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発達とは?
はい毎度どうも
今回は発達の話。
個人的の最も関心のあるもので、人間の意識の拡大とか発達ということを個人的な解釈を織り交ぜながらお話したいと思います。
別のこれを読んでもモテるようにならないし、お金持ちにもなれないと思いますが、それ以上の生きる意味やペシミズムからの脱却ははかれるかもしれないので、生きている意味がわからんよという方には参考になるかもしれません。
ではいきましょう。
・発達とは共同体意識の拡大
まず発達とは何でしょうか?
発達と聞くと体の成長とか、進化とか、能力が身につくとか色々イメージがあると思います。
それはそれで間違いではないのですが、ここでいう発達とは、人間の脳の発達であり、そして意識の発達です。
もうちょっと言えば、認識力自体の発達であり、それは認識できる物事の範囲や深さの拡大です。
わかりますかね?
僕らは生まれた瞬間は皆赤ちゃんで、赤ちゃんの発達レベルでは基本的に他人と自分の区別がなく、極端に言えば世界には自分しかいません。
だから他者とのコミュニケーションも一方的で、腹が減れば泣くし、うんちでオムツがぐちゃぐちゃになっても泣くしで大騒ぎです。
母ちゃんが忙しいかとか今ちょっと機嫌良くないなとかそんなん関係ありません。
だって認識できないから。
そのから成長し、周囲の人間を自分とは違う他者として認識できるようになり、ちょっと気を使うようになるわけです。
ああ、母ちゃん今ちょっと忙しそうだし、俺うんこ漏らしちったけど今は間が悪いな。もう少し機嫌いい時に言わないとどやされるなあ・・・とか考え出すわけですね。
そこからまた発達していき、今度はちょっと自意識が肥大化するのでヤンチャ盛りになります。
ちょっぴり悪いことをしてみたりとか、悪戯したりとか、目立とうとしたりとか、自己主張によりアイデンティティーを確立しようとするわけです。
でもこの段階の自己主張はレベルも低いし、他者を思いやれるほどの認識力もないので、迷惑をかけてしまったり、的外れなことをしたりしてしまいがちです。
人生における黒歴史が多くの場合ここで量産されるわけですね。
そこからさらに発達すると、行きすぎた自己主張は鳴りをひそめ、社会と調和して生きていくようになります。
ちゃんとルールを守り、良き市民としての生き方を始めるわけです。
そこもある程度すると、今度はまた自己主張の段階です。
でもそれは以前とは違って、社会との調和が前提なので、仕事や勉強で成果を上げて、人に貢献することで自分の価値を実感したり、社会的な評価などで真っ当なアイデンティティーを形成しようとします。
とまあ、こうした感じで僕らは発達を続けるのです。
これはそのまま共同体意識の拡大でもあるわけです。
まず自分だけから始まり、周囲の家族、そして学校や地域の人々、いずれは社会の中で会社や様々なコミュニティーに所属していき、民族や国家というところへの共同体意識を根付かせ、最後は人類や世界全体へと拡大する。
そう、発達とは、共同体意識、仲間と呼べる人々の範囲や深さそのものとも言えるんです。
・最も発達した人々
では発達し続けると最後はどうなるのでしょうか?
歴史上の人物で例えを出しましょう。
史上最も発達した人類は、個人的な考えですが、お釈迦様やキリストさんでしょう。
彼らに共通するものは、自他の区別の存在しない意識レベルです。
自他の区別がないとは、つまり自分と他者を完全に同一の存在として尊ぶことができるということです。
例えばキリストさんは人類の罪を背負い十字架に磔になりました。
キリスト教の方はこれを"自己犠牲"という最も尊い行為だと教わると思いますが、個人的には違うと思います。
お釈迦様の場合は捨身飼虎(しゃしんしこ)というお釈迦様の前世だかの逸話で、飢えた虎の親子のために崖から身を投げて自分の体を食べさせてその命を救ったというものがあります。
これも多くの場合、自己犠牲の尊さという文脈で語られることが多いように感じます。
ですがこれらの行動は、彼らの発達レベルが高かったことを考えれば、自己犠牲ではなく、単に自分のための行動だったとわかるはずです。
キリストさんは全人類全ての人に共同体意識持っていました。しかもかなり深いレベルです。
人類は全て兄弟であり、自分そのものであると。
なので人類の罪を背負い磔になり人類を救済することは、つまりは自分を救うことになるのです。
お釈迦様も同じだったのではないかと思います。
お釈迦様の場合人類どころか生きとし生けるもの全てとの深い共同体意識があったので、飢えて死にかけている虎の親子もまた自分そのものであり、彼らを救うことはより多くの自分を救うことになると思ったのではないでしょうか。
全てその完全な共同体感覚を持った人にとっては、自分という一人の肉体を持った存在はそこまで重要ではなくなるのかもしれません。
もちろん大事にはしているでしょうが、肉体を持った自分を失うことで、他のよりたくさんの人や生き物が生き延びれるのなら、それは結果的により多くの自分が生きることにつながるのだから、そっちの方が良くね?という感覚なのかもしれません。
・今日からできること
ちょっと話が抽象的過ぎたかもしれないので、今後またこの発達は意識の拡大などについては補足などを記事にして行きたいと思いますが、とりあえず今後人類はもっと発達していかないと滅びちゃうかもしれないので、今日からできるちょっとしたことを紹介して終わりにしたいと思います。
まず自分の今の発達レベルを知ること。そのためにインテグラル理論という本を買って読む。
以上です。
ではまたいつか