アップダウンの激しい春。
寒くてマフラーを首に巻いて過ごした日。
何日か前は真夏日で25度まで上がっていたはずなのに、今日はまた凍えるような寒さに引き戻されてしまう。この季節になると、付き合っていた彼のことを思い出して落ち込む。アップダウンの激しいジェットコースターみたいな付き合いに翻弄され、心底疲れてしまった恋愛なのに、嫌いになってとっとと忘れてしまえたら簡単なのに。ジクジクと生傷は塞がらず、荒療治も試してみたけれど、季節を何度か超えてみないと痛みは薄まらないまま。
私が誰かを好きになるのは、理屈とか条件ではない。目の前の人がおもしろくてもっと話を聞きたくて、知りたいという欲求からしか心動かない。そこから一歩進んで恋愛感情を抱くかどうかは、もっと不思議な感覚で、相手が私を求めていることをキャッチできるかどうかなのかもしれない。求められてもキャッチできないこともあるし、私が求めていても拒絶されることもある。お互いに波長が合わないと始まらない。
「好きってどういうこと?愛しているってどんな気持ちを言うの?」
恋愛当初、彼は私に度々そう尋ねた。これまでもお付き合いしてきた人は少なからずいたはずなのに、一体どういうことだろう。
「相手を大切に思う気持ちでしょう?その人のことをいろいろ思いやって、動くことなんじゃないかな。見返りとか期待せずに」
私が思っていることを正直にいうと、ふうん。と、まだ解せないような顔をして聞いていた。どうしてわからなかったのだろう。あの時、彼は私のことを愛してなどいなかった。
たぶん、「好きになる」気持ちは、育ってきた家庭環境が大きく影響していると思う。私は、母に大切に育てられた自負がある。姉には普通圧力をかけられて鬱陶しかったこともあるけれど。それでも顔も性格も大きく異なる妹を可愛がってくれた。高度経済成長期のサラリーマンだった父はほとんど家にいなかったけれど、書く力を受け継いだ私に期待していたと思う。
私は、自分を否定しなかったし、どこに行っても自分そのままでいられた。変わっている子だったのに、学校でも社会でも「おもしろいね!」と言ってくれる人の間でしか生きてこなかったから、「おまえはダメだ!」と叱られるようなことがたまにはあったかもしれないけれど、あまり記憶にないし、たとえそんなことがあっても「私がダメなら、あんたもダメだよね!」と言い返せてきたと思うし、遠慮なく言えた。そして、そもそもそういう人の元へ自分からは寄っていかなかった。それがまた私だったから。
話を戻すと、彼は非常に難しい家庭で育った。特に父親にできることよりも、できないことを責められ否定された。父親も良かれと思って教育のつもりだったのだろうけれど、彼にとっては虐待でしかなかった。素直で、できる子だったので、期待していたに違いない。小学生の頃自由研究で制作させられたというお手製の昆虫図鑑を見せてくれたことがある。売り物さながら、レイアウトもきちんとされた、ある枠組みの中に虫の絵を描き、その名前、種類、特徴などギッシリと、小学生としては信じられないくらいの量をこなしていた。
聞けば、泣きながら制作していたのだという。泣きながら、蹴っ飛ばして暴れてやらない…という選択を彼はしない子だった。もし、そういう抵抗ができれば、大人になってからも自分の気持ちに蓋をして生きることが苦痛になったと思う。けれど、彼は苦痛に慣れていたから、蓋をし続けた。こじ開けようとしても、絶対に見られないように蓋をし続けた。
なぜ忘れたくないのだろう。たいしていい男ではなかったはずなのに。どうしても残して、振り返りたいのは、埋葬したいからなのかもしれない。
物語という形で、少しずつ語っていきます。
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