|letter|9月のはじめのひとりごと
キェシロフスキ作品を観ていました。
作り手の眼差しの、温度や純度のようなものって、やっぱり感じられるもので
結局は(誰の作品であっても)そこが好きなのだろうな、と感じたりします。
映し出される映像に宿る、映し出す眼差しの、温度。
そうした何かを感じながら。
わたし自身の眼差しの温度を、感じ直しているのかも、しれません。
*
時間のない場所に、ぽんと置かれた、ひとつの《発露》。
時間のない場所で、ただただそうある、発露と。
それを《物語》としてひろげ、そのなかで、時間を追って、読んでゆく、ひとの、ひとらしさと、そのさまざまなシーンと。
うんうん、そうだねえ、と
しずかに微笑む、夕暮れどき。
どちらだって、結局は、愛でしか、なく。
すべてすべて
ふわりほどけて、さらさらになって
もとの場所、まっさらな海へ、とけてゆく。
そして、また
まっさらな海から、起こってゆく。
いつも
いつも
何度でも
何度でも
ずっと
ずっと。
よき9の月を。
いつもありがとう。
with love.
sui
at
hoshimiya jiku