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クソッタレな自己像や日常をフラットにするために、私は本を読む

私の中で『人間関係』というものは難解で、なかなか心の奥に落とし込めないもので。

アメブロの時に何回か書いたエピソードだけど、とあるワークショップで『過去にお世話になった人物や、自分に大きな影響を与えてくれた人、友達などを思い浮かべてみてください』的なことを言われた時、私が思い浮かべたのは『本』でした。人間じゃなく。

ちゃんと考える時間があるなら、「あの人にはとても大切なことを教わったなぁ、お世話になったなぁ」とか「最近はあまり連絡とってない友達の○○ちゃん、ありがたい存在だよなぁ」とか言葉が出るんですけど……

パッと言われた時、とっさに思い浮かんだのは本だったのです。

ティーンの頃、オタクで絵を描くの好きで(以前は今ほどオタクは市民権がなかったんだよ)嘲笑されて、私という人間を深く知る前に「とりあえずオタクだから距離をとる」という態度取られることが多かったから…

と、理由を自己分析していたのだけれど。

最近思うのです、それだけじゃないなぁ、って。

なんていうか、『漫画や本の登場人物や世界観』に憧れや疑似体験が強烈すぎたからか、リアルの世界で漫画の『冒険の仲間や、スポーツ漫画の部活仲間みたいな濃厚な絆』をなかなか感じる機会がなくて、どこかリアルに失望しかかってるのかもしれないな、って。

失望しかかってる……しかかってるというのは、まだ諦めきれない私がいるんだろうなぁ、と思ってます(笑)

例えばキャプテン翼。
チームメイトだったり、
試合後に熱い握手をかわすライバルたちだったり、
エッフェル塔の下で再会を果たす親友・みさきくんだったり……そういう『お互いに特別に思ってる』そして『たくさんの濃い体験を共有する』仲に、憧れを抱きすぎてるのかもしれません。

特に女性の『友達関係』は、ライフイベントによって交流する人は変わることが多い…と雑誌やネット記事で見かけたことがあり、とっても共感です。大人になってから交流する相手は、仕事が順調かとか、恋人がいるかとか、結婚してるかとか、子どもがいるかとか、によって、『女子会』として集まりやすさ・語りやすさも変わるものだと。

つまり、『つるむ相手が、互いのライフイベントによって、女性は特に変化しやすい』、と。

自分や周囲の友達を見てても、「わかるなぁ」と感じました。
そして、私は特に極端というか……合わない話題を表面的に合わせるのは得意だけど、それに時間を割きたくなくて……。一人行動が得意(になってしまった)なゆえに、自分がいま話していたい話題と噛み合わなくなると、その集団からフェードアウトしてしまいます。

そんな、特定の友達となかなか濃く長く繋がることがレアな私。
ほんとは意欲があるけど、深層心理では好き嫌いが激しいから、自業自得っていえばそうだけど。

とはいえ、たまに孤独に胸を占拠されたり、もしくは「友達が長続きしない私は、クソッタレなのかもなぁ」と思ったりする。

そういうふうに自己像をネガティブにしか見えなくなった時や、日常がつまらなく感じて自暴自棄になりやすい時は……

本を読むわけです。

安心な世界。
読んでて嫌な気持ちになることもあるけど、私個人を狙って嘲笑するわけじゃないし、向こうから縁を切ってくるわけじゃないし。
そんな、現実逃避ができる場所。

現実逃避だけど、でも、気がつくと本から『新しい視点』や『勇気』をもらってしまう私がいる。クソッタレな日常を、クソッタレと思わなくなる日を何度も夢見てしまう私がいる。そのために本を読んでるという面も強い。

それとも、いま私が「友達が少ない」と思ってるけど、その少ない友達がゆるく、そしてマイペースに繋がってくれてることは全然クソッタレじゃない、と何度でも思い出すわけです。
(っていうか、ごめんね、友達たち!友達甲斐の薄い私と繋がっててくれて!)

日常や人間関係を、クソッタレだとしか見ない私の曇った目を、面白い本はクリアにしてくれる。

お世話になりっぱなしである、本に(やっぱりそう思ってしまう)。



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