ハイキュー!!の日に寄せて
祖父も、祖母も亡くなってしまった。
正確には父方の祖父と母方の祖母なので、家族がこういっぺんに、という訳ではなかったのだが。
祖母が亡くなって慌てて喪服を取りに行った先で祖父も亡くなってしまったという、それはそれで有り体に言って中々の修羅場。
まだ、風がうら寒い、三月のことだった。
その当日のことだけはよく覚えている、夢であればこんな悪夢から早く醒めてくれというのはこういう気分だったのかとわかった日。
ギャン泣きする自分の頭を、俯瞰の別カメラのように自分自身が捉えていた。
映画でよく観るあの視点、実際にはこんな感じなのかともう片方の自分が感情なく思う。
コマ送りのように、気味悪く時間が引き延ばされていた、長い長いあの日。
そこからの二週間は喪服を着ている時間の方が長かった。
通夜、告別式、初七日、
また、通夜、告別式、初七日‥
忌引きって何日まで取れるんだろう、お線香の匂いさえ麻痺してきてしまった頭で考える。
どこまでも続く黒だけが、視界に残っていた。
その一連の色々ですっかり疲れてしまって、確か仕事を辞めたのかもしれない、とにかくそこからは無気力にただ家にいた。
だから、その日は、日曜の夕方5時なんて中途半端な時間に家にいれたのだ。
気づくと季節は4月まで進んでいた。
もうどこにも寒さの気配は残っていない、乾いた、優しい、寂しい春の夕方だった。
その日は本当に何にもする気になれなくて、当時流行っていた中身がビーズでできたソファーに、何時間も乱暴にただ身体を預けていた。
外からはバイバイ、また明日ね、の声が聴こえる。
今日はお休みで、でも遊んで、明日はまた、学校で。
まだ明るい外、けれどもこれからゆっくり暗くなっていくんだろう、夜に入るまでに今日の空ならきっと美しい夕暮れを描く。
その、妙に甘い許された感じが耐えられなくて、変わらず美しい世界から少し外れてしまった自分が嫌で、ただ何となくテレビをつけた。
静かな夕方に不似合いなジャジャーンと言う音が響く。
たまたま点けたテレビの中では、今日からだというアニメが写っていた。
所々ぼかしていますが、わたしとハイキューの出会いです。
実は原作もパラパラと読んでいたんだけど、うっかりはまったのはアニメから。
漫画はとにかく好きなので、多分どのタイミングで読んでもこんな傑作ハマっていたんだろうけど、この作品にはこっぱずかしい言い方をすれば救われた部分があるので‥
原作が終わったこのタイミング、そしてハイキューの日、に、どうしても残しておきたかった。(間に合わんかったが)
とにかく、生きようと思った。
生きてる側のわたしはがむしゃらにでも生きてやろうと。
あのうすら汚い体育館の壁とか、声が反響する感じ、夕暮れの背景の美しさとか、ノスタルジーをまとめてしばってプラネタリウムかなんかにして頭の上からふりかけにきたのかな?ってくらい圧倒的な作品を前にして、もう自分は学校には戻れないように時間だって戻らない、だから悲しいけど進むしかないって、脳とか心とか理論や感情じゃなくて脊髄に叩きこまれた感じだった。
もう、あの日に片足残したままぐずぐずと腐っていたわたしに、脊髄にがつんとくる刺激を与えてくれたくらいで十分だったんだけど、ハイキューはそんなとこで終わるような作品じゃなかった見縊ってた。
最終回までずーっと助けられっぱなしだった。
悩んだら大体答え書いてある。そろそろ付箋貼る?
フリーランスは全員ハイキューを読めって言う恐ろしく乱暴な記事を、そのうち、書きます。書く。書くぞー!
ぼかしているとはいえ自分のトラウマとか、書いてよいのかわからないところもあって、年単位でずるずる書けなかったこと。
原作が終わった、でもまだアニメは続くこのタイミングしかなかった。
ありがとう、ハイキュー。
これからも読み続けます。