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悩めるアラフォー海外大学院ライフ

どうもこんにちは、ゆきのです。
大変ごぶさたしております。いかがお過ごしでしょうか?

私は7月に大学院の期末課題がものすごい量で、とにかく必死でした。

3000〜4000字の各科目ごとの論文9本!
→1年がかりの修士論文が目標3万字と言われているので、全部あわせたらもはや修士論文1本分

中国語初級の模擬授業の動画撮影 20分間!
→発音、語順、単語に細心の注意をはらいつつのフル中国語でしゃべり続けるのホントしんどい。論文書くほうがまだいい

しかも、得意な科目と不得意な科目が私の場合バッキリ分かれているため、不得意な科目が辛かった。
大学院の専門は言語学と教育学なので、そのどちらかだったらいくらでも考えたり書いたりできるんですが。

修士課程の1年生は専門以外の必修科目もちらほらありまして。これがきつい。
現代文学と古代詩、「わかんねえええ!」と何度もくじけました。そのたびによろよろと立ち上がりました。最後は力尽きました。提出後の結果はひどいものでした。合格したのでまあいいです、忘れます。

こういう学問面においても、加齢の影響かしら、と落ち込んだりします。
20代なら、柔らかい頭とどこまでも伸びる発想でもっと、なんかこう、できるんじゃないかな、と。(なんやねん)
でもきっと20代の私もしょせん私なので。「たかが知れてる」とあきらめもつくってもんです。

こんな様子でアラフォーにして大学院進学をキメたのは、ワクワクもあり同じくらいのモヤモヤも頻発。
「すごいねー」「がんばるねー」と周りからはあたたかい言葉をいただきますが、正直しんどい、かるーく後悔すら芽生えます。

上記の「課題しんどい、わからん」をはじめ、留学フレンズとの交流なんかもぼんやりと悩ましげです。もっと深掘りすると留学フレンズと交流する自分に対するメタ認知が強すぎてしんどい。

「いきなりなに言いだすん?」という感じですね。
ざっくりまとめると、学校の中の友人はだいたい20代、ときどき30代で、基本的に全員年下、私はいつでも最年長、という関係性で会話をするとき「おばさんらしく豪快にふるまおうか」「かといってうざいおばさんにはなりたくないし」「きみー!それ会社でやったらアウトやで!社会に出るまでに学んどき!なんて絶対言えないいいいうざいいいい」などなど、自分の発言を妄想して先回りした挙げ句に過剰に抑制しがちになる、という現象です。
(言いたいことを言いたいだけ言うときもあります。にんげんだもの)

年齢に関係なく同じ学校で学ぶ学生同士だし、それぞれ意志や目標をもって学んでいるんだから。学校に限らず、人間関係の基本は相手へのリスペクトを忘れない。当たり前のことを当たり前にすることを常に意識しています。

そして幸いにも、留学フレンズなナイスなやつばかりなので、私のキャラクターを容認してもらい、わりとカジュアルに食事したり、出かけたり、酒を飲んだりします。ありがたい。

とはいえ、気が合わなかったり、単純に都合が合わなかったりするときも。あとは大学院の授業についていけないときは、「私の中国語、ほんとダメだなあ」と激しく自己嫌悪でひとり沼ってる時期とか、「飲もうよ〜」と誘われて断ることもありました。

そういう時にね、弱い心がムクムク膨張して、妬んでひがんで自意識が突っ走るんですよね。
「あいつの成績がいいのは、2年も3年も中国語だけ集中して勉強してから大学に入ったからだ」「わたしの中国語が下手で成績が悪いのは、独学で勉強してなんの準備もしてなかったからだ。私だって集中して勉強する時間やお金を確保していたら、もっとうまくなってるはず」

書いててしょーもないですね。完全なるやっかみです。語学力や能力は相対値ではなく絶対値なので、他人の能力をジャッジしてるひまがあるなら、自分でせっせと努力を積み重ねるしかないわけで。

こういう部分は、アラフォーあるあるというより、留学あるあるに近いのかなとなんとなく思っています。現地の空気感というか、行って見てはじめて感じることってありますよね。自分の現在地(能力値)とか、他人と自分を比べてみるとか。

そんな風に自分を納得させていたのに。のにー。
留学フレンズの一言がアラフォーをぶった斬りにしてくれました。それは飲み会での一言がきっかけです。酒の勢いで、私がなんでもないことをぐちっぽく話したことへの返事だったかなんだったか。(酒の席の会話は覚えていない)

「ゆきのは、自分が年上なのに!って思ってるんでしょう?」

ええええええーーー
私の発言、そんな風に受け取られていたんだ!
というショック。

この発言の真意は定かではないですが(酒の席のふりかえり反省会なんてしたくない)、なんとなくの推測をしてみたところ。
「年上なんだから私の判断は正しい。だから私の言うことを聞け、みなの衆!」みたいに、声高らかにいろいろな場を仕切っている(ように見えて)、「なぜ言うことを聞かぬのだ!(わたしが年上なのに!)」とイライラしている(ように見えた)のかなあ、と。
(妄想の中の自分を、百姓一揆を煽るおばさんみたいな雰囲気に意訳しました。ノリです)

「むだにエラそうな年上キャラ」という設定を回避するために、全集中のメタ認知でがんばってたのに。仕切り屋な性格と声がデカいせいで注目されがちなのは、元々の性格であって、年上だからではないんだけどなあ。
自己と他者の認知はいつだって平行線ですれちがい。

ただ、この発言に考えさせられることはあって。
私は留学フレンズとの会話や交流のなかで「私は年上で、彼(彼女)は年下だから」と思うことはほとんどない。年齢に意味はないと思っていて、年取れば取るほど立派になれるわけじゃねーんだー、と年取れば取るほど痛感しているから。

だけど、「彼(彼女)、まだ働いたことないからなあ」と思うことは確かにある。
アルバイトじゃなくて、会社員として組織に所属して、フルタイムで仕事してなんなら残業とか休日出勤とか、ムカつく上司とか気の合わない同僚とかハラハラさせる部下とか、いろんな人間に囲まれて、その対価として給料やボーナスをもらう、っていう。

年齢がどうこうというより、経験の違いというか、学生以外の所属をしたことがあるかorまだしてないか、は大きな差なのかな、と。
この点は学生→社会人+転職、を経て大学院進学をした自分と周りと、見える世界が違うのかな、と思うことがあるのは事実です。

「今日もまた遅刻した」とか「また宿題の締切守れなかった」とか、あかんやつー!
とりあえず朝は起きて!
化粧とかしなくていいんだから、寮からパジャマみたいな格好で教室行けばいいだけやん!
宿題のクオリティなんて追求するより、自己採点70点の内容でいいからとりあえず出すだけ出そうよ!
とか。
「これが仕事だったら」と、つい余計な発想が生まれてしまう。自分の頭の中がめんどい。

「でもここ会社じゃないし」
「この人たちと一緒に働いているわけじゃないし」
「もし言ったところでマジ余計なお世話やし」
「でも、彼(彼女)がこのまま社会に出たら、ホントやっていけないよなあ。大丈夫?」
ぜーったいに言わなくていいことばかり頭の中に浮かんできては、叩き落して、また浮かぶ。エンドレス思考。

「は?社会人やってたらそんなにえらいわけ?」という反論が聞こえてきそう。そんなことはない。
えらいとか上から目線で言いたいわけじゃない。でも、自分の生活まるごと面倒みるだけの金額を稼ぐ経験は大事だと思う。それなら、社会人じゃなくてもいまどきいろんな手段があるよなあ。

そうか。
どうやら私は、「自分の能力や経験をお金に変えて稼ぐ能力がある人はスゴイorエライ」と思うふしがある。それはすなわち生きる力のひとつだから。
留学フレンズのみんな、今学んでる知識をたくわえて能力にして、留学の経験を活かして、1円でも多く稼ぐようになるんだよ。おばさんも一緒にがんばるね。

学生、留学生、大学院生、という所属に、社会人がひとつ追加されただけで、なんだかやっかいだなあ。やれやれだよ自分。

なんだかまとまりのない文章ですが、悩めるアラフォー大学院留学の1コマをお届けしました。
次回は「クセがすごい…中国式な教授たちとの悩める日々」(仮)をお送りします。
お楽しみにッ!


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