自分の機嫌は自分でとらなくちゃだめ?
なんだかなにもしたくない
やだやだやだーと駄々をこね
地団駄踏んだりしたいような
そんな時はありませんか?
おかあさーん、おとうさーん
ママー、パパー、誰かー
子どものように声を上げ泣きたいような
皆さま、そんな心境の時はありませんか?
私は立派な中年ですが
誰かに、よし、よし、よしって
頭を撫でてもらい体をさすってもらい
ポンポンって大丈夫だよって
してもらいたいときがあります。
いつからか
自分の機嫌は自分で取る
そんな言葉を聞くようになりました。
いつからか
メンヘラとか病んでるとか
空気を読むとか読めないとか
自己責任とかなんだとか
そんな言葉が使われるようになり
みんなが気持ちよく暮らせるよう
暮らす場所のマナーや秩序を守り
その社会に適した言動を大人としての振る舞いを
私たちは求められ普段からこなしています。
悩み苦しく地団駄ふみたいときも
感情をコントロールして
おだやかに人には優しく親切に
適度に運動したり仕事や趣味や
家族や友人とともに明るく人生を楽しもうと
まわりを思い自分を律し幸せを目指している。
だけど誰だってできない時ダメな時があり
いくつになろうが「ちゃんと」できない時があり
そんな時も自分の機嫌は自分で
取らなくちゃダメなのか?
例えばひきこもり、自分を休め
回復し過ぎ去るのを待ったり
体を動かしたりお散歩したり旅に出たり
自分で解決していく方法はたくさんあるけれど
たまには素直にまわりに
なんだか変なの苦しくてお話し聞いてと
甘えてもいいんじゃないかと私は思います。
そうなんだね…苦しいねと慰めてもらい
機嫌をとってもらたっていいじゃない??
友人やパートナーや子どもや
親やきょうだいや親戚や近所の人にだって
たまには甘えてもいいじゃない??
意外に人は頼られたらうれしいし
心を見せてくれること自体が
うれしかったりします。
心をひらき交流することが
感動や友情や愛や信頼に繋がり
人生の大きな喜びなんじゃないかと思うから。
返報性の法則があって
ひとは何かしてもらうと
お返ししなくちゃと思うようで
好きと言われたら好きになったり
もちろん逆もそうですが…
優しくしたら優しさが返ってくる
心を開けば開いてくれる
信頼したら信頼がかえってくる
自分が発したものが自分に返ってくる
そういう意味でやはり自己責任なんだと思うけど
そんなに大人になりきらず
子どものように無邪気に
自分の機嫌をまわりにとってもらっても
たまにはいいじゃないかと思うこの頃です。