ショパンの涙

【作品形式】朗読・声劇・1人・2人
【男性:女性:不問】0:0:2
【登場人物】
 ・先生(性別不問)
 ・沖田君(性別不問)
【文字数】1438字
【目安時間】約5~10分

*朗読など。ご自由にお使いください。
*配信や上演のご連絡を頂けると喜びます✨


ショパンの涙

「雨の日に、ショパンなんて・・・センスがよろしいですね。」

先生のご趣味ですかと、この年明けから担当になった編集者の沖田君の声がした。
部屋に入ってきた沖田君は、プレイヤー横にあるCDジャケットをチラリと見やり、煎茶の入った湯呑みと柏餅を机に置いてくれた。

エチュード第3番ホ長調〜別れの曲

かけていたのは、以前の同居人が残していった、クラッシックの名曲集の中のひとつ。
シリーズで集めていたらしく、先日CDの枚数を数えてみたら65枚あったのを、棚の端から聞いてみることにした。

一日1枚。
今ちょうど、たまたま、この曲だった、というだけ。
流し続けていれば、英雄ポロネーズも子犬のワルツも、やってくる。

でも、そういうものかもしれない。
人は、見たいように見て、聞きたいように聞く。
知りたいことだけ知って、その人を知った気になるものだ。

こういう時、嘘をつかなくとも、否定しないことで勘違いさせたままにしておくことがある。
そうして、しばらく経つと、勘違いの偶像を見せ続けることに疲れてしまうのだ。

沖田君に、間違いを正さずとも、お互いに何の支障もない。

深入りしなければ、長く一緒に居られるはずだ。
好ましい相手であるほど、薄い勘違いのベールが重なって。
いつか、堅牢な鎧となる。

けれども、いつか、誰かに全てを晒け出せたなら。
今度こそ、この人にこそ…次こそは、と。

そう願い、何度決意してきたことか。
まったく自分の決意ほど、あてにならないものはない。

「あぁ、沖田君。柏餅か、ありがとう。はい、これ。これまでの分だけ渡しておくよ。よろしくね。」

「・・・はい。ありがとうございます。」
「あの、先生。・・・いえ、少し冷えますのでストーブに火を入れておきました。小雨なので少しだけ、そこの小窓を開けています。寝る前に必ず閉めてくださいね。それからストーブの火も忘れずに。」

そう言って原稿を受け取った沖田君が、気遣わしげにじっと見つめてくる。

ここに来る際、雨に濡れたのか、沖田君の着物からは緑が生い茂る深い森のような、むっとする草いきれのような、生命が満ちるような、そんな匂いがしていた。

傘を持っていないのかい、口をついて出そうになった言葉を慌てて飲み込む。これはいけないという危機感が私を制す。

傘を貸せば、近々返しに来ることを期待して、傘を固辞されたなら、まぁ雨宿りでも、などと直ぐに帰す訳に行かなくなる。

そして、また私は優しい人になってしまう。


うん、わかったよと、ペンを持ったままの右手をあげて頷くと、沖田君は若者らしく眉を寄せて疑わしそうな顔を作った後、背筋を伸ばして原稿を脇に抱え直した。

「それでは、私はこれで。」

律儀に一礼して側を離れると、部屋の出口で一瞬立ち止まった気配がした。
ふぅと息を吐く音が聞こえた。

勘違いかもしれないが、切なげな、こちらの胸まで苦しくなるような、そんな息遣い。
いや、心の中で、盛大なため息をついたのは、私だったのかもしれない。

CDはリピートを繰り返し、何回目かの、別れの曲。
窓の外は薄暗く、気付けば雨音が大きくなっている。

少し勢いをつけ、ピチッと音をたてて小窓を閉めた。
雨音が遠のき、大きくなるピアノの音。

引きとめていなくて、良かった。

小降りのうちに帰れただろうか。

やっぱり。窓を閉めたくらいで、思い人を閉め出せるものではない。

もし晴れたら・・・
否、明日が雨でも晴れでも、外に出てみよう。

わかった気になっていないで、訪ねていけば。
私の知らない沖田君が、見れるだろうか。


*最後までお読みいただき、ありがとうございます☆お題企画『雨』に掲載しております!


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