所詮、キレイゴト
私には子供がいない。
毎日毎日毎日毎日、テレビでは
流行り病の報道がなされている。
大人へのステップ
人生の岐路に立っている人たちは
「なぜ、このタイミングで?!」
と、声を大にして
何なら拡声器でも使って
叫びたいだろうけど
心の中だけで
そっとつぶやいているのかもしれない。
そんな、叫びたい人たちの中に
「お母さん」の存在を忘れてしまう。
私の腹心の友は
昨年お父様が旅立たれ
同時にお母様の介護をしている。
子育てをしながら。
地元の同級生の子供は受験生で
心臓と胃が
何個あっても足りないと
訴えていた。
だんなさんがテレワークで
3度のご飯を
準備しなければならない状況で。
彼女たちは、自分の時間を確保して
心に栄養をあげたくても
先に身体のエネルギーが切れて
横になり、眠り、自動的に次の日を迎える。
気分転換にテレビを見ても
内容は流行り病の分析だらけ。
なのに、私ったらついうっかり
彼女たちが「お母さん」を担当していることを忘れて
触れ合おうとする瞬間があるのだ。
うわー!
今のご時世を
把握しているかのような自分に呆れ
鬼気迫る「現実問題」の無い私は
何様なんだよと恥じ
どれだけ想像力をたくましくしようとも
現在の自分には
鬼気迫る「現実問題」が無い
幸せ者なのが現実だと
やっとここで思い出せる。
「イイじゃん、アンタには子供がいなくて」
腹心の友、地元の同級生が
心の中で思っていたとしても
私に言葉を発しない
素晴らしいお人柄なのが
何よりの幸いだと、思ってしまうのは
やっぱ、キレイゴトだよな
と思いを馳せるのが
私の「現実問題」である。