの前を通り抜け、小学校へ向かって走った。他の子達はどうしていたのか覚えていない。
その後区画整理が始まり、いつの間にか1本道はきれいに舗装された道路になった。豚小屋は無くなっていた。
そして、えいじゅうの家の前を通らなくても学校へ行けるようになった。
「えいじゅう」の噂も聞かなくなった。
結局「えいじゅう」って何だったのか。
おじいさんのあだ名なのは分かるけど、なぜ「えいじゅう」と呼ばれていたのか、小学校の近くに住んでいるのに、子供たちは誰もそのおじいさんの素性を知らなかった。
私も顔を全く見ていないし覚えていなかった。