星の詩
先日、25回目の誕生日を迎えました。
別に自分なんかの誕生日をめでたいものだとは思ってはいませんが、僕を客観的に表す数字の一つであることは間違いないので、節目として楽曲を投稿しました。
大学に入学した18歳から、卒業までの24歳の間はただ狭く暗い世界に閉じ込められていたような感覚で、年齢を重ねたという実感がありません。
ですが、もう25歳になりました。
少し僕を彩るエピソードでも語ります。
・コンビニのアルバイトで油を扱っている途中器具を落とし、顔面火傷。パニックのあまり冷凍庫で顔を冷やそうとし、店長に怒られる。
・大阪での面接に向かう途中、乗る電車を間違えて滋賀県に。いつも乗っているのに1時間半ほど経ってから気がつく。
・人前で歌う機会を頂き、練習をしていたが本番の1週間前に作成したカラオケ音源の全データを誤って消してしまう。
まだまだありますが、出し惜しみさせていただきます。
話を戻します。
非常勤として働いている職場で、業者の方から年齢を聞かれ、『25になります。』
と答えたところ、『おお、結構いい歳なんだね』と驚かれました。
いい歳ってどんな歳なのか 考えてみます。
おそらく、一般的に『成熟していて自立して生活が成り立っていて、結婚なども現実的』な歳のようなニュアンスかな。
だとしたら僕は何一つ当てはまりそうにはありません。
大学を1年半留年し、何とか卒業した後へろへろでアルバイトとして週4日事務員として働いている。
音楽の収入など微量で、同時期に活動を始めたアーティストよりも単純な数字の結果が出ていない。
才能もないのに補うだけの努力もしていない、どうしようもない25歳のアダルトチルドレンです。
そんな僕が、この節目に今生きている自分を100%表現した楽曲を制作しました。
モノ好きな方、そして自分自身のためにここに想いを記します。
僕はある種、『夢依存症』とも言えるのかもしれません。
夢 とは、アーティストとして生計を立て生きることです。
僕の作る歌には、今までの生涯で得た無数のきめ細かな感情、知識、技術、努力、才能が溶け込んでいます。
社会で自己主張ができず、『歌詞』『メロディ』『伴奏』という道具に頼れる『音楽』という場所でのみ僕は僕を全力で表現できます。
なので、僕の作った歌を認めてもらうことは僕自身を認めてもらうことに他なりません。それはあの人すごいなぁ。程度の印象ではなくて僕が考え、精査し、吐き出した本当の僕が『この世界で受け入れられた』ということなのです。
もはや音楽制作は自分にとって、3大欲求と並ぶほどに必要不可欠なものであり、僕を僕でいさせてくれる唯一の生きがいなのです。
それはもう病的なレベルで、夢を叶えることが生活の中で1番大事なものであり、僕を明日へと導く生きる理由。もはや依存症です。
それだけ想いを馳せているものが現状、思っていたよりも全然上手くいっていません。なんならそれだけ大事だと思っているのに、理想より頑張れていません。そら死にたくもなりますわ。
追い詰められている僕はもう誰にでもなく願いました。幸せになりたいと。
そんな愚直な思いを歌い上げた曲になっています。
僕はふと気がついてしまいました。
DTMというパソコンを使った編曲作業は、自分にとって言い訳だったことに。
音楽活動をしているんです。と他人に言うことが怖くて、パソコンを使って編曲をしているんです。と格好をつけて。
依頼をいただいてお金を頂くことで僕は音楽でお金を得られるんだ。と一時の安心を得て。
プロの編曲家やTwitterでお見かけするボカロPさん方を見ていて、僕が本当にやりたいこと、やるべきことを考えさせられました。
僕はギターを始めてすぐに曲を作り始めて、1年足らずでDTMに手を出しました。
きっと『色んなことをやっている』人になりたかったんだと思います。ちょっとパソコンのソフトを使うと簡単にすごいね と言われます。
改めて自分が何をやりたいのか、何をやっている時間が1番楽しいのかを考えてみました。
音楽家としてこうあるべき、自分の理想、色んなものを取っ払って、ただ純粋に何をしている時が1番楽しいかなと。
答えは簡単でした。歌詞を考えてただアコースティックギターと共に歌うことです。
散々夢に依存している、自分を表現する大切な場所と言っていましたが、それを『こうあるべき』という固定観念で荒らし、自分自身を苦しめていました。
僕の曲を聴いてくださる方の多くが、声 と歌詞を褒めてくださります。
自身の楽しさや他者の評価、色んなものを鑑みて僕自身の武器はもう既にわかりきっていたはずなのに、ギターを弾いて歌を作るのが好きでそれこそが自分の武器であることに気がつくのに5、6年かかりました。
きっと僕はこうやって、回り道をして不正解を知ることで正解を見つけていくのだと思います。
今回投稿した『星の詩』は、ギターの声のみで完成させました。今まで以上に、一音一音拘って作り上げました。ギターの伴奏の音を全て覚えているほどです。
2番のBメロで、
『僕ごと消せと願うほど やがて来る明日を諦められない』
というフレーズがあります。
普通逆ですよね。消せと願うなら死にたいんじゃないのかと。
ですが、願う という言葉は自分ではなく別の対象に対してする行為です。僕の存在ごと消して欲しい。自分で自分を終わらせる勇気はない。
理性では苦しみから逃げて死にたいと思っていても、本能がそれを許しません。怪我をすれば消毒をするし、お腹が痛ければ治そうとします。今日も蓄膿症の治療で病院に行きました。 死にたいはずなのに生きようとする。
きっと僕は誰よりも生きたい、生きることに執着しているからこそ、上手くいかなくて死にたいと感じるのかなと思います。
なんの文章を書いているのか、あまり分からなくなってきましたが、僕という人柄と楽曲に込めた思いが少しでも伝わればこのノートに意味があると思います。
今回投稿して、いつも以上に感情的なコメントを頂くことが多いです。
きっと日々生きる皆様も、悩み苦しみそれでも進み続けていたり、休憩していたりしているかと思います。
真面目であること、優しいこと、繊細なことはこの人間社会で必ずしも良い風に働くとは思いません。損をすることの方が多い気もします。
ですが、それでもこうやって精一杯もがいて歌っている人間がここにいます。僕が大声で吐いた弱音で少し気が楽になったり。疲れた心を少しでも癒せたり。そんなことがあれば、僕は今日まで生きていて良かったです。
一時期占いにハマり、様々な有名占い師の元を訪れましたが、今年はただ悩み苦しみ、2年後27歳の年に大成功するらしいです。占いというものを元々信用していませんでしたが、統計学と聞いてなるほどと思いました。あと2年このサバイバル社会で生き残れるか、どうなんでしょうか。
よければ聴いてやってください。星の詩。