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コミュニティデザインを勉強しよう!

こんにちは、星野未来塾です。
今回は、コミュニティデザインを勉強しましょう。

コミュニティデザインに興味がある方以外にも、まちづくり・地域おこしに興味がある方にもぜひ読んでいただきたいと思います。



1.コミュニティデザインってなに?


今回の入口でもあり、また出口でもある問いです。
本質的な部分は後々学んでいくとして、まずは言葉の定義をしておきましょう。

私たちが考えるコミュニティデザインとは、デザインの力を使って、コミュニティが持つ課題解決能力を高めるよう支援することです。

株式会社studio-L

端的に表すと、こんな意味のある言葉です。studio-LのWebサイトより引用させていただきました。

正直、コミュニティデザインを知りたい人は、こちらを見てもらった方が早いかもしれません。

なぜならstudio-Lは、コミュニティデザインの第一人者である山崎亮さんが代表だから。

Webサイトには、山崎さん自らコミュニティデザインを解説している動画もありますし、たくさんの事例も紹介されてます。なので、わざわざ今回の記事をお読みいただく必要はありません。お付き合いいただける方は続けてよろしくお願いします。


2.山崎亮


山崎亮さんは1973年愛知県生まれ。studio-L代表で、コミュニティデザイナーで、社会福祉士。幅広く活躍されている御方です。
もともと建築やランドスケープデザイン(都市、公園、広場等における空間や風景のデザイン)の分野で働かれていましたが、無縁化していく社会の中で必要なデザインは何か考えた結果、地域や人のつながりをつくるデザインをするようになったそうです。

コミュニティデザイン関連の著書も出版されています。
『コミュニティデザイン』(学芸出版社)
『コミュニティデザインの時代』(中央公論新社)
『コミュニティデザインの源流』(太田出版)など

今回は『コミュニティデザイン』(学芸出版社)を教材に、勉強していこうと思います。


3.『コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる』


学芸出版社から2011年に発行されています。
山崎さんがこれまでに手掛けてきたコミュニティデザインの事例が紹介されており、そのノウハウを学ぶことができる一冊です。

6パート構成なので、今回は各パートから1つずつ事例を引用させていただきながら、コミュニティデザインとはいかなるものか、考えていきましょう。


1「つくらない」デザインとの出会い


まず、山崎さんが設計事務所在籍時に「住民参加型のパークマネジメント」に携わった事例です。


公園を「つくらない」 有馬富士公園(兵庫)

兵庫県の担当者は、公園の整備方針を博物館の中瀬勲先生に相談していた。そのときに出てきたキーワードが「パークマネジメント」。アメリカの公園ではすでに実践されている手法で、単に来園者を待つだけでなく、積極的にプログラムをつくりだして来園者を誘う公園の運営手法だ。これを住民主体で進めようという話になった。

 P29

有馬富士公園は、兵庫県三田市の県立公園で、自然体験や子どもの遊び場、また近隣にある博物館のフィールドとして学びの場となる予定でした。
その運営計画の策定に山崎さんが招集され、パークマネジメントを勉強しながら公園運営の将来像を作っていったそうです。

参考にしたのはディズニーランドの「キャストがゲストを楽しませる」というマネジメント手法。

ディズニーランドのキャストはお金をもらいながら歌って踊っている一方、有馬富士公園は県立公園なので入場料を取るわけにはいかない。となれば、キャストは無給であるにも関わらず歌って踊る人たちでなければならない。つまり、ゲストもキャストも公園利用者だと考えるしかないという結論に達した。プログラムを提供するキャストも、プログラムを享受するゲストも、ともに公園を利用して楽しんでいる人たちだと考えることにした。

 P33-34

この考え方ってすごいと思いませんか?
「無給でゲストを楽しませてくれるキャストを探す」だと大変ですが、「公園を楽しく使ってくれるキャストを探す」ならいけそうだし、その結果ゲストも楽しさを分けてもらえるよね、という現実的かつ前向きな思考です。

有馬富士公園では博物館を通じて関係コミュニティに呼びかけ、キャストを集めたそうです。ただ公園を使っていいよ、というだけでなく、コミュニティが抱える課題をヒアリングし、それらも踏まえて運営計画を仕上げたとのこと。

たとえば「会議室代やコピー代がかさむ」とか「道具を置いておく場所がない」とか「発表の場が少ない」とか、そういった課題が公園を1つの拠点として活動できるようになると解決するわけですね。

こうしてやりたかったことができるようになったコミュニティが生き生きと活動することで、有馬富士公園のパークマネジメントは大成功。
キャストがゲストを呼び、ゲストがキャストになってまたゲストを呼び…
開園時は年間40万人だった来園者数が、5年後にはなんと70万人超に!

特に痛感したのはコミュニティが持つ力である。どのコミュニティも楽しそうに活動しているし、そのことが結果的に公園の公共サービスを担っている。そして、公園の来園者数を増やすことに寄与している。公園を物理的にデザインするだけでは、こうした関係性を生み出すことは難しかったはずだ。ハードをデザインするだけでなく、ソフトをマネジメントするという視点を組み合わせることによって、持続的に楽しめる公園を生み出すことが可能だということを学んだ。

P39

山崎さんはこの後同じく兵庫で「あそびの王国」や「ユニセフパークプロジェクト」など、子どもの遊び場づくりを手掛けられました。

こちらの事例も大変勉強になるので、ぜひ本書を読んでみてください。


2 つくるのをやめると、人が見えてきた


続いては、山崎さんがstudio-Lを立ち上げるきっかけとなった事例です。


まちににじみ出る都市生活
堺市環濠地区でのフィールドワーク(大阪)

日本造園学会のワークショップで、チューターとしてチーム(スタジオと呼ばれた)に参加した山崎さん。ワークショップの終点は、フィールドワークによって地域の課題解決を図るランドスケープデザインをつくり提案すること。

「ランドスケープは地域に住む人々の生活の積み重ねによって出来上がる」と考えていた山崎さんは、スタジオのテーマを「生活」としました。

生活スタジオでは、チームビルディングの手法を使ってテーマ型コミュニティを醸成することを狙いつつ、環濠地区でのフィールドワークに取り組んだそうです。

生活スタジオの提案は、ほかのスタジオのものとともに京都で開催された日本造園学会にて発表された。だが、僕たちはどうしても堺市の環濠地区内に住む人たちに向けて発表したかった。生活領域や生活時間の調査に協力してもらった人たちや、フィールドワークで出会った人たちに、僕たちがどんな結論を出したのかを報告しておかなければならないと思ったのだ。そこで、学会発表が終わった後、生活スタジオのメンバーを集めて活動を継続する旨を伝えた。2003年のことである。

P65-P66

山崎さんらはワークショップでの提案を地域の人たちにも知ってもらえるように、お金を出し合って冊子を作りました。このときのチーム名が「Studio:L」。Lは生活(Life)から。これがstudio-Lの源流でした。

その後任意団体Studio:Lでの活動は冊子作りから環濠地区中心部にある商店街のブランディング活動にまで広がりました。2年ほど経った頃、本格的にコミュニティデザインに関わる仕事がしたいと思うようになり、「Studio-L」を立ち上げたそうです。

僕たち自身がまちに入って主体的に活動するのも可能だが、よそ者である僕たちはいつかその場所からいなくなる身である。むしろそのまちに僕たちと同じような感覚を持った人たちを見つけ、その人たちと活動の醍醐味を共有し、持続的に活動する主体を新たに形成することが大切である。その活動は、スキーやテニスを楽しむのと同じであり、「まちのために活動してあげている」のではなく「まちを使って楽しませてもらっている」と思えるようなものであるのが理想的だ。自分たちで少しずつお金を出し合ってでも楽しみたいと思えるような活動であり、結果的にまちの人たちから感謝されてさらに楽しくなるような活動。(中略)Studio-Lではまちの担い手となるコミュニティをデザインするような仕事を展開していこうと決めた。

 P71-72

パート1・公園のキャストづくりと同じ発想ですね。

コミュニティデザインとは、『デザインの力を使って、コミュニティが持つ課題解決能力を高めるよう支援する』ことでしたが、それは「支援する側が楽しんで活動する」のが大前提となるようです。そもそも「支援する」というのは副次的効果でしかないのかもしれません。


3 コミュニティデザイン 人と人をつなげる仕事


パート3では、まちづくり(地域活性)の事例が紹介されています。


ひとりから始まるまちづくり
いえしまプロジェクト(兵庫)

生活スタジオのメンバーだった学生が「まちづくり」をテーマに卒業研究に取り組みたいと言い出したことで始まったプロジェクト。

当時まだ山崎さんは設計事務所に勤めており、Studio-Lの設立前でしたが、この学生(西上さん)の卒業研究を手伝うことにしたそうです。

最初に伝えたことは、まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である、ということ。卒業研究にあたって、どこか有名なまちづくりの事例を調べて、その特徴を整理し、同じような手法でまちづくりを提案するというのはコミュニティデザインの訓練にならない。見ず知らずの土地に突然入っていって、抜群の笑顔とコミュニケーション能力でまちの人たちと会話し、そのまちの課題を聞き出してくることが大切だ。

 P91

西上さんは卒業研究のフィールドとして兵庫県姫路沖の離島にある家島町に通いました。始めは怪しまれた様ですが、島外の大学生という立場は貴重でもあり、役場がつくった「家島再生プラン策定委員会」に参加することができたそうです。そこで山崎さんのアドバイスを元に「まちづくり研修会」の開催を提案しました。

西上さんは学生らしく素直にそれを委員会に提案し、座長の関先生はこれを面白がり、事務局の家島町企画財政課もまたこれを素直に受け止めた。まちづくりにおいて素直なことは大変重要である。

 P94

勉強会、フィールドワーク、他地域との交流、ガイドブック制作などまちづくりの研修を経て誕生したのは、「探られる島」という5か年の計画でした。

探られる島プロジェクトは、島外の人が料金を支払って参加し、2泊3日で家島の魅力を探って写真に収め、それを冊子にまとめるというものです。事前の研修~冊子の完成まで全7日間の行程で、毎年30人ほど参加者が集まったそうです。
3年目は民泊を、4年目は空き家暮らしを、5年目は職業体験を…というように徐々に島の深層に入り込み、家島で生きることの魅力を体感できるプロジェクトでした。

このプロジェクトで集められた写真は、200種類の絵はがきとなって家島と大阪市内の2か所で展示されました。

来場者には、気に入ったハガキを2枚ずつ持ち帰ってもらうことにしたところ、家島で品切れになるハガキと大阪市内で品切れになるハガキはまったく違っていることが明らかになった。家島で品切れになるハガキは、神社や港や岡の上から眺める風景の写真。大阪で品切れになるハガキは、畑にポツンと置かれた冷蔵庫や波打ち際に放置された採石用の巨大な鉄の爪。この結果を目の当たりにして、島の人たちが「外の視点と内の視点」の違いを認識するようになった。

 P103

補足ですが、家島では屋内で使わなくなった家具を屋外で再活用することがよくあるそうです。島は廃棄物処理費用が都心部より高いため、捨てずに使い回すとのこと。プロジェクト参加者は独特の魅力を感じるその風景を写真に収めますが、島の人にとっては『恥ずかしい写真であり、汚い写真であり、どこにでもある風景』でした。(※本書にはこの辺りの話も記述されています。)

このプロジェクトのとき家島町は、島の主幹産業を採石業から観光業に移行させようとしていました。

観光業としてどんな方向性を目指すべきかという相談を受けた僕は、テーマパーク的な整備によって一気に人が押し寄せることになると、その種の人たちは一気に飽きて島を訪れなくなることになるため、じわじわと来訪者が増えるような仕組みをつくるべきだと提案した。100万人の人が1度だけ訪れる島ではなく、1万人の人が100回訪れたくなるような島にすべきであり、コアな家島ファンをどうつくるかが重要だと考えていた。

P103-104

探られる島プロジェクトで家島の深層にある魅力に触れた参加者はまさにコアな家島ファンですね。
島外の人の目線を知った家島にとって、山崎さんの提案は納得できるものだったはずです。

山崎さんはその後家島で、地元おばちゃんたちを主とするNPO法人の設立および活動(特産品の開発や地域の情報発信、空き家ゲストハウスなど)にも携わりました。

こうしたプロジェクトを推進しつつ、地元住民を組織化し、自分たちの力でプロジェクトを運営するためのノウハウを伝え、財源の生み出し方を検討し、他地域との連携体制を確立する。その結果、自立したコミュニティを生み出すことができるとともに、そのコミュニティが僕たちの仕事を引き継いで、さらに発展していくことになる。感覚的ではあるが、その期間はおおむね5年間ではないかと感じている。5年間で僕たちは地域からいなくなる。

 P121-127

一気に盛り上がっても、何かのきっかけで一気に盛り下がる可能性がある。時間をかけて着実に、安定した取り組みが必要なんですね。

コミュニティデザインにおいて、「ゆっくりであること」は大切なことだ。

P123

さて、これでパート3まで終わりました。まだ半分残ってますから、疲れた人は休憩を。

ひとやすみ



4 まだまだ状況は好転させられる


では次に、対立構造がある中でのコミュニティデザインです。
怒りや不満、不信感が漂う状況で、何をどうデザインするべきでしょうか?


ダム建設とコミュニティデザイン
余野川ダムプロジェクト(大阪)

ダム建設が中止になった話です。
地元の人たちは、ダム建設のために田畑や里山を手放す決断をし、その代わり道路の拡幅や道の駅建設といったハード整備をしてもらうことになっていました。

ところが、突然の建設中止。
これからの時代におけるダムの意義が再検討された結果だそうです。
ハード整備事業も、これに伴い中止に。

当然地元の人々は納得できません。国土交通省と地元住民との間に大きな対立が生まれてしまいました。話し合いの場は大いに荒れ、議論は平行線。

そんな状況を打開できないか、山崎さんに声がかかったそうです。

別の策を練らなければならないと感じた。会議の議事録を読み込んだり、紛糾する話し合いの場で内容をじっくり聞いているうちに、ひょっとしたら主張している人たち自身も、本当のところはもうダム建設の時代ではないと感じているんじゃないかという考えが浮かんできた。(中略)会合で役人に怒鳴り散らかしていた人も、自宅に戻れば奥さんから「もうダムの時代は終わりでしょ。いくら役人さんを責めても無駄じゃないの?」と言われているんじゃないか。本人も「分かっているけど役割だから仕方ないだろう」と言っているのかもしれない。

P157

山崎さんは、地元住民も引くに引けない状況になっていると考えました。

そんな、妄想にも似た仮説を立ててみると、僕らが仲良くなるべき対象が見えてきた。地域の奥さんたちである。

P158

まさかの着眼点です。国土交通省へ抗議する役割を担っているのは地元の男性陣。ならば奥さんたちにアプローチして雰囲気を変えてみようとしたんですね。

山崎さんは、地域の奥さんたちと友達になる専門家として、学生を送り込みました。

学生はフィールドワークによって奥さんたちを見つけ交流し、地域の魅力を教えてもらったり一緒に探ったりして、地域が持つ可能性を伝えました。何度も通い、地域行事にも参加するうちに、地域の将来について本音で話し合える関係になったそうです。

学生は、本人たちが気づいていない強力な力を持っている。中立な存在を保つ力である。ダム建設による利害とは関係なく、本当にいいと思うことを素直にいいと言える中立な立場としての学生は、地域の人たちとの信頼関係を築きやすい。この中立さと純粋さが、地域の人たちに本来大切にすべきものやことを思い出させるのだろう。

P169

学生と奥さんとの新たなコミュニティが糸口となり、また新たなつながりができ、NPO法人が発足し前向きな地域づくりが始まり…

最終的には対立していた国土交通省・地元住民含む関係主体が集まってワークショップを開催できるようになったそうです。

※経過を割愛してますので、気になる方は本書へ。

意見が激しく対立しているときに、両者の間に入ってつながりをつくりだすのは難しい。直接つながりをつくりだすべきではない場合もある。そんなときは別のつながりをつくりだし、それを丁寧に醸成することによって元の対立構造を緩和するという方法がある。

P167

ちなみに、山崎さんは最初に「地域住民も本音ではダムの時代ではないと感じている」と仮説を立てていましたが、結局これが正しかったのかどうかは不明のままだそうです。

でも仮説を検証するために活動していたわけではないので、これでいいのだと思います。
課題を解決に導くため、時には都合のいい仮説を切り口にするのも1つの手だということです。


5 モノやお金に価値を見出せない時代に何を求めるのか


次はイベントを契機にしたコミュニティデザインの事例です。


新しい祭 水都大阪2009と土祭(大阪、栃木)

山崎さんはちょうど同時期に2つのイベント「水都大阪2009」と「土祭(ひじさい)」に関わることになりました。

水都大阪2009…大阪の中之島を中心として開催される52日間のアートイベント

土祭…栃木県益子町中心街で開催される16日間のアートイベント

どちらのイベントでも山崎さんの仕事は、市民ボランティアスタッフでチームをつくり、イベントを支えられるようにマネジメントすることでした。

また、両イベントとも目的は祭り開催そのものではなく、祭りを通じてその後のまちづくりの担い手を育てることでした。

水都大阪2009も土祭も実行委員会形式で進められ、数百名の市民サポーターの力を借りて開催。
しかしその結果には、大きな違いがあったようです。

コミュニティデザインの方法はほとんど同じだったにも関わらず、目的のひとつである事後のまちづくりへの展開がまったく違ったのだ。水都大阪は結局まちづくり活動へとつながらず、一方の土祭はすでに活動団体が立ち上がり、コミュニティカフェを運営しながら中心市街地を元気にするための活動を展開している。

P208

山崎さんは水都大阪2009でまちづくりへの展開がうまくいかなかった原因について、行政参加のあり方に注目しました。

水都大阪2009では、イベント終了後も活動を希望するチームはあったそうです。
しかし、大阪府、大阪市、経済界などで組織された実行委員会はうまく話を進められませんでした。
大都市の中心部、水辺という規制の多いエリアで、予算や責任の所在などを話し合っているうちに、サポーターの熱は冷め、実行委員会自体も解散期日を迎えてしまったとのこと。

「市と府と経済界との関係調整が難しくて」というもっともらしい言い訳を聞くたびに、時代の転換期には大都市から新しいことなんて生まれないのかもしれないという気分にさせられる。僕が知る地方の基礎自治体は、危機意識がとても高く、変化への対応能力が高い。行政と市民とが本気で協働しなければ、目の前にある課題を乗り越えることができないのが明確だからだ。教育も福祉も産業振興も限界集落も、行政だけで解決できた時期はとっくに過ぎている。だからこそ、住民との協働が不可欠なのである。

P219

本書が発行されたのは2011年。10年以上前の提言ですが、いまだに行政のあり方が住民参加のプロジェクトを停滞させている事例が後を絶たないように感じます。


6 ソーシャルデザイン コミュニティの力が課題を解決する


いよいよ最後のパートです。


社会の課題に取り組むデザイン
+designプロジェクト

山崎さんはキャメロン・シンクレアという建築家と出会います。

人口減少、少子高齢化、中心市街地の衰退、限界集落、森林問題、無縁社会など、社会的な課題を美と共感の力で解決する。そのために重要なのは、課題に直面している本人たちが力を合わせること。そのきっかけをつくりだすのがコミュニティデザインの仕事だと考えるようになった。
そんな活動を世界中で展開しているのがキャメロンだった。

P235

山崎さんはキャメロンと情報交換をしながら、民間企業や市との協働により社会の課題を解決するためのデザインに取り組みました。

震災が起きた後の避難所ではどんな課題があり、どう解決すればよいか?

現代の子どもの放課後にはどんな課題があり、どう解決すればよいか?

人々が社会的な課題だと捉えていることは何か?

3つ目については、ツイッター(現X)で課題を募集し、ツイッター上でワークショップを行い、そこで整理された課題を解決するためのデザインを募集するというプロジェクトを実施したそうです。

優秀作品として選ばれたデザインは上記サイトで見ることができます。

山崎さん曰く、社会の課題を解決するためのデザインには2つのアプローチがあるそうです。

1つは、直接課題にアプローチする方法。
例えば、水道のない地域に、手押しで移動できるローラー状のタンクをつくること。水がないという課題を、効率的に水を運べる道具で解決します。

もう1つは、コミュニティの力を高めるようなデザインを使ってアプローチする方法。
例えば同じく水道のない地域で、地下水をくみ上げられる回転遊具をつくり子どもたちが遊ぶことで水が貯まるようにすること。これは子どものコミュニティが集まって遊ぶことを促すデザインであり、結果的に水も得られる、という方法です。

コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。

P247

「コミュニティデザインってなに?」

最初の問いに対する答えは、まさにこれですね。

大切なのは、地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるというところだと思います。

そのために
きっかけをつくったり、
自分たちが楽しんでみたり、
可能性に気づかせたり…

直接的ではなく、時間をかけてゆっくりと。

ここまで事例や山崎さんの考え方を学んできて、
コミュニティデザインとは何か、表面的な言葉の意味ではなくその中身が、少しだけ掴めたような気がしませんか?


4.おわりに


長くなってしまいましたが、今回はこれで終了です。

山崎亮さんの『コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる』はコミュニティデザインの事例がたくさん紹介されていて、とても勉強になる一冊です。

気になる方はぜひ読んでみてください。

山崎さんの著書にはコミュニティデザインについてより学べるものがまだまだありますので、また別の回で教科書にさせていただこうと思います。

では、お疲れ様でした。

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