見出し画像

憧れの街へ ー 地方から東京へ、私が選んだ道

 私は、宮城で生まれ育ち、祖父母が関東にいたことで、東京に強い憧れを持ってました。
 しかし、その夢は現実の厳しさやコロナ禍で、一度は遠ざかりました。
 そんな中で、経験した地方での生活、仕事、そして心の疲れが私を再度見つめ直す大きなきっかけになりました。
 この話は、私が東京で挑戦する過程とそこで感じたことをまとめました。
 誰かの勇気の後押しになればいいなと思います。

1. 東京への憧れと不安

東京は、宮城に住んでいた私にとって、まさに憧れの場所だった。最先端の技術、美味しい料理やスイーツ、有名な展示会やイベント。検索すれば何かしら見つかる場所。それが東京。私にとって、全てがキラキラして見えた。でも、心の中には「行きたい」という気持ちと同時に、「私には無理だ」という恐れも存在していた。

2. コロナ禍で遠ざかる上京の夢

大学生の就職活動が始まる頃、コロナが流行し、東京に行くことがまるでタブーになった。東京に行くなんて怒られる時代が来るなんて思わなかった。そんな状況を目の当たりにした私は、上京の夢をあきらめかけた。あの頃の私は、ただただ弱かった。

3. 地元での平穏な日々

その後、私は地元で就職した。仕事をして、休みの日には友達と遊び、夜は飲んで、そんな繰り返しの日々。でも、それがそれで楽しかった。変わり映えのしない生活に、特に不満もなかった。

4. 増える仕事と心の疲弊

そんな平穏な日常が一変したのは、会社での仕事量が急に増え、残業が続くようになった時だった。疲労がたまると、人は余裕を失う。ある日、同僚たちのストレス発散の対象が私に向かい始めた。最初はうまく交わしていたけれど、徐々に心に刺さるようになっていった。

5. 職場での孤立と絶望

そして、私は「生きている意味」を考えるようになった。逃げる気力もなく、ただ毎日、暴言を浴びる日々。そんな中、私の誕生日がやってきた。そこで、運命の人と出会った。その人は、私に新しい道を教えてくれる存在だった。

6. 運命の出会いと心の支え

希望を失い、全てに対してマイナス思考になっていた私を、その人は支えてくれた。「世界は広いんだよ」と言ってくれた。その当たり前のことすら見えなくなるほど、私は疲れ果てていた。

7. 友人の裏切りとさらなる傷

そして、そんな時期に、友達から信頼関係を揺るがすような言葉を言われた。私の心はさらに傷つき、消えたいと強く思うようになった。

8. 東京への衝動と決意

そんな絶望の中で、ふと思い浮かんだのが「東京に行きたい」という気持ちだった。何もかも変えたかった。新しい世界を見たかった。一刻も早く、今いる場所から出たかった。

9. 反対と葛藤

親や友達からは大反対を受けた。「この歳から東京に行くなんておかしい」「落ち着くべき時期だ」「何を成し遂げたいの?」そんな言葉が飛んできた。宮城に住んでいる人からしたら、東京は目標があってそれを叶える場所になっているからだ。全て、私を思っての言葉だと分かっていたけれど、その時の私には耐え難かった。

10. 勇気をもらいに東京へ

だから、東京に逃げて、あの人に会いに行った。勇気をもらいに行っていたんだと思う。

11. 転職活動と上京の実現

その後、必死に転職活動を続けた結果、ようやく親や友達も応援してくれるようになった。そして、私はついに東京へと上京した。

12. キラキラした東京とその裏側

東京で暮らし始めて気づいたことがある。東京はキラキラした場所だけど、同時に闇もある。人は干渉してこないけれど、みんな必死に自分の人生を生きている。次々と変わっていく進化に着いていかないと、あっという間に置いていかれる場所だ。

13. 自由と孤独の狭間

人は多いけれど、知っている人とすれ違う確率は驚くほど低い。個性的な服を着ていても、誰も変な目で見ない。そんな自由さが、私にとってはとても生きやすかった。

14. 地元の干渉が持つ優しさ

でも、今思うと、地元での人との干渉は、もしかしたら「優しさ」だったのかもしれない。「〇〇ちゃんは何してるらしいよ」「〇〇ちゃんはこうらしいよ」という噂話が嫌いだった私。人から干渉されることが嫌で仕方なかった私。でも、今その干渉が、地元の人々の優しさの表れだったと感じることもある。

15. 新たな挑戦と故郷への郷愁

東京で暮らし始めて、私は新しい自由と挑戦を手に入れた。でも、時々、地元のあたたかさが恋しくなる。今の私は、その両方を心に抱えながら、前に進んでいる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?