覚悟はあるのか、そしてその覚悟は何を体現するためのものか
ちょっと前から、かなり時間をかけてるゲームを、やっとクリアできそうです。
(画像は、Amazonの商品ページより)
『大逆転裁判2 成歩堂龍ノ介の覚悟』
(覚悟の『覚』は、難しい字のほう)
このゲームは、架空のトンデモナイ裁判システムを基にした、推理ゲーム?論理ゲーム?みたいなものです。長く続くシリーズ『逆転裁判』の派生作品。
裁判システムとか事件とかキャラクターは、もう、かなりトンデモナイのですが……
でも、なんていうか、そんな『非日常』な壮大な物語の中に、とてもドキリとするような、人間の心理や思惑の『リアリティ』が少し仕込まれてたりするんです。
そのギャップと、キャラクターたちの『真相解明へ、諦めない姿勢』に痺れるシリーズです。
さらに今作のサブタイトルには『覚悟』の言葉が。
覚悟。
それは生きていく上で、『何かを守ったり、成し遂げたいなら、必要となるもの』だと私は思う。
このゲームでは主人公は、『事件の裏にある、真実を明らかにする』という自分の信念を追求していくために、大切な人たちの『うやむやに隠したいこと』と徹底的に向き合う覚悟をして法廷に立ちます。
漫然と生きていきたいよって甘えてたって、壁は向こうからやってくる。
何かを守ろうとしたり、やり遂げたいことがあるなら、なおさら壁にはぶち当たる。
覚悟はあるのか、そしてその覚悟は何を体現するためのものか
壁というものは、そう問うてくるものだと、私は個人的にとらえています。
私の覚悟。何を見届けるための覚悟なんだろうか。何を守るため、何を創るためなんだろうか。
時間とともに、自分の信念や価値観が変われば、覚悟とともに目指す方向も変わりうるし。
時間とともに、覚悟が揺らぐこともある。
状況の変化で、心は揺らぐ。
頭では分かってても、心がそれを受け入れるには時間と出来事が必要だったりする。
覚悟は節目節目で点検したり、アップデートするものだと私は考えている、
流れていく日々の中で、定期的に心や覚悟をちゃんと確認するために、私はいろんな土地へ旅をして、自分と向き合います。
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