【4日目】 教科書ってなんだろう
来年の春に初めての電子書籍出版へ向けて、こうしてありのままの今を伝える「Leeの星の電子書籍初出版ワクワクレポート」4日目です。
書物というのは英知のかたまり。電子書籍であってもそこに言葉が綴られているれっきとした書物というものに関わるチャレンジを始めた今。
改めて今日は「教科書ってなんだろう」ということについて感じることをシェアしていきたいと思います。
教科書って教える科目の書物と分解できますね。
さて、実はわたし、19歳の夏に言葉の通り教科書を捨てた人間です。
ちょっとわたしの話になってしまうんですが、高3の時いきたい大学受験に落ちて、それから1浪してまた大学を目指していました。
でも、なんだか全然楽しくなくて、なんのために今自分がこんなにも一生懸命必死に勉強しているのか、自分のことがバカバカしく思えてしまったんです。
それで、思い切って、というよりむしろ自然な流れで、それは浪人を始めて5ヶ月経った夏休みでした。もともと地方出身なので、東京の予備校に通うため入った都内の女子寮の小さな自分の部屋で机に向かっていた時。
「やーめた」とそのまま教科書とペンを放り投げました。
そして、予備校は退学し、そこからはまさにゴーイングマイウェイの道を歩んできました。
ですので、わたしにとっては教科書というものはあまり意味がなく、そこに自分自身が本当に必要としていて求めていることは書いてなかったので、社会の多くの教科書を無視して、自分の声に従って前へ進むことしかできませんでした。
というわたし自身の不器用なライフストーリーがあるわけですが、書物を実際に書こうとする今、「書物」についてもう少し自分の中で、それはどんなものか?どんな付き合い方がちょうどいいか?ということをアウトプットしたいと思います。
情報が圧縮されたもの
先日、書物とはというお話を聞く機会の中で「本は英知のかたまり」ということを聞きました。その著者の方は、5日間である本を書き上げたそうですが、それは実際は17年という時をかけて執筆されたものであるという話でした。
その英知のエッセンスが、「本」、そして「教科書」だと思います。
わたしたちはもしかしたら、あまりにも興味のないことを義務教育を通して無理やり教科書で勉強しすぎてきたのかもしれません。
その時の教科書が、一体自分にとってどれくらい楽しかったのか?どれくらい未来に興味がでるものだったのか?幸せな自分とどれくらい繋がっていたのか?そんな尺度での選択の自由はなく、ただ生きるために必要だから、とりあえず知っておくと損はないからという、「安全」「安定」といった範囲に教育という世界があり、「健やか」「楽しい」「ワクワク」というもっと広い範囲の人生創造ということまでは考えられないような、教育システムがあったのかもしれません。
わたしは古い教科書を捨てた人間です。
教科書というものはどんどんと書き換わっていくものかと思っています。
今の時代、ものすごいスピードで様々なことが変化していますね。
ですので、教科書というものに対する関わり方を変えていくといいと思います。これまではバイブルのように何十年も大切にしていた書物も、もしかしたら今の時代にはまったく合わない古い価値観を伝えているものかもしれません。
言葉というのはエネルギーなので、それが書物になるとそのエネルギーはずっと残るということが起こります。それは未来を生きる自分にとっては良くも悪くもだと感じます。
悪くもというのは、過去の自分の言葉が今を生きづらくさせるのであれば、その教科書は迷いなく捨てましょう。
ですが、今伝えたいことがある。
その場合は、やっぱり言葉にしないと伝わらない。
だから言語化する。
でも、その伝えたいことは3年後にも伝え続けたいことか?10年後にも伝え続けたいことか?100年後にも伝え続けたいことか?
そんなことはわからない(笑)気分屋なので。
そんな重たいエネルギーを残すような書き方自体、もう古いかもしれない。
なので、初めての電子書籍を出版するにあたって、できるだけシンプルで軽くて1度読んだらさっぱり忘れるような、そんな爽やかに吹き抜ける風のような星の本を書いてみたいと、わたしは思います。