嘘つきなダイヤモンド
宝飾品とかブランドのバッグやファッションにまったく無頓着なもので、婚約指輪💍をあげると言われた時も、そんなものに大枚叩くなら、新しい生活に使うテーブルや椅子、カーテンなどを用意しよう、と言っていた。にもかかわらず、結局小さな粒のダイヤモンド💎のリングを買うことになったのは、当時勤めていた会社の取引先に宝飾メーカーがあり、社販で買えるバーゲンを会議室で特別に開催するから、この機会に‼︎と、半ば押し切られた事情があった。
その昔、婚約指輪は給料の3ヶ月分、と広告されていたけれど、そのリングは1ヶ月の給料の半分にも満たない、ささやかな金額ではあったけれど、当時の私たちには十分過ぎるほど贅沢なもので、いつまでも箱にしまって指にしないまま過ぎた。授かり婚で妊婦でもあったし、日によって指が浮腫んだりして、外せなくなったら嫌なので買ったものの、出番がなく箱に眠ったまま宝の持ち腐れとなった。
そのうち、結婚した相手とお別れすることになり、子どもを育てるのと仕事に追われているうちに記憶の片隅に箱の存在は追いやられ、ずっとダイヤモンドの指輪💍を買ったことすら忘れて、何年も何年も経った。先日、部屋の整理をしていたら、いくつか見覚えのあるリングが眠る箱が出てきた。
今さら質屋に売っても二束三文だろうし、何しろモノに罪はない。指に嵌めてみたら少し緩かった。指もサイズダウンするのだろうか。あの時に婚約指輪をもらった代わりに、金子眼鏡店で新しい眼鏡を作って相手に贈った。眼鏡の方がかなり値が張ったのはハッキリ覚えている。眼鏡は必需品だから、別れてからも毎日していたのだろうか。もう老眼になってもいい頃だから、とっくに違う眼鏡をしているだろうけれど。
婚約という約束も反故にしたダイヤモンドは、今、何でもない日に嵌めるようになった。ダイヤはそんな約束などすっかり忘れて輝いている。誰のことも無関心を装っているかのごとく。相変わらず、婚約指輪に大粒のダイヤ💎を選んでいる芸能人をみると、いったいそれが何のストッパーになるのだろうか、とさえ思う。何もならずに輝いているだけで十分ではあるけれど。
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